軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第15話 ミユウの涙ーー俺は許さない

俺はリヴァ川の畔で意識を取り戻した。

最初に襲ってきたのは、頭蓋の奥を鈍く抉る痛みだった。

まるで誰かに鉄の杭を打ち込まれたような、吐き気を伴う重苦しさ。

次に舌の上に広がる、腐った草のような苦みとねばつき――睡眠薬の残滓だ。

体が沈む。指一本動かすのも億劫で、全身が冷たい泥の中に埋められたような無力感に包まれる。

魔力が完全に封じられている。いつも体内を巡っていた熱い流れが、今は一滴すら感じられない。

薄暗い洞窟の空気は湿り気を帯びて重く、鼻の奥にカビと血の混じった臭いが絡みつく。

水滴が岩からぽたり、ぽたりと落ちる音が、まるで俺の心臓の代わりに時を刻んでいる。遠くの松明がゆらめき、壁に踊る影が不気味に蠢く。

俺は粗末な毛布の上に転がされ、這うようにして体を起こそうとするが、膝が笑って崩れ落ちる。

「龍夜くん……ごめんね……」

その小さな、か細い声が耳に突き刺さった。震えが止まらない、掠れた声。俺は必死に首を捩り、声の主を探す。

鉄格子の向こうに、ミユウがいた。

いつもはぱたぱたと跳ね回り、俺の腕にしがみついて「龍夜くん!」と呼び捨てにして笑うあの子が、今は膝を抱えて丸くなり、肩を小刻みに震わせている。

銀髪が乱れ、顔は血の気が引いて青白い。大きな瞳は涙で潤み、頬を伝う雫がぽたりと床に落ちる。

俺の胸が、ぎゅっと締めつけられるような痛みに襲われた。

「ミユウ……!」

名前を呼ぶだけで喉が熱くなる。俺は這いずりながら格子に近づき、冷たい鉄を握りしめた。

指が震える。ミユウはゆっくり顔を上げ、唇を噛みしめて俺を見た。涙が止まらず、睫毛に絡まって零れ落ちる。

「龍夜くん……ミユウ、龍夜くんを守るために……ラスフェル様の言うこと聞いちゃった。闇オークションに出されるって決めたの。ミユウの癒しの力、悪魔族に売られるんだって……だから、龍夜くんは逃げて……お願い……」

