作品タイトル不明
第24話 光と闇の激突 もう俺は許せません
魔王城最深部、玉座の間。
空気が重い。
息をするたびに、肺の奥まで鉛のように冷たい闇が流れ込んでくる。
黒曜石の柱は無数に林立し、その隙間から漏れる赤黒い水晶の光だけが、唯一の明かりだ。
光は床に落ちてはすぐに飲み込まれ、まるで血の染みが広がるように床面を這う。
足音一つ立てるのも躊躇われるほどの静寂。
なのに、心臓の鼓動だけがやけに大きく、耳の奥でどくどくと鳴り響いている。
目の前の玉座に、ラスフェルがいる。
黒いローブの裾が床に広がり、六枚の翼は半ば畳まれたまま、微かに脈打つように蠢いている。
赤い瞳は底なしの深淵。見つめられると、魂ごと吸い込まれそうな錯覚に襲われる。
口元に浮かぶ微笑みは、甘く、優しく、そして残酷だ。
まるで「もうお前たちの運命は決まっている」と言わんばかりに。
そして――そのすぐ横に、ミユウが立っている。
小さな体。
白いドレスは乱れ、肩紐がずり落ち、鎖骨のラインが痛々しく露わになっている。
首筋に残る赤い指跡は、まだ新しい。
虚ろな瞳は焦点を結ばず、長い睫毛が一度も瞬かない。
薄桃色の唇は微かに開いたまま、かすかな吐息すら聞こえない。
いつも「龍夜くん!」と跳ねるように呼び捨てにして、俺の袖を引っ張り回していたあの少女は、もうどこにもいない。
代わりに、そこにいるのは――
ラスフェルの人形。
壊れかけの、精巧な玩具。
胸の奥が、ぎりぎりと締め付けられる。
肋骨が軋むような痛み。
息が詰まる。
視界の端が熱く滲む。
「ミユウ……」
声が震えた。
情けない。
こんな時に、こんな弱い声を出してしまう自分が、許せない。
「ミユウ! おい、ミユウ! 俺だよ、龍夜だ! お前、いつもみたいに……『龍夜くん、遅いよー!』って怒ってくれよ……! 頼むから、返事してくれ……!」
叫んでも、返事はない。
ただ、ラスフェルの細い指が、ミユウの顎をそっと持ち上げるだけ。
その瞬間、ミユウの体が小さくビクンッと跳ねた。
まるで糸で操られる操り人形のように。
「――っ!! 」
俺の中で、何かが完全に切れた。
「やめろ……やめろぉぉっ!! 」
剣を抜く。
鞘から抜ける金属音が、鋭く空気を裂く。
手が震えている。
怒りで、恐怖で、悔しさで、全部が混じって、手が言うことを聞かない。
隣に立つルゥが、静かに息を吐いた。
純白の翼が、ゆっくり、ゆっくりと広がっていく。
羽の一枚一枚が、光を反射してきらめく。
けれどその輝きは冷たい。
氷よりも冷たく、刃よりも鋭く、殺意に満ちている。
「ラスフェル」
ルゥの声は、ほとんど囁きだった。
それなのに、玉座の間に響き渡る。
「九百年。 九百年もの間、俺はお前を憎み続けてきた。 お前が俺の家族を惨殺し、幼いミユウの両目に焼き付く恐怖を植え付けた、あの日のことを……一秒たりとも忘れたことはない」
彼女の瞳に宿るのは、ただの憎悪ではない。
そこには、涙の乾いた後の深い悲しみ。
絶望を何度も噛み潰して、それでもなお立ち上がった、燃えるような決意。
「今日、ここで……
お前を、完全に、消滅させる」
聖剣が淡い光を帯び、唸りを上げた。
剣先から零れる光は、まるで血のように赤く染まっている。
俺はミユウを、もう一度見つめた。
あの笑顔。
あの「龍夜くん!」って、うざ可愛く呼び捨てにする声。
アストリアに来て最初に会った日、彼女は俺の手をぎゅっと握って、ぴょんぴょん跳ねながら言った。
『龍夜くん、すっごく強そう! ミユウ、龍夜くんのことが大好きー! ずっと一緒にいてね!』
あの言葉が、今も頭の中で響き続ける。
響きすぎて、胸が張り裂けそうだ。
だから――
「行くぞ、ルゥ」
剣を握り直す。
指の関節が白くなるほど、強く、強く。
「こいつをぶっ倒して…… ミユウを、連れ戻す」
ルゥが小さく頷く。
「ああ……共に」
俺たちは同時に地面を蹴った。
瞬間――
ラスフェルの哄笑が、玉座の間に木霊した。
「素晴らしい……! その顔、その瞳!
絶望と希望が混じり合って、砕け散る寸前の表情……! ああ、最高だ! 」
黒い翼が大きく広がり、闇そのものが奔流となって俺たちに向かって襲いかかる。
空気が歪み、視界が一瞬暗転する。
肌がちりちりと焼けるような痛み。
これは、ただの風圧じゃない。
ラスフェルの殺意そのものだ。
俺は歯を食いしばり、剣を振り上げた。
(まだだ。 まだ終わらない)
ミユウの小さな背中が、視界の端で揺れている。
虚ろな瞳が、俺の方を――ほんの一瞬だけ――向いた気がした。
その瞬間、胸の奥で熱いものが爆ぜた。
「ミユウ……待ってろ!!
絶対に、絶対に助けるからな!! 」
叫びながら、俺は闇の中心へと飛び込んだ。
ラスフェルの赤い瞳が、愉悦に輝く。
口元が、ゆっくりと裂けるように広がる。
「来い! 救世主様……
そして、永遠に、私の人形になれ」
闇と光が、激突する。
空気が震え、床が悲鳴を上げる。
水晶の簾が一斉に鳴り響き、まるで血の雨のように赤い光が降り注ぐ。
この一瞬が、永遠のように長く感じた。
俺たちの刃が、ラスフェルの闇に触れた瞬間――
戦いの火蓋が、完全に、切って落とされた。