作品タイトル不明
第16話 スマホの光で闇オークション大暴れ
俺は闇オークションの控え室の隅で、壁に背中を押しつけて息を潜めていた。
心臓の音が耳元で鳴り響き、鼓膜を震わせる。空気は湿り気を帯び、腐敗した肉と血の混じったような魔力の臭いが鼻腔を灼く。
黒い石壁に埋め込まれた赤い魔晶石が、脈打つように明滅し、俺の影を不気味に揺らしている。
隣の檻では、他の奴隷たちが鎖の音を立ててうめいているが、俺の耳には何も入らない。
ただ、ステージの方から聞こえてくる魔族どもの哄笑と、司会の甲高い声だけが、頭蓋に直接響いてくる。
ステージ中央の檻の中に、ミユウがいた。
小さな体を丸め、膝を抱えて震えている。白いドレスは泥と血で汚れ、銀色の髪が顔に張りついている。
それでも、時折俺の方を盗み見て、唇を噛みしめながら無理に笑おうとする。
その瞳に浮かぶ恐怖と、それでも俺を信じようとする光が、俺の胸をナイフで抉るように痛くする。
あいつは、俺のためにここにいる。
数日前、魔王子ラスフェルの罠。俺たちは完全に追い詰められていた。
ルゥが致命傷を負い、俺の力ではどうにもならない状況。あの時、ミユウは震える声で言った。
「ミユウが……囮になるよ。龍夜くんは、逃げて」
冗談じゃないと思った。でも、ミユウは本気だった。
小学生のような話し方のまま、瞳は揺るがずに決意を宿していた。そして実際に、自らを闇オークションに差し出した。
ラスフェルはそれを 嘲笑(わら) いながら受け入れ、今、ミユウはあの檻の中だ。
「現在の落札額、一億一千五百万魔晶石! まだ上がるか、諸君! この天使の血を引く極上の逸品だぞ!」
司会の悪魔が舌を鳴らしながら煽る。客席から次々と札が上がる。一億二千万、一億三千万……。数字が跳ね上がるたび、俺の喉が締め付けられ、息が苦しくなる。
このままじゃ、ミユウはラスフェルの手に落ちる。あの九百年前にルゥの家族を皆殺しにし、ミユウに消えないトラウマを刻み込んだ怪物に。
背後で、ルゥの息遣いが荒い。孤高の大天使長は、普段は感情を殺した氷のような男だ。
でも今は、翼の羽根が微かに震え、握りしめた拳から血が滴っている。黄金の瞳に、殺意が渦巻いている。
「……もう限界だ。俺が突っ込む」
低く、掠れた声。俺は必死に首を振った。
「待て、ルゥ! 無茶だ! お前が死んだら、ミユウは……」
言葉が詰まる。ルゥが死ねば、ミユウは一生自分を責めるだろう。あの小さな体で、ずっと泣き続けるだろう。
でも、他に方法がない。強行突破すれば、ミユウが人質に取られる。ラスフェルはそれを待っている。あの蛇のような笑みを浮かべて。
俺は震える手でポケットに手を入れ、スマホを取り出した。
地球から持ってきた、最後の切り札。異世界に来てから充電できず、残量はわずか五パーセント。画面に赤い警告が点滅している。
命の次に大切なものだ。家族の写真、友達との動画、くだらないゲームのセーブデータ──そして、あの連載中止になった、 剛田唱(ごうだしょう) の電子漫画。
指が冷たくて、うまくタップできない。何度も滑る。心臓が喉から飛び出しそうだ。失敗したら? 魔族どもが騙されなかったら? ミユウは永遠に……。
いや、考えるな。やるしかない。
深く息を吸い、俺は立ち上がった。
会場がざわつく。人間の俺が控え室から出てきたことに、魔族どもが気づく。
数百の視線が一気に突き刺さる。殺意、好奇、嘲笑──すべてが混じった重い圧力が、俺の体を押し潰そうとする。
「おい、司会!」
声が裏返った。喉がカラカラだ。でも、叫んだ。
「その商品、待った! 俺が……もっと価値のあるものを見せてやる!」
スマホを高く掲げ、フラッシュを最大にし、動画を再生し始めた。
最初は花火大会。夜空に巨大な光の花が咲き乱れ、轟音が響く。
会場が、息を呑んだ。
次にアイドルのライブ。数万人の歓声、きらめくライト、可愛いダンス。
「な……なんだ、これは……」
最初の一人が呟いた。それが合図だった。魔族どもがどよめき、立ち上がる。
「光の箱が……生きている!?」
「動く絵だ! こんな魔法は……! 」
「神器か!? 神の秘宝だ! 」