その一言一言が、俺の心臓をナイフで抉るように刺さった。

ミユウが、俺のために自分を犠牲にしようとしている。

いつも無邪気に笑い、危険な旅の最中でも俺の手を握って「一緒にいこうね!」と言ってくれたあの子が、今はただ震えて、俺に「逃げて」と懇願している。

許せない。

胸の奥で、何かが爆発しそうになる。怒りじゃない。もっと熱くて、苦くて、切ない感情だ。

ミユウをこんな目に遭わせた自分への苛立ち、守れなかった無力感、そして何があっても取り戻したいという、焼けつくような想い。

そして――ラスフェル。

900年前にルゥの家族を惨殺し、幼いミユウの心に消えない傷を刻み込んだ魔王子。

あの名前を思い浮かべるだけで、俺の血が沸騰し、血管が張り裂けそうだ。

洞窟の奥から、ゆっくりと足音が近づいてきた。松明の炎に照らされて、長い影が壁を這うように伸びる。

現れたのは、黒いマントを羽織った長身の男。銀色の髪、美しい顔立ち――だが、瞳だけが違う。底なしの冷たさと残酷さを湛えた、蛇のような目。

魔王子ラスフェル。

奴はまず、ミユウの鉄格子の前で立ち止まった。そして、甘く、ねっとりと、まるで古い傷を撫でるような声で言った。

「久しぶりだな、ミユウ」

ミユウの体がびくりと跳ねた。小さな手で耳を塞ぎ、顔を伏せて肩を震わせる。あの声が、昔の悪夢をすべて呼び起こしている。

ミユウの呼吸が荒くなり、嗚咽が漏れる。俺は格子を握る手に力を込め、鉄が軋む音がした。指の関節が白くなる。

次に、ラスフェルは俺の方へ視線を移した。口元に薄く、楽しげな笑みを浮かべる。

「ようやく目覚めたか、異世界から来た救世主よ」

その嘲笑混じりの声に、俺の怒りがさらに煽られる。体を起こそうとするが、薬の重さがまだ残り、膝が崩れる。

「ミユウを……返せ……!」

掠れた、怒りと悔しさで震える声。ラスフェルはくすりと笑った。

「返せ? 彼女は自ら従ったのだよ。お前たちの大事な幼なじみも、すでに私の手に落ちている」

指を鳴らすと、部下が奥から現れ、気を失ったルゥを引きずってきた。

白い羽衣は血と泥にまみれ、片翼が不自然に折れ曲がっている。

いつも冷静で、俺たちを見守るような目をしたあいつの顔が、今は苦痛に歪んでいる。血がぽたぽたと床に落ち、赤い染みを作る。

その光景を見た瞬間、俺の胸の奥で何かが音を立てて砕けた。

ルゥが……こんな目に。

ミユウが……泣いている。

俺が……何もできない。

悔しさ、怒り、無力感、全部が混じり合って、喉の奥が熱くなる。目頭が焼けるように痛い。

涙じゃない。絶対に泣かない。でも、心が張り裂けそうだ。

ブラックツインベアとの戦いで上がった戦闘力10。それが今、俺の中で熱く脈打っている。

怒りが、薬の霧を少しずつ溶かしていく。体が熱い。血管を流れる血が、煮えたぎるように感じる。

俺は必死に魔力を巡らせた。封印を破ろうと、全身全霊で抗う。額に汗が滲み、息が荒くなる。

ラスフェルは面白そうに俺を見下ろした。

「無駄だ。私の睡眠薬は完璧だ。天使長クラスの魔力すら完全に封じる。君のような新米救世主に解けるものではない。ただ、黙って見ていればいい。明日の闇オークションで、この娘はとてつもない高値で売れる」

ミユウが、涙でぐしゃぐしゃの顔で俺を見た。

「龍夜くん……もういいの。ミユウは、龍夜くんが無事なら……それで……」

その言葉が、俺の心をさらに深く切り裂いた。

ダメだ。

絶対にダメだ。

ミユウの笑顔を、俺は守りたいと思った。あの子の手を握って、ラステルまで一緒に歩きたいと思った。

危険な旅でも、ミユウがいるから楽しかった。ルゥがいるから安心できた。

それを、全部奪われるなんて、絶対に許さない。

「ふざけるな……!」

俺は吼えた。声が洞窟の壁に反響し、水滴の音をかき消す。

「お前を助けるって決めたんだ! 絶対に、連れてく! 誰にも……誰にも渡さねえ!!」

怒りと想いが爆発する。薬の効果を焼き払うように、魔力が少しずつ戻ってくる。

指先が痺れ、拳が握れる。俺は剣のない手で床を叩き、ラスフェルに向かって体を起こした。

だが、まだ足りない。ラスフェルが指を鳴らすと、闇の鎖が床から這い上がり、俺の体を再び押しつけた。冷たく重い鎖が、骨に食い込む痛み。

「ほう、少しは抗えるようになったか。面白い」

ラスフェルは満足げに笑い、ミユウに視線を戻した。

「ミユウ、お前は昔からそうだ。周りを守るために、自分を犠牲にする。おかげで今も、こうして私の手に落ちてくれる」

ミユウが小さく首を振り、嗚咽を漏らす。

ラスフェルは踵を返し、部下に命じた。

「監視を厳重に。救世主が暴れても、すぐに抑え込め」

足音が遠ざかる。松明の火がゆらめき、影が長く伸びる。静寂が戻り、ミユウの小さな泣き声だけが洞窟に響く。

俺は床に這いつくばり、歯を食いしばった。悔しさで喉が詰まる。涙が零れそうになるのを、必死に堪える。

(待ってろ、ミユウ……)

心の中で、何度も何度も繰り返す。

(絶対に助ける。絶対に、お前を連れ戻す)

この怒り、この痛み、この想い――全部、力に変えてやる。

ミユウの泣き声が、俺の心に突き刺さるたび、俺の決意はさらに強くなる。

洞窟の闇の中で、俺の瞳だけが、燃えるように輝いていた。

まだ、終わらない。

俺たちの旅は、ここで終わるはずがない。

ミユウの笑顔を、ルゥの穏やかな声を、もう一度取り戻すために。

俺は静かに、でも確実に魔力を巡らせ続けた。

水滴の音が、まるで残された時間を刻むように響く。

でも、俺は諦めない。

絶対に、諦めない。