作品タイトル不明
第36話 夢の向こう側
――ここは、どこだ?
衝撃波に飲み込まれた瞬間、確かに死んだと思った。
全身を引き裂くような圧力。視界を塗り潰す白。
意識が闇に沈み込む直前、浮かんだのは「これで終わりか」という、妙に静かな諦めだった。
だが、目を開けると――。
そこは、アストリアでも、地球でもない、見覚えのない世界だった。
身体を起こす。
草の匂いが鼻腔をくすぐり、風が頬を撫でる。
どこまでも高く澄んだ青空が、まるで偽物のように広がっていた。
生きている。
それは分かる。だが同時に、ここが現実ではないことも、どこかで理解していた。
現実ではないと分かっていながら、それでも、この光景を失いたくないと思ってしまう。
目の前には、小さな木造の小屋が一軒。
質素だが、丁寧に手入れされている。
裏手に回ると、二つの大きなハンモックと、さらに小さなハンモックが一つ、木陰に揺れていた。
家族の数だけ用意された、休息の場所。
……本当に、ここはどこなんだ?
「パパー!」
弾むような声が響いた瞬間、小屋の扉が勢いよく開いた。
小さな天使が、ぴょんぴょんと跳ねるように飛び出してくる。
銀色の髪を高い位置でポニーテールに結び、真っ白なドレスを翻しながら、まっすぐこちらに向かってくる。
その姿を見た瞬間、胸の奥が、きゅっと締め付けられた。
……雰囲気が、俺に似ている。
「……パパ?」
思わず漏れた声に、少女は満面の笑みを返した。
「こらこら、ダメでしょ」
続いて、小屋から落ち着いた声がする。
「今日はパパ、お仕事明けで疲れてるんだから。休ませてあげなさい」
姿を現した女性は、銀色の髪をツインテールに結び、背丈は俺とほとんど変わらない。
その瞳、その表情、その空気。
説明はいらなかった。
――ミユウ。
「えー! だってぇ! 」
少女は不満そうに頬を膨らませながらも、こちらを見上げる。
「パパが魔王を倒したら、スローライフするって約束したんだもん! 」
胸の奥で、何かが静かにほどけていく。
……ああ、そうか。
これが、俺が本当に伝えたかったこと。
戦いの果てに、ただ静かに暮らすこと。
誰かを守り、誰かに帰る場所を用意すること。
魔王を倒して、世界に平和が戻ったら――
その時こそ、スローライフをする。
未来なのか、願望なのか、それとも。
俺が一度も手に入れられなかった、あり得なかった可能性。
俺は少女を抱き上げた。
驚くほど軽く、温かい。
「そうだな」
自然と、声が優しくなる。
「ちゃんと魔王を倒したら、スローライフする。約束だ」
「うん! 」
少女は力いっぱい頷き、俺の首に腕を回す。
「パパ、大好き! 」
大好き。
その言葉が胸に染み込む。
――この言葉を、もう一度聞くために。
俺は、戦ってきたんだ。
△△△
「……っ、は……! 」
肺に空気が一気に流れ込み、激しく咳き込む。
同時に、腕に走る鋭い痛み。
現実だ。
視界に映ったのは、赤い瞳で俺を睨みつける堕天使ミユウだった。
「無様な姿ね」
冷たい声。
「まだ平和だの、スローライフだの、夢に溺れているの?そんなんだから、いつまでも救世主に覚醒できないのよ! 」
黒い短剣が振り上げられる。
迷いは一切ない。
――殺される。
反射的に目を閉じた。
だが、いつまで経っても、痛みは来なかった。
恐る恐る目を開けると、刃は俺の喉元で止まっていた。
「どうして……! 」
ミユウの声が震える。
「どうして、この世界から戦いが無くならないのよぉ?! 」
その叫びは、怒りでも非難でもなかった。
ただ、どうしようもない絶望。
「ミユウ……」
九百年前。
俺は、伝え方を間違えた。
スローライフという言葉に逃げ、魔王を倒す覚悟を、きちんと示さなかった。
正しいと思っていた。
優しい選択だと信じていた。
でも、それは――
覚悟から逃げた言葉だった。
――俺の責任だ。
「ごめん」
自然と、頭が下がる。
「誤解させたなら、俺の責任だ」
「あ……」
ミユウの瞳から、涙が溢れ落ちる。
それは、俺がよく知っている、天然でうざ可愛い少女の、純粋な涙だった。
「戻ってこいとは言わない」
ゆっくりと、言葉を選ぶ。
「俺の責任だ。最後の決定は――お前に任せる」
「ごめん……なさい」
嗚咽混じりの声。
「私……私が、強くならなくちゃって……! 」
「うん」
そっと、ミユウを抱きしめる。
「なんでも聞くよ」
その光景を、魔王は楽しそうに眺めていた。
「ふん」
嘲笑うように、口角を上げる。
「救うと言いながら、選ばなかった。
何百年経とうと、変わらんな」
「魔王……ッ! 」
立ち上がろうとした瞬間、右肩に激痛が走った。
全身に電流が走ったような衝撃に、思わず膝をつく。
(ここで俺が倒れちゃ……だめだろ! )
「龍夜くん! 」
ミユウが叫び、俺の傷に手を当てる。
「平気だ……慣れてる……」
「慣れないで! 」
声が裏返る。
「今、私が……! 」
金色の光が溢れ出し、傷を包み込む。
肉体が再生していく感覚。
確かに、癒されていく。
だが、その代償を、俺はもう知っている。
「ミユウ……」
彼女は天使の姿に戻り、穏やかな笑みを浮かべていた。
「小賢しい」
魔王は苛立ったように吐き捨てる。
ミユウは怯え、俺の胸に顔を埋めた。
「魔王! 」
俺は前を向く。
「俺の敵はお前だ!
俺の代で、この悲しみを終わらせる! 」
「ふん……そこまで言うなら」
魔王は腕を広げた。
「私の子供たちと、遊んでもらおう」
……は?
「リリア、ガレン、ラフィセル! 」
名を呼ばれた瞬間、空気が変わる。
「あの裏切り者の堕天使を、殺せ! 」
背筋が、理由もなく冷えた。
「龍夜くん……! 」
「大丈夫だ」
俺はミユウを庇うように前に出る。
「俺が守る」
来いよ。
俺の怒りを。
俺の覚悟を――。
ここから先は、逃げない。