興奮が感染する。サキュバスが恍惚とした表情で身を乗り出し、オークの巨漢が口をあんぐり開ける。司会すらマイクを落としそうになりながら固まっている。
でも、まだ足りない。もっと、もっと気を逸らさなきゃ。
俺は声を限界まで張り上げた。
「これが欲しいなら、そこの娘なんか捨てて、こっちに金を積め! 三億? 五億でも安い! 地球の奇跡だ! 見てみろ、新幹線だ! 」
新幹線の動画。時速三百キロの銀色が大地を疾走する。次に猫の動画、ゲームのトレイラー、ネオン輝く夜の街──俺は次々と切り替え、フラッシュを焚きまくり、スマホを振り回した。
客席が完全に沸騰した。誰もが俺に夢中だ。ステージの檻のことなど、頭から飛んでいる。落札の声すら聞こえない。
今だ。
ルゥが動いた。翼が無音で広がり、光に包まれて一瞬でステージへ。光の剣が閃き、檻の鍵が溶断される。鉄格子が崩れ、ルゥはミユウを抱き上げた。
「ルゥ……っ! 」
ミユウの声が、掠れて震えている。涙が溢れ、ルゥの服を濡らす。
その瞬間、俺の胸が張り裂けそうになった。あいつ、無事だった。
でも、まだ終わらない。
魔族の一人が、ようやく異変に気づいた。
「待て……商品が! 」
司会が絶叫する。
「奪うな! 止めてくれ!! 」
客席が一気に騒然となる。怒りの咆哮が巻き起こり、闇の呪文が唱えられ始める。無数の黒い矢が、俺たちに向かって放たれる。
ルゥが翼を広げ、光の障壁を展開。矢が弾け、火花が散る。でも、障壁に亀裂が入り始めている。魔族の数が多すぎる。
「龍夜くん! 早く! 」
ミユウの叫びが、俺の背中を押す。
俺は全力でステージへ駆け出した。足がもつれそうになる。スマホの電池が三パーセント、二パーセント……。フラッシュを最後に強く焚き、煙幕のように光を撒き散らす。
魔族の呪文が障壁を貫き、俺の肩をかすめた。熱い。血が滲む。でも、止まれない。
ステージに到達。ミユウが俺に手を伸ばす。
「龍夜くん……! 」
その小さな手を、俺は必死に掴んだ。冷たくて、震えている。でも、力強く握り返してくる。
「もう大丈夫だ……絶対、連れて帰る」
ルゥが頷き、三人で会場を飛び出した。背後でラスフェルの声が、冷たく響く。
「逃がさん……救世主よ。貴様の大切なものを、すべて奪ってくれる……」
その声に、ミユウの体がびくりと震えた。昔のトラウマが蘇ったんだろう。俺は手を強く握り直した。
通路を疾走する。魔族の追手が迫る足音。呪文の爆音。壁が崩れ、瓦礫が降ってくる。ルゥが光の剣で道を切り開く。
出口が見えた。夜の闇が、俺たちを迎える。
スマホの画面が、完全に暗くなった。電池ゼロ。最後の光が消える。
俺はそれをポケットに押し込み、ミユウの手を離さなかった。
外に出た瞬間、冷たい夜風が頰を打つ。アストリアの二つの月が、雲の切れ間から覗いている。
ミユウが、ようやく泣き崩れた。
「ミユウ……怖かったよぉ……もう、嫌だよぉ……」
俺とルゥにしがみつき、小さな体を震わせて泣く。
俺はただ、頭を撫で続けた。言葉が出てこない。喉が熱い。
ルゥが、静かに言った。
「……ありがとう、龍夜。お前の命懸けの機転がなければ、俺たちは……」
言葉を飲み込む。珍しく、声が震えていた。
俺は苦笑いした。
「スマホは死んだよ。あれが、最後の電池だった」
ミユウが顔を上げ、涙でぐしゃぐしゃの顔で叫んだ。
「え……!? 龍夜くんの大事な大事な光の箱が!? ミユウのせいで……ごめんなさい、ごめんなさい! 」
「違う。お前のせいじゃない。俺が、使いたかったんだ」
本当だ。ミユウを助けるためなら、何だって失くしてもいい。スローライフなんて、とうに諦めていた。でも、今はそれでいいと思った。
背後でオークション会場が爆音とともに崩れ始める。ラスフェルの怒りが、建物ごと破壊しているのかもしれない。
俺たちはさらに闇に紛れ、逃げ続けた。追手はまだ来るだろう。ラスフェルは諦めない。
でも、今はこの手が繋がっている。それだけで、俺はまだ戦える。
ミユウの小さな手が、俺の手を温めていた。
心臓はまだ激しく鳴っている。恐怖も、痛みも、消えない。でも、ミユウの体温が、それを少しずつ溶かしていく。
俺は空を見上げた。アストリアの星空は、地球とは違う。でも今は、それが少しだけ、希望に見えた。