軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第173話 最高天使、全開放

黒い玉座の床に膝が沈み、砕けた石の角が掌に食い込んだ瞬間、俺の前でミユウの白い羽が音を立てて開いた。

裂けた天井から落ちる灰は、彼女の髪に触れる前に光へ変わり、玉座の間を満たしていた瘴気が、熱を帯びた風に押されて壁際へ逃げていく。

俺はアストラルフレイムを支えに立ち上がろうとして、腕の奥で骨が軋む感触に歯を噛み、背中越しにこちらを見たミユウの横顔だけを追った。

その足元で、ジュリアが両手を胸の前に握りしめ、小さな羽を震わせながら一歩を踏み出した。

金色の光が指の間からこぼれ、まだ細いその腕の周りで、天へ伸びる柱の気配が矢の形を結びはじめる。

「ジュリア、下がれ……!」

声を出した俺の喉は焼けていた。魔王の闇を受けた胸の奥がまだ熱く、息を吸うたびに鉄の匂いが上がってくる。

ジュリアはびくりと肩を揺らしたが、ミユウのスカートをぎゅっと掴んだまま、こちらを向かなかった。

「パパ、まってて」

短い声だった。泣きそうな息が混じって、それでも足は退かなかった。

アインが俺の横から飛び出しかけた。小さな靴が割れた床を蹴り、手に宿した光が頼りなく揺れながらも、魔王の方へ向いている。

「まだ、いける!」

俺は動けなかった。止める腕が上がらない。言葉だけが喉の奥で擦れ、胸の中で何かが崩れた。

ミユウの羽が、アインの前に広がった。

「アイン、だめ。ここはママが行く」

「やだ!」

アインの声が跳ねた。小さな拳を握ったまま、歯を食いしばって、魔王の黒い影を睨みつける。

魔王は玉座の上で片肘をつき、焦げたような角の下から俺たちを見下ろしていた。血に似た赤い光が目の奥で揺れ、崩れた柱の影を踏みながら、黒い指がゆっくり持ち上がる。

「羽虫が増えたところで、踏み潰す数が増えるだけだ」

その声が床を撫でると、砕石が黒い霜に覆われた。霜はまっすぐアインへ走り、彼の足首へ絡みつこうと牙を立てる。

「アイン!」

俺が叫ぶより先に、ミユウの羽から落ちた光が床を叩いた。白い炎のような輝きが霜を焼き、黒い筋が煙になって弾ける。アインは息を詰め、俺の方へ一度だけ振り返った。

「パパ、たって」

それだけ言うと、アインは唇を結び、ミユウの背中の横に立った。ミユウは片手でアインの肩を押さえ、もう片方の手を天井へ向ける。

「あなた、アインをお願い」

その声に、俺は剣を握り直した。お願い、という響きが刃より深く胸に刺さった。守ると決めたのは俺だった。白い羽の彼女を、幼い二人を、この手で前へ出さないために剣を取ったはずだった。

なのに今、俺の前に立っているのはミユウで、彼女の横にはジュリアがいる。

俺は床に片膝をついたまま、アインの服を掴んだ。小さな身体がこちらへ倒れそうになり、すぐに踏みとどまる。温かい。まだ震えている。なのに魔王を見ている。

「アイン、来い」

「やだ、ママが」

「来い」

声が荒れた。アインの肩が縮む。俺はすぐに息を殺し、血の味を噛みしめながら腕を伸ばした。

「……パパのそばにいろ」

アインは拳をほどかず、俺の膝の近くへ戻った。服の裾を掴む指が小刻みに動いている。それでも顔は魔王から外さない。

魔王が立ち上がった。

玉座の背に絡みついていた黒い翼のような影が膨れ、天井に刺さった。石が裂け、上から降る灰が一気に濃くなる。魔王の足元から広がった闇は、床の紋様を飲み込み、ミユウの足先まで迫った。

「母子で死に急ぐか。ならば、母の腕の中で潰してやる」

黒い槍が生えた。

一本ではない。床、壁、砕けた柱、玉座の段差、影の落ちる場所すべてから、歪んだ槍先がミユウへ向いた。先端には赤い火が灯り、空気が腐った肉のような匂いを帯びる。

ジュリアがミユウの衣を掴んだ指に力を込めた。

「ママ」

「大丈夫。手、離さないで」

ミユウはジュリアの小さな手を包んだ。その瞬間、彼女の背中の羽が一枚ずつ光を増し、白だけでは足りないほどの輝きが、金に近い熱をまとって広がっていく。羽の根元から首筋へ、首筋から頬へ、光の筋が細く走った。

