作品タイトル不明
第23話 取り戻すために
魔王城の最深部、玉座の間。
黒曜石のように磨き上げられた大理石の床が、俺の足音を冷たく跳ね返す。
天井は遥か高く、闇を纏った水晶のシャンデリアが、無数の紫色の燐光を滴らせている。
壁には古の魔族の戦勝を刻んだレリーフが連なり、どれも血と絶望の色で塗り固められていた。
ここはただの部屋じゃない。
900年分の怨嗟と傲慢が、空気そのものに染みついた場所だ。
俺の視線の先、玉座に腰掛けた男――魔王子ラスフェルは、長い銀髪を背に流し、薄紫の瞳でこちらを見下ろしていた。
その隣に、俺の知るミユウはいない。
代わりに立っているのは、まるで精巧な人形のように虚ろな瞳をした、小さな少女。
「……ミユウ」
名前を呼んだ瞬間、喉が焼けるように痛んだ。
アストリアで初めて会った時、警戒心もなく俺に飛びついてきた少女を思い出す。
「龍夜くん! やっと会えたー! もう離さないもんねっ! 」
うざったいくらいに甘えてきて、俺の制服の裾をぎゅっと握って、ぴょんぴょん跳ねながら笑っていた。
小学生みたいな喋り方なのに、時々見せる大人のような寂しげな瞳が、妙に胸を締め付けた。
あれが全部、偽物だったわけじゃない。
本物だったからこそ、今のこの姿が、俺の心を抉る。
ラスフェルがゆっくりと口角を上げる。
「おもしろい物を見せてくれたね♪ ますます君の力が欲しくなったよ」
声は滑らかで、どこか甘い。
まるで毒を塗った蜜のようだ。
「黙れ」
俺は吐き捨てるように言った。
声が震えているのが自分でも分かる。
怒りで、悔しさで、恐怖で――全部が混 じり合って、胸の中で暴れている。
ミユウは俺の方を見ていない。
ただラスフェルの横で、ぼんやりと宙を見つめている。
その小さな手は、かつて俺の袖を握っていたはずなのに、今は力なく垂れ下がっている。
指先が、かすかに震えているように見えた。
「……お前が、ミユウに何をした」
言葉が途切れ途切れになる。
喉が詰まって、息がうまく吸えない。
ラスフェルは優雅に肩をすくめた。
「何もしていないさ。ただ、彼女が本当に望んでいるものを与えただけだ。
――永遠の安らぎを、ね」
「ふざけんな……! 」
一歩踏み出した瞬間、床がバキッと砕けた。
亀裂が放射状に広がり、黒い破片が宙を舞う。
俺の体が熱い。
いや、体温じゃない。
何か別のものが、血管を駆け巡っている。
目の前に、青白い半透明のウィンドウが浮かんだ。
【ステータス更新】
戦闘力:28
(前回値:9)
たった28。
数字だけ見れば笑いものだ。
でも今、この瞬間、この数字が俺の怒りの全てを映している気がした。
「アストラルブレイド……来い」
右手を虚空にかざす。
空間が歪み、純白と漆黒が螺旋を描いて集まり始めた。
七色の光が刃の形を成し、轟音と共に巨大な剣が具現化する。
剣身はまるで星の欠片を溶かして鍛えたかのように輝き、周囲の空気を切り裂くだけで空間が震えた。
重い。
重すぎる。
でもその重さが、今の俺にはちょうどいい。
ラスフェルが、初めて目を細めた。
「ほう……人間風情がここまで力を引き出すとは。 だが所詮、所詮は借り物の力だ。
お前如きに、900年の因縁を断ち切れるとでも?」
「うるせぇ」
俺はもう言葉を選ばなかった。
ただ、目の前のこいつを、この手で、
この剣で、 叩き潰したい――それだけだった。
剣を振りかぶる。
光と闇の奔流が渦を巻き、剣先から凄まじい魔力が迸る。
玉座の間の空気が悲鳴を上げ、壁のレリーフがひび割れ始めた。
「うおおおおおおおおッ!! 」
咆哮と共に放たれた一撃は、 直線的な光の奔流となってラスフェルを襲った。
だが、魔王子は動かなかった。
ただ右手を軽く掲げただけで、紫黒の障壁が展開する。
アストラルブレイドの刃がその障壁に激突し、爆音と共に火花が散った。
「……っ! 」
衝撃で俺の体が後ろに吹き飛ばされそうになる。
だが、踏ん張った。
歯を食いしばって、剣を押し込む。
「まだだ……まだ終わってねぇ……! 」
障壁に亀裂が入る。
細い、蜘蛛の巣のようなひびが広がっていく。
ラスフェルの表情が、初めて歪んだ。
「小僧……貴様、どこまで本気だ? 」
「本気も何も……全部だよ」
俺は笑った。
多分、顔が引き攣ってるだけの、歪んだ笑みだったと思う。
「ミユウを、返せ。 俺の、俺だけの、ミユウを……返せぇぇぇッ!! 」
次の瞬間、障壁が砕け散った。
破片が雪のように舞い、ラスフェルの銀髪を白く染める。
魔王子は初めて後退した。
たった一歩。
だがその一歩が、俺には勝利の第一歩に見えた。
剣を構え直す。
息が荒い。
体が熱い。
でも、まだいける。
まだ、終わらせない。
その時、ミユウが小さく呻いた。
「……りゅ、う……や……くん……? 」
一瞬、虚ろだった瞳に、光が戻った気がした。
ほんの一瞬。
でもそれで十分だった。
俺は叫んだ。
「ミユウ! 俺だ! 龍夜だ!
