軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第177話 父の手で生まれた小さな守護獣

木片を削った刃先が、指の腹のすぐ横でぎぎ、と止まり、俺は息を詰めたまま膝の上の小さな獣を見下ろした。獣、と呼んでいいのかどうかも怪しいそれは、片方の耳だけが妙に長く、背中に取りつけた羽は右だけ上を向き、左は俺の膝にしなだれかかっている。アストリアの神殿の窓から差し込む白い光が、削り跡だらけの木肌にひっかかり、床に散った木くずの一枚が俺のつま先に貼りついた。

「……見ろ、ミユウ」

俺は木片を両手で持ち上げ、親指の爪に挟まった木くずを服でこすりながら、寝台の端に座るミユウへ向けた。ミユウは膝の上に布と綿を広げ、俺が朝から四度も失敗した羽飾りの余りを指先で整えていたが、俺の手元を見るなり、針を持つ手を止め、唇を押さえた肩が小さく跳ねた。

「あなた、それは……鳥ですか?」

「違う。守護獣だ」

「耳が片方だけ、ずいぶん遠くを聞こうとしています」

「そこがいい。神殿の端の音まで拾える」

ミユウの肩がまた揺れ、細い糸の先についた白い綿がふわりと持ち上がった。俺は膝の上で守護獣を回し、長すぎる耳を指で押さえたが、木の薄い部分がぺきりと鳴り、耳の先が床へ転がった。

「……これは、寝る時に邪魔にならない形へ改良した」

「いま、折れましたよね」

「違う。たためる耳だ」

「たためたまま戻りません」

ミユウが布を口元に当て、目尻をゆるませたまま針箱へ手を伸ばした。俺は床に落ちた耳を拾い、木工用の膠をつけようとして、蓋の開いた小瓶を倒しかけ、慌てて肘で支えた拍子に削りかけの胴体がころころと転がった。机の脚にぶつかって止まった守護獣は、右の羽だけで床を指し、まるで俺に文句を言っているみたいに傾いていた。

「おい、逃げるな。まだ完成してない」

「逃げたくなったのかもしれません」

「俺の最高傑作から逃げる理由がない」

言い切った直後、胴体に差し込んだ足が一本抜け、乾いた音で床に落ちた。ミユウは針を置いて立ち上がり、俺の隣に膝をつくと、抜けた足を拾って指先でくるくる回した。白い袖が俺の手首に触れ、木くずが彼女の袖口に一粒ついた。

「ここ、少し細すぎます。赤ちゃんが触ったら、すぐ外れてしまいます」

「じゃあ太くする」

「太くしすぎると、今度は入らなくなります」

「なら、穴を広げる」

「穴を広げすぎると、胴体が割れます」

俺は小刀を持ったまま固まり、手の中の木片を見下ろした。胴体の真ん中には、俺が力任せに押し込んだ跡がいくつも残り、丸いはずの腹はところどころ角ばっている。アインの小さな手でも握れるように、と最初は思っていたはずなのに、気づけば俺の拳ほどの大きさになり、ジュリアが抱えるには少し重そうな塊になっていた。

まだ生まれてもいない小さな手を思い浮かべようとして、俺は親指と人差し指の間を開いた。そこに乗る重さはまだなく、声も、匂いも、温度もない。けれど、窓の外で揺れる白い羽根の飾りと、部屋の奥で重ねられた小さな布を見ていると、胸の内側に何かがこつんと当たり、刃先を握る指に力が戻った。

「……やり直す」

「最初からですか?」

「耳は短くする。羽は左右で同じ高さにする。足は四本全部、抜けないようにする」

「あなた、朝にも同じことを言っていました」

「朝の俺はまだ甘かった」

ミユウが声をこぼし、膝の上で布を広げた。白い布、淡い水色の糸、小さな金の鈴。彼女の指は針を通すたびに無駄なく動き、俺が苦戦している木片の横で、羽飾りが少しずつ形を持っていく。俺は新しい木を手に取り、小刀を当てた。削りすぎないように刃を寝かせ、木目に沿わせたつもりが、薄く剥がれた一片は思ったより深く、耳になるはずの場所がまた片寄った。

「……これは」

「今度は耳ではなく、角に見えます」

「守護獣は角があってもいい」

「赤ちゃん用ですよ」

「丸める」

俺は角の先を削り、削りすぎて山が消え、ただのこぶになった。ミユウが隣から小さな布を差し出し、俺の指についた膠を拭き取る。指の腹が少し赤くなっているのに気づき、彼女は布の端でそこを包んだ。

「力を入れすぎです」

「入れなきゃ形にならない」

「入れすぎると、また耳が飛びます」

「耳は飛ばない」

そう言って小刀を入れた瞬間、耳になるはずの薄い板がぴんと跳ね、机の上の糸巻きに当たって転がった。金の鈴が一つ、床に落ちて、俺の膝の前で止まる。ミユウはもう堪えきれず、針を持ったまま顔を背け、肩だけを何度も震わせた。