俺は息を忘れた。

ミユウの足元に、円を描くように光が降りた。天井は破れているのに、そこには空ではなく、まっすぐ降りてくる巨大な柱があった。見上げても端が見えない。光は雨でも炎でもなく、触れれば音を鳴らしそうな密度を持って、彼女の周りに集まっていく。

「 最高天使(イリゼ) の名において」

ミユウの声が揺れなかった。けれど、指先はジュリアの手を包んだまま、わずかに強く握られていた。

「この子たちに、触れさせない」

魔王の槍が放たれた。

赤黒い線が一斉に走り、玉座の間の空気が裂けた。俺はアインの頭を抱き込んで床へ伏せ、耳の横をかすめた衝撃に奥歯を鳴らした。

だが、槍はミユウに届かなかった。

彼女の背に広がった羽から、無数の光片が剥がれた。白い刃のように空中へ並び、魔王の槍を一本ずつ受け止め、触れた場所から黒を剥がしていく。金属が折れる音ではなく、濡れた布を裂くような音が連続し、砕けた闇が床に落ちて、煙を上げた。

ジュリアの小さな羽も光っていた。

震えている。今にも膝が折れそうなのに、ミユウの手を離さず、もう片方の手を前へ伸ばしている。指先に宿った光は細く、頼りなく、けれど天井から降りた柱の一部が、その小さな手へ吸い寄せられていた。

「ジュリア、無理するな!」

俺の声に、ジュリアの横顔が少しだけ揺れた。

「おにぃちゃん、まもる」

それだけだった。言い終える前に息が詰まり、ミユウの腕に頬を寄せる。それでも手は前へ向いていた。

アインが俺の腕の中で暴れた。

「パパ、はなして!」

「だめだ」

「ジュリアが!」

「俺が行く」

そう言った瞬間、自分の足がまだ立てないことを思い知らされた。膝に力を入れると、傷口の奥から熱いものがこぼれ、視界の端が白く滲む。俺は剣を床に突き、柄を握りつぶすほど掴んだ。

行かなきゃいけない。

俺が行かなきゃいけない。

妻が、五歳の娘が、魔王の前に立っている。息子は腕の中で前へ出ようとしている。俺は何をしている。俺は何のために勇者になった。俺は何を守ってきた。

アストラルフレイムの炎が弱く揺れた。俺の呼吸に合わせるように、刃の光が脈を打つ。剣は応えようとしている。なのに足が遅い。腕が重い。魔王の闇を受けた身体は、俺の後悔だけを置いて、前へ動こうとしなかった。

魔王が笑った。

「勇者よ、よく見ておけ。お前の守るものから壊す」

玉座の背後から、巨大な黒い腕が現れた。影でできた腕は指を開き、ミユウとジュリアをまとめて掴み潰すように降りてくる。

ミユウの瞳に光が宿った。

彼女はジュリアを抱き寄せず、退かせもしなかった。小さな手を包んだまま、ふたりの前に天柱の光を集める。俺には、その一つ一つが羽の欠片に見えた。ミユウがこれまで癒やしてきた命の温度、抱いてきた祈り、名前を呼ぶ声、それらが形を得て、一本の矢へ圧縮されていく。