お前が大好きって言ってくれた、俺だよ!
思い出せ! 俺のこと、思い出してくれ!」
ラスフェルの顔が、怒りに歪む。
「黙れッ! その声など届かん! ミユウはもう私のものだ! 」
魔王子が両手を広げると、空間がねじれ、黒い触手のような魔力が無数に湧き上がった。
それらが一斉に俺へ襲いかかる。
俺はアストラルブレイドを振り回し、触手を次々と切り裂いた。
火花が散り、魔力の残滓が爆ぜる。
体が悲鳴を上げている。
筋肉が、骨が、軋んでいる。
でも止まれない。
「俺は……俺は、ミユウを救いに来たんだ……! お前なんかに、渡さない……絶対に、渡さないッ!! 」
触手の群れを薙ぎ払い、俺は再びラスフェルへ突進した。
剣を振り下ろす。
今度は真正面から、真正面から全力で。
ラスフェルが両腕を交差させ、紫の双剣を具現化させる。
刃と刃が激突し、衝撃波が玉座の間全体を揺らした。
天井の水晶が落ち、床に砕け散る。 壁が崩れ、埃と破片が舞う。
俺たちの間で、火花が絶え間なく散った。
「なぜだ……なぜそこまでする……!
ただの人間が、なぜそこまで! 」
ラスフェルの声に、初めて焦りが混じる。
俺は歯を剥き出しにして笑った。
「ただの人間だからだよ。 お前みたいに900年も生きてねぇから、 ミユウと過ごした時間が、俺にとっては全部なんだよ……! 」
一瞬、ラスフェルの瞳が揺れた。
その隙を、俺は逃さなかった。
「――喰らえッ! 」
アストラルブレイドに、全ての魔力を注ぎ込む。
剣身が眩い光を放ち、七色が一瞬にして白に収束した。
「星墜つる刻――アストラル・ノヴァ!!」
放たれた一撃は、もはや剣じゃなかった。
光の奔流そのものだった。
ラスフェルの双剣が弾かれ、魔王子の体が大きく後退する。
胸元に、深い斬撃が刻まれ、黒い血が滴り落ちた。
「……ぐっ……! 」
初めて、魔王子が膝をついた。
俺も膝をつきそうになる。
体が限界だった。
息ができない。
視界がちらつく。
でも、まだだ。
俺はよろめきながら立ち上がり、ミユウの元へ歩み寄った。
「ミユウ……」
少女はまだ虚ろな瞳のままだった。
でも、指先が、かすかに動いた。
「……りゅう……や……くん……」
涙が、俺の頬を伝った。
自分でも気づかなかった。
「そうだよ……俺だよ…… もう大丈夫だから……もう、怖くねぇから……」
俺はそっと、ミユウの小さな手を握った。
その瞬間――
ミユウの瞳に、色が戻った。
「……龍夜くん……? 」
声が震えている。
俺は、力いっぱい頷いた。
「ああ……俺だ。
遅くなって、ごめんな」
ミユウの目から、ぽろぽろと涙が溢れた。
「……龍夜くん……龍夜くんっ……! 」
少女は俺の胸に飛び込んできた。
小さくて、軽くて、温かくて。
俺は両腕で、ぎゅっと抱きしめた。
「もう離さない……絶対に、離さないからな」
背後で、ラスフェルが低く唸る。
「……まだだ……まだ終わっていない……!」
だが、その声はもう、俺には届かなかった。
俺の腕の中には、ようやく取り戻した、俺だけのミユウがいる。
それだけで、もう十分だった。
玉座の間は崩れかけ、 光と闇が交錯する中、 俺たちは、ただ互いを強く抱きしめていた。