「ミユウ」

「はい」

「今のは木が悪い」

「木も、あなたの手の中でいろいろ大変ですね」

「次の木は耐える」

「木にまで根性を求めないでください」

俺は息を吐き、三つめの木片を手に取った。神殿の鐘が遠くで一度鳴り、廊下の向こうから、アインとジュリアの短い声がかすかに聞こえた気がした。今日は神官たちが二人を庭へ連れて行ってくれている。朝、アインは俺の服の裾を掴み、「パパ、つくるの?」と首を傾げ、ジュリアはミユウの膝にしがみついたまま「あとで見る」とだけ言って、兄の袖を掴んで出ていった。

その小さな手の跡が、まだ服の布に残っている気がして、俺は小刀を置き、掌で膝を払った。木くずが床に落ち、白い石床の上で星の破片みたいに散った。ミユウはその横で金の鈴を拾い、指先に乗せて俺へ差し出す。

「赤ちゃんが触っても痛くないように、布で包みましょう。木の角はあなたが削って、わたしが羽と鈴をつけます」

「共同制作か」

「あなた一人だと、守護獣が何匹逃げるかわかりません」

「逃げたんじゃない。改良の途中で分離しただけだ」

「では、これ以上分離しないようにしましょう」

ミユウの声に、俺は小刀を持ち直した。今度は刃を急がせず、木の丸みを親指で確かめながら、少しずつ削った。耳は短く、握った時に指へ刺さらないように丸く。羽は別の薄い板で作らず、背中へ浅く彫るだけにした。足は四本ではなく、ころんと転がっても欠けにくい丸い台に変えた。最初の形からはずいぶん離れたが、手の中で転がすと、角も耳も羽もどこかへ逃げず、木のぬくもりだけが掌に残った。

「……これは、いい」

「まだ顔がありません」

「顔か」

「怖い顔にしないでくださいね」

「赤ちゃん用だぞ。怖くするわけがない」

俺は細い刃で目を入れた。右目を彫り、左目を彫り、口を少しだけ入れようとして、刃先がずれた。口角が妙に上がり、守護獣はやけに自信たっぷりな顔になった。

「あなたに似ています」

「最高の出来だとわかっている顔だ」

「生まれる前から、赤ちゃんに自慢しそうですね」

「自慢する。これは父親が初めて作った守護獣だ」

ミユウは白い布を細く切り、俺が削った木の背に小さな羽を縫いつけた。淡い水色の糸が木肌を渡り、金の鈴が腹の下で揺れる。鈴の音は大きすぎず、指で弾くと、細い光の粒が石床へ落ちたように鳴った。俺は息を止め、完成した守護獣を両手で受け取った。

不格好だった。耳の高さはまだ少し違うし、背中の羽はミユウの手が入った部分だけやけに整っていて、俺が彫った胴体の丸みはところどころ波打っている。けれど、掌に乗せると、木の重さがちょうどよく、鈴が一つ鳴るたびに、まだ見ぬ小さな指がこれを握る場面だけが、目の奥へ近づいてきた。

「……見ろ」

「はい」

「最高の出来だ」

「さっきも聞きました」

「さっきのは未完成の最高だ。これは完成した最高だ」

ミユウが俺の肩に額を寄せ、鈴にそっと指を触れた。ちり、と鳴った音が、窓の外へ抜けていく。俺は守護獣の顔を眺めたまま、親指で耳の丸みを撫でた。刃の跡は消えない。少し削りすぎた場所も戻らない。それでも、その跡の一つ一つが俺の手から離れず、掌の中で熱を持った。

「アインとジュリアにも見せたら、なんて言うかな」

「アインは触りたがります。ジュリアは、まず鈴を鳴らすと思います」

「壊される前に、説明が必要だな」

「説明を始める前に、二人とも触りますよ」

「……だろうな」

扉の向こうで、小さな足音が二つ重なった。すぐに神官の低い声が続き、また遠ざかる。俺は守護獣を机の中央へ置き、木くずを払った。ミユウが羽飾りの余りを小箱へしまう横で、俺は机の上に散った失敗作の耳や足を集め、布に包んだ。捨てようとして手が止まり、結局、小箱の端へ押し込んだ。

「それも残すんですか?」

「歴史だ」

「かなり欠けた歴史ですね」

「最初から完璧な父親なんていない」

口に出したあと、俺は木片を包む手を止めた。ミユウも針箱の蓋に指をかけたまま、俺を見た。部屋の白い壁に、夕方の光が斜めに伸びている。俺は小箱を閉じ、完成した守護獣を柔らかな布の上へ置いた。

「でも、作る」

「はい」

「何度でも作る」

「あなたなら、耳を何度飛ばしても作ります」

「そこは忘れろ」

「忘れません」

ミユウの指が俺の手の甲に重なった。針で少し硬くなった指先と、膠の残った俺の指が触れ、二人の間に置かれた守護獣の鈴がわずかに鳴った。俺はその音を聞きながら、背中を伸ばした。部屋の外ではアインとジュリアの声がまた近づき、扉の下を小さな影が横切った。