「ジュリア、いっしょに」

「うん」

ジュリアは唇を噛み、目をぎゅっと細めた。小さな頬に光が反射し、涙の跡が金色に浮かぶ。

ミユウの天柱の矢は、玉座の間を貫くほど太く、白銀の芯に金の輪を重ねていた。ジュリアの矢はその横に生まれた。小さく、細く、まっすぐで、先端だけが淡く震えている。

魔王の黒い腕が迫る。

床の石が押し潰され、俺の頬に砕けた欠片が飛んだ。アインが俺の腕の中から顔を上げ、血が滲むほど唇を噛んだ。

「ママ!」

「ジュリア!」

俺の叫びとアインの声が重なった。

ミユウが放った。

光の矢は音を置き去りにし、黒い腕を正面から貫いた。闇が裂け、玉座の間の天井まで白く燃える。魔王の影が大きく歪み、赤い目が細くなった。

だが、腕は止まりきらない。砕けながらも、残った指がミユウへ届こうと伸びる。

その隙間を、ジュリアの小さな天柱の矢が走った。

細い光だった。ミユウの矢に比べれば、指先ほどの線に見えた。けれどそれは曲がらなかった。黒い腕の裂け目を抜け、魔王の胸元へまっすぐ届き、赤い紋をひとつ射抜いた。

魔王の身体が、初めて後ろへ揺れた。

玉座の段に爪が食い込み、黒い外套が乱れる。喉の奥から低い音が漏れ、赤い目がジュリアを捉えた。その視線には怒りしかなかった。子供の小さな光を見逃す気など、最初からない目だった。

「その小さな羽から、先に千切る」

魔王の声が落ちた瞬間、玉座の間の影が一斉にジュリアへ向いた。

「させない!」

ミユウの羽がさらに開いた。

背中の光が限界を越え、羽の輪郭がほどけていく。白い羽根の一枚一枚が天へ伸びる柱に変わり、彼女の身体を中心に幾重もの光の輪が回りはじめた。金色の輪は頬を撫で、銀の筋は髪を持ち上げ、足元の割れた石を浮かせる。

ミユウはジュリアを片腕に抱き、もう片方の手を魔王へ向けた。

「あなたの闇で、この子を呼ばせない」

その言葉に、俺は剣を握る指を震わせた。

呼ばせない。

泣かせない、でも、奪わせない、でもない。ミユウは知っている。子供の声が戦場で裂ける瞬間を。小さな喉が、母を、父を、兄を呼ぶ瞬間を。俺が守れなかった音を、彼女は背中で受け止めようとしている。

俺はアインを抱き寄せた。

「パパ、ママが」

「見てろ」

「やだ」

「見てろ。パパも行く」

俺は床に刺したアストラルフレイムへ体重を預けた。刃の炎が掌を焼き、血と汗で滑る柄に指をめり込ませる。膝が震えた。傷が開く。足元に落ちた血が、床の光に混じって黒く見えた。

それでも立った。

アインの小さな手が俺の腰布を掴んだ。引き止める力なのか、支える力なのか、分からなかった。ただ、その指の温かさだけが、まだここに戻れる場所を示していた。

魔王が両腕を広げた。

玉座の背後に、さらに濃い闇が開く。そこから現れた無数の黒い刃が、ミユウの光輪へ向けて降った。一本一本に赤い目のような火があり、空中で軌道を変えながら、母子の逃げ場を塞いでいく。

ミユウの顔がわずかに歪んだ。

全開放した力は美しかった。だが、身体が耐えている音も、俺には聞こえた。羽の根元から光が溢れるたび、彼女の肩が小さく跳ねる。唇から漏れた息が白くなり、指先の震えをジュリアの手で隠している。

「ミユウ!」

「あなたは、アインを」

「俺も行く!」

俺は一歩踏み出した。床の裂け目を越えた瞬間、魔王の刃がこちらへも向いた。アインの手が離れそうになり、俺は振り返らずに言った。

「アイン、下がれ」

「いや」

「下がれ!」

「パパ、いかないで!」

足が止まりかけた。

その一言で、胸の奥を掴まれた。アインの声は強くなかった。泣き声が混じり、幼い指が布にしがみつき、靴の先が床に擦れている。頼もしい勇者として前へ出ようとしていたのに、父を止める手は五歳のままだった。

俺は振り返り、アインの頭に手を置いた。

「すぐ戻る」

嘘にしたくなかった。だが、今の俺に言える言葉は、それしかなかった。

アインは何度も首を振った。

「パパ、こっち」

「アイン」

「こっち、いて」

喉が詰まった。俺は手を離し、剣を構えた。離した瞬間、掌に残った小さな髪の感触が消えず、胸の奥で鈍く沈んだ。

魔王の刃が落ちる。

ミユウの光輪が受け止めた。白と黒が噛み合い、玉座の間全体が軋む。ジュリアはミユウの腕の中で顔を上げ、小さな手をもう一度前へ伸ばした。

「ママ、もういっこ」

「うん。少しだけ」

「おにぃちゃん、いたいの、やだ」

「うん」

ミユウは頷き、額をジュリアの髪に触れさせた。その短い間だけ、ふたりの光が重なった。母の大きな天柱の矢、そのそばに灯る小さな矢。並んだ二本は、さっきよりも近く、一本の弦に番えられたように震えた。

