作品タイトル不明
第46話 折り鶴に込められた思い
それから、幾日かが過ぎた。
時間は確かに前へ進んでいるはずなのに、この部屋だけが、どこか取り残されているように感じられた。
朝と夜の境目は曖昧で、光が差しても、闇が訪れても、俺の中では何かが止まったままだ。
ミユウは、生きている。
それだけは、揺るがない事実だった。
呼吸は安定している。
鼓動も乱れない。
魔力の流れも、かつてのような荒れは見せていない。
だが――足りない。
彼女の中に、あるはずの“重み”が存在しない。
それは目に見える欠損ではなく、触れようとしても指をすり抜けていくような、曖昧な空白だった。
ルゥや、他の神官たちに話しかけられても、きちんと答える。
ルゥが来ると、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねながら抱きつく。
それでも、決定的に欠けているものがある。
――俺と、過ごした時間。
その事実を、俺は何度も噛み砕くように受け止めようとした。
だが、理解するたびに、胸の奥が鈍く軋む。
俺が呼びかけると、困った顔をして俯く。彼女にとって俺のことは、「ただ、いつもそばにいるお兄さん」程度の認識しかない現実が、俺の胸を抉った。
部屋の窓辺に、千羽鶴を吊るした。
現代日本では古くから伝わる、願いを留めるための風習だ。
言葉は風に消える。
祈りは声を持たない。
だから人は、形にして残そうとする。
不揃いな折り目。
甘く歪んだ羽。
剣を握るために鍛えられた指で、夜ごと折り続けた痕跡。
それは、上手くもなければ、美しくもない。
ただ、数だけが増えていく。
ミユウは、その前に立つことが多かった。
朝の淡い光を受けて、鶴が静かに揺れる。
色とりどりの紙が擦れ合い、微かな音を立てる。
彼女は、それを眺めながら、長い時間を過ごしていた。
何かを思い出そうとするわけでもなく、問いかけるでもなく、ただ、そこに立つ。
「……ねえ」
不意に、声をかけられた。
振り返った彼女の表情は、穏やかで、けれどどこか距離がある。
かつて、幾度となく向けられてきた視線とは、決定的に違っていた。
「これ、あなたが作ったの? 」
その問いは、何気ないものだった。
責める色も、期待もない。
ただ、事実を確かめるための声音。
それでも、心臓が一度、大きく脈打つ。
「ああ」
短く答えるのが、精一杯だった。
「下手だろ」
自嘲を込めて、そう付け加える。
誤魔化しでもあり、予防でもあった。
彼女は一羽、鶴を手に取った。
指先でそっと撫でるように、折り目をなぞる。
「……不思議ね」
ぽつりと、呟く。
「見ていると……胸の奥が、少しだけ重くなるの」
その言葉に、息が止まった。
記憶は、ない。
それでも、感覚だけが残っている。
それは、思い出よりも厄介で、同時に救いでもあった。
思い出すことは出来ない。その事実は変えられなかった。
その瞬間、風が吹いた。
窓から流れ込んだ突風が、鶴を一斉に宙へ散らす。
色とりどりの紙が、部屋の中を舞い、床へと落ちていく。
「あ……! 」
ミユウが反射的に手を伸ばし、一歩踏み出した。
だが、身体が追いつかなかった。
重心が崩れ、視線が揺れる。
倒れる――そう判断するより早く、俺は動いていた。
彼女を抱きとめる。
腕に伝わる重みは、記憶よりもずっと軽い。
「……無茶をするな」
声が低くなる。
「ただの紙だ」
自分に言い聞かせるように、そう言った。
「……紙じゃない」
彼女は、はっきりと否定した。
「あなたが作ったものよ」
それ以上の言葉は続かなかった。
だが、その断定は揺るがない。
ーーこういう所だけは、昔から変わらない。
彼女は小さく息を整え、視線を落とす。
「……私、わからないの」
静かな声だった。
「自分が、何をしてきたのか。
何を守ってきたのか」
その問いは、刃のように鋭かった。
俺は、一瞬だけ言葉を探す。
飾る必要はない。
誤魔化すつもりもなかった。
「……立ち続けてきた」
それだけを、告げる。
「倒れても、傷ついても、何度でも」
それは評価でも、称号でもない。
事実だった。
床に散らばった折り鶴が、静かに揺れている。
色褪せた紙が、光を受けて淡く輝く。
過去は失われた。
だが、形にした祈りは、ここにある。
俺は彼女を支えたまま、窓の外を見る。
空は、まだ続いている。
記憶がなくても、立てる。
思い出せなくても、進める。
ならば――また折ろう。
忘れられても、繰り返す。
それが、剣しか知らない俺にできる、唯一の抵抗だった。