「パパ?」

扉の向こうからアインの声がした。俺は慌てて守護獣を布で隠したが、鈴がまた鳴り、ミユウが口元を押さえた。

「まだだ。あとで見せる」

「みたい」

「あとでだ」

今度はジュリアの小さな声が続いた。

「パパ、あそぶ?」

「あとで遊ぶ。神官さんと先に戻ってろ」

「おにぃちゃん、いこ」

衣擦れの音がして、二人の足音が扉から離れた。俺は布をめくり、守護獣の顔を確かめた。得意げな目と、少し歪んだ口。まるで、さっきの騒ぎを全部聞いていたみたいな顔をしている。

「……こいつ、なかなか肝が据わってるな」

「あなたが彫りましたから」

「赤ちゃんの相棒にはちょうどいい」

ミユウは守護獣を小さな箱に入れ、柔らかな布をかぶせた。俺はその蓋を閉じずに、しばらく中を見ていた。生まれる前から用意された小さな場所。そこに置かれた木の獣。鈴の輪。羽。削り跡。俺の不器用な手と、ミユウの細い糸が、同じ箱の中で並んでいた。

夜になり、アインとジュリアは寝台の端でくっつくように眠っていた。アインの手は布団の上で軽く丸まり、ジュリアはその袖を掴んだまま、頬を枕に押しつけている。俺は足音を殺して近づき、布団の端を二人の肩まで引き上げた。アインが小さく身じろぎし、ジュリアの指が袖をぎゅっと掴み直す。

「パパ……」

寝言のような声が漏れ、俺はその場で膝をついた。ミユウが後ろからそっと近づき、俺の肩に手を置く。俺はアインの額にかかった髪を指でよけ、ジュリアの手からは袖を抜かず、そのまま布団の上へ手を添えた。

「ここにいる」

声は布団の綿に吸われた。二人の呼吸が重なり、窓の外で夜風が白い布を揺らした。机の上には、小箱が置かれている。蓋の隙間から、金の鈴がほんの少しだけ見えた。

ミユウがバルコニーへ続く扉を開けると、夜の冷えた空気が足元に流れ込んだ。俺はジュリアの指をそっと袖から外し、布団の上へ置き直してから立ち上がった。二人の寝顔をもう一度見て、扉の隙間を少しだけ残し、ミユウと並んで外へ出た。

アストリアの空は、白い神殿の屋根を越えて深く広がっていた。遠くの塔に灯る光が、風に揺れる羽根飾りの影を石床へ落とす。バルコニーの手すりに触れると、昼の熱はもう消え、指先に冷たさだけが移った。

「今日は、たくさん戦いましたね」

「木と膠と、自分の不器用さにな」

「耳も飛びました」

「それは言うな」

「でも、できました」

ミユウは俺の隣で手すりに触れ、夜風に揺れた髪を耳の後ろへ流した。白い羽が肩の近くでゆるく動き、月の光を受けた横顔の輪郭が、部屋の中で見た母親の顔とは少し違って見えた。俺は彼女の手を取った。針を持っていた指先は少し冷え、俺の掌の中で細く折れた。

「ミユウ」

「はい、あなた」

「三人目にも、あれを握らせたい」

「はい」

「アインにも、ジュリアにも、壊されるかもしれない」

「その時は、また作りましょう」

「耳が飛んでもか」

「今度は、最初から布の耳にします」

俺は喉の奥で息をこぼし、彼女の手を引き寄せた。ミユウの額が俺の胸に触れ、薄い衣越しに体温が移る。部屋の中から、アインとジュリアの寝息がかすかに届き、机の上の小箱の中で鈴が鳴った気がした。

「あなた」

ミユウが顔を上げた。夜風が二人の間を抜け、彼女の髪が俺の指に触れた。俺はその一房をそっと払って、頬に手を添えた。指先の膠はもう乾いていたのに、触れた肌の温度で、今日の木くずと鈴の音が一度に戻ってくる。

「ありがとう」

「まだ礼を言うには早い」

「どうしてですか?」

「生まれてから、もっと作る。もっと失敗する。もっと騒がしくなる」

「あなたらしいですね」

「それでも、ここにいる」

ミユウの睫毛が伏せられ、俺は彼女へ身をかがめた。唇が触れる直前、部屋の奥で布団が小さく擦れる音がした。俺たちはほんの少しだけ止まり、目だけで扉の隙間を見た。何も続かない。俺はミユウの頬を支え直し、冷えた夜気の中で、彼女の唇に触れた。

柔らかい熱が、木を削った指先まで染み込んだ。ミユウの手が俺の服を掴み、白い羽が胸の前で震える。唇を離すと、彼女の吐息が俺の顎にかかり、部屋の中からまた小さな布擦れが聞こえた。

「あなた」

ミユウの声が、俺の首筋に触れた。

俺は扉の隙間へ目を向けたまま、彼女の手を握り直した。

小箱の中で、鈴がひとつ、鳴った。