魔王が右手を握った。

黒い刃が砕け、破片が蛇のようにうねって、ジュリアの足元へ回り込む。狙いはミユウではない。幼い光の根を断つため、闇は低く、床を這って進んだ。

「ジュリア!」

俺は踏み込んだ。アストラルフレイムを横薙ぎに振り、床を走る闇を焼く。炎が黒い蛇を断ち、焦げた匂いが鼻を刺した。足元が崩れ、膝が折れそうになる。

アインが俺の背中にぶつかった。

「パパ!」

「来るなって言っただろ!」

「やだ!」

短い声が背中に貼りついた。小さな手が俺の服を掴み、震えながらも離れない。叱る言葉が出なかった。俺は片腕でアインを庇い、剣の炎を前へ押し出した。

魔王の目が細くなった。

「勇者の子か。父の背で震えるだけなら、今ここで終わらせてやる」

黒い指がアインへ向く。

俺はアインを後ろへ押し、剣を立てた。間に合うかどうかではない。間に合わせるしかなかった。

だが、その刹那、ジュリアの矢がもう一度走った。

ミユウの天柱の矢が魔王の腕を押さえ、ジュリアの細い光が指の付け根を射抜く。黒い手が弾かれ、狙いが逸れた。闇の弾は俺たちの横をかすめ、床に深い穴を空ける。

熱い風が頬を裂いた。

アインが俺の背中で息を呑む。俺はその音を聞きながら、魔王を睨んだ。今の光がなければ、アインの身体はあの黒に呑まれていた。五歳の娘の手が、五歳の息子の命を、俺の届かないところで引き戻した。

喜べるはずがなかった。

誇れるはずもなかった。

俺は父親なのに、守られている。

「ミユウ、ジュリア……」

声が掠れた。

ミユウは振り返らない。ジュリアも振り返らない。ふたりの小さな影と白い羽が、魔王の黒の前に立っている。俺の剣より先に、俺の悔いより深く、ふたりの光が玉座の間を裂いていた。

魔王がゆっくりと胸を押さえた。

ジュリアの矢が射抜いた赤い紋から、白い光が漏れている。ほんの小さな傷だ。けれど魔王はその傷を指でなぞり、赤い目をさらに濃く燃やした。

「その光、気に入らぬ」

床が沈んだ。

玉座の下から、巨大な黒い円が開く。そこに刻まれた無数の影が、歯のように噛み合い、ミユウたちの足元を囲んだ。光輪が軋み、天柱の矢が揺らぐ。ジュリアの手が下がりかけ、ミユウがすぐに抱き寄せた。

「ママ、こわい」

「手、ここ」

ミユウはジュリアの手を自分の胸に押し当てた。ジュリアはぎゅっと握り返す。小さな指が白い布を掴み、そこからまた細い光が滲んだ。

アインが俺の横に並ぼうとした。

「アインも」

「だめだ」

「やる」

「だめだ!」

俺は怒鳴った。アインの目が丸くなる。すぐに後悔が喉を塞いだ。違う。怒鳴りたいんじゃない。前へ出したくないだけだ。小さな手を、あの黒に向けさせたくないだけだ。

アインは唇を曲げ、涙をこぼしながらも、魔王を見た。

「ママと、ジュリアだけ、やだ」

その言葉は刃にならなかった。祈りにもならなかった。ただ、子供の声のまま俺の胸を突いた。

俺は剣を下げず、片手でアインの肩を抱いた。

「一緒にいる。けど、前には出るな」

アインは小さく頷いた。頷きながら、服を掴む指は離さない。

魔王の黒い円から、鎖が上がった。光を嫌うようにねじれた鎖が、ミユウの羽へ絡もうとする。ミユウは天柱の矢を保ったまま、羽を振るって鎖を弾く。一本、二本、三本。弾いた端から、床の闇がさらに鎖を吐き出す。

「ミユウ、もう十分だ!」

俺は叫び、剣を構えて走った。傷の痛みは追いついてこない。床の段差も、崩れた石も、闇の焦げた匂いも、全部が後ろへ流れた。

ミユウの横に立つ。

そのつもりで踏み込んだ俺の前に、魔王の影が壁のように立ち上がった。アストラルフレイムを叩きつける。炎が影を裂く。裂け目の向こうで、ミユウがこちらを見た。

「あなた、来ないで!」

「行く!」

「アインを連れて!」

「もう、見てるだけは無理だ!」

俺の声と同時に、魔王の鎖が一本、ミユウの羽の根元を掠めた。白い光が散り、ミユウの肩が落ちる。ジュリアが小さく叫び、ミユウの首にしがみついた。

「ママ!」

「平気」

ミユウは短く答え、ジュリアを抱え直した。だが、羽の一枚が床へ落ちる。光でできた羽は石に触れた瞬間、薄い音を残して砕けた。

俺の中で何かが切れた。

アストラルフレイムが燃え上がる。刃の炎は青白く変わり、魔王の影壁を内側から焼いた。俺は肩から突っ込み、裂けた闇を押し広げる。皮膚が焼ける匂いがする。腕の傷が開く。だが、足を止めなかった。

魔王の顔が近づいた。

「遅い」

黒い拳が俺の腹に入った。息が潰れ、背中から床へ叩きつけられる。視界が跳ね、天井の穴と光柱が逆さに揺れた。

アインの声が遠くで弾ける。

「パパ!」

起き上がろうとした俺の胸に、魔王の影が足を乗せた。重い。肋骨が軋み、息が細く途切れる。魔王は俺を見下ろし、口元を歪めた。

「そこで聞け。お前を呼ぶ声を」

黒い鎖が、今度こそジュリアの足元へ伸びた。

ミユウが抱き上げようとするより早く、鎖の先がジュリアの靴に絡みつく。ジュリアの小さな身体が引かれ、ミユウの腕がそれを掴み返した。白い布が裂れ、ジュリアの指がミユウの袖に食い込む。

「ママ、やだ!」

「離さない!」

ミユウの羽が燃えた。 最高天使(イリゼ) の光が、彼女の背中からさらに噴き上がる。天柱の矢は形を崩し、一本の矢ではなく、柱そのものになって魔王へ向かう。

ジュリアも、泣きながら手を伸ばした。

「おにぃちゃん、パパ!」

小さな天柱の矢が、涙の粒と一緒に生まれた。さっきより歪で、短く、先端も震えている。それでも光は魔王へ向いた。

魔王の影が俺の胸をさらに踏み込む。

「消えろ」

ミユウとジュリアの光が放たれた。

白金の柱が黒い円を砕き、ジュリアの細い矢が鎖の中心を射抜いた。鎖が弾け、ジュリアの足が解放される。ミユウはそのまま娘を抱きしめ、羽の全てを前へ傾けた。

魔王が後退した。

一歩。

たった一歩だった。けれど、玉座の段が砕れ、黒い外套の端が光に焼かれた。魔王の胸元から白い煙が上がり、赤い紋の一つが砕けて落ちる。

魔王の顔から笑みが消えた。

「……小娘が」

低い声が玉座の間を擦った。怒りが形を持ち、空気の温度が落ちる。魔王は手を上げ、今までよりも濃い闇を掌に集めた。そこには刃も槍もない。ただ、触れたものを残さない黒い球が膨らんでいく。

ミユウの膝が揺れた。

ジュリアを抱えたまま、彼女はまだ立っている。羽は欠け、光は薄く、頬に汗が伝っている。ジュリアの腕はミユウの首に回り、小さな指が震えたまま離れない。

俺は胸の影を押し返そうと、剣の柄を握った。

動け。

動け。

今度こそ、俺が前へ出ろ。

アインが俺のそばへ走り込んだ。小さな手が、魔王の影に乗せられた俺の腕を掴む。

「パパ、たって」

「アイン、下がれ」

「やだ。たって」

短い声に、涙が混じっていた。俺は歯を食いしばり、アインの手の温度を腕に受けながら、アストラルフレイムを床に突き立てた。

炎が再び上がる。

ミユウがこちらを見た。ジュリアも涙で濡れた顔をこちらへ向けた。アインの指が俺の腕に食い込み、魔王の黒い球が、母子へ向けてゆっくり降りはじめる。

俺は折れた息を喉の奥で掴み、剣を持ち上げた。