作品タイトル不明
第104話 守るために、立つ
アシュラ島の港に、俺たちの船がようやく 辿(たど) り着いたのは、朝霧がまだ海面を薄く 覆(おお) っている時間だった。
白く 霞(かす) んだ景色の向こうで、木の 桟橋(さんばし) がゆっくりと姿を現す。波が船腹を 撫(な) でるたび、規則的な水音が静かに響き、長い航海の終わりを告げていた。
湿った潮風が 頬(ほお) をかすめる。鼻の奥に残る塩の匂いが、この場所が“海の町”であることを強く主張していた。
「……着いたな」
小さく息を吐いてから、俺は 船縁(ふなべり) を越えて桟橋へと降り立つ。足の裏に伝わる木の 軋(きし) みが、やけに現実味を帯びていた。
振り返り、手を差し出す。
「ミユウ、気をつけろ」
「ええ、ありがとう」
彼女は俺の手を取って、ゆっくりと船から降りてくる。銀色の髪が朝の湿った風に揺れ、頬に張り付く様子がどこか 儚(はかな) くて、思わず見入ってしまう。
変わらない。いや――変わらず、綺麗だ。
その穏やかな表情を見るだけで、胸の奥に溜まっていた緊張がすっと解けていく。
「無事に着きましたね……ここが、アシュラ島」
「ああ」
短く頷きながらも、俺は周囲に視線を 巡(めぐ) らせる。
港はすでに動き始めていた。網を引く漁師、荷を運ぶ男たち、朝市の準備をする女たち。活気に満ちた光景が広がっているのに――どこか、妙な違和感があった。
その違和感の正体を 掴(つか) めないまま、俺はふと足元へ視線を落とす。
「わあ……すごいね!」
「おさかな、いっぱいのにおい!」
アインとジュリアが、目を輝かせながら辺りを見回していた。
五歳の兄妹は、長い船旅の疲れなんてどこ吹く風だ。むしろ、新しい景色に心を弾ませている。
アインが俺の袖を引く。
「ねえパパ、ここっておしろあるの? ぼく、おしろみたい!」
その期待に満ちた声に、思わず口元が 緩(ゆる) む。
「さあな。あるかもしれないし、ないかもしれない。でも、探してみる価値はあるな」
「ほんと!? やった! 」
隣でジュリアがミユウのスカートの 裾(すそ) をぎゅっと 掴(つか) む。
「ママ、しょっぱいにおいする~」
「ふふ、海のにおいよ。少し強いかもしれないわね」
くすくすと笑うミユウ。その穏やかな声に、子供たちの緊張もすぐにほどけていく。
……この光景を守りたい。
それだけで、俺はここにいる。
世界を救うつもりなんて、最初からなかった。
ただ――この手の中にあるものだけは、絶対に 離(はな) さない。
それだけだ。
石畳(いしだたみ) の道へと足を踏み出すと、ひんやりとした感触が靴越しに伝わってくる。 朝露(あさつゆ) に濡れた石が、微かに滑りやすい。
遠くから聞こえる掛け声と、魚を焼く香ばしい匂いが混ざり合い、この街の“日常”を形作っていた。
だが、俺の目的は観光じゃない。
――神殿。
――宝玉。
それがどこにあるのかを、突き止める必要がある。
俺は市場の露店に立つ女性に声をかけた。
「すみません。この島に、古い神殿があるって聞いたんですが……心当たり、ありませんか?」
女は一瞬だけ俺を見つめ、それから曖昧に視線を 逸(そ) らす。
「神殿? さあねぇ……聞いたことないね」
言い方が、妙に軽い。
まるで、本当に知らないというより――“ 触(ふ) れたくない”という感じだ。
俺は別の男にも声をかける。
「宝玉が 祀(まつ) られてる場所とか――」
「知らねえな」
食い気味に返された。
早すぎる。
考える間もなく否定されたような、不自然さ。
ミユウも隣で何人かに尋ねていたが、返ってくる答えは同じだった。
――知らない
――見たこともない
だが、そのたびに人々は視線を逸らす。
まるで、何かを 隠(かく) すように。
空気が、少しずつ重くなっていく。
「……あなた」
ミユウがそっと俺に寄り添う。
「みんな、同じことを言いますね。偶然……とは思えません」
「ああ」
俺は小さく頷いた。
「隠してる可能性が高いな。でも――理由がわからない」
ただの神殿の話にしては、妙に警戒されすぎている。
何かある。
確実に。
その間も、後ろでは子供たちが遊んでいた。
「見てジュリア、これ草! 」
「わあ、ふわふわ! 」
無邪気な声が響く。
その声が、胸の奥を温めると同時に――
“守らなきゃいけない”という感情を、より強くした。
数時間、街を歩き回った。
酒場の主人、市場の商人、道端で休む老人……誰に聞いても同じ答えだった。
俺の胸に、じわじわと 苛立(いらだ) ちが 募(つの) る。
ミユウはそんな俺の手を、そっと 握(にぎ) る。
その温もりが、わずかに心を落ち着かせた。
「パパ、つかれた? 」
アインが俺を見上げる。
「ジュリアとおんぶしてあげる! 」
「ママも! 」
思わず苦笑が漏れる。
「それは逆だろ」
そう言いながら、二人を抱き上げる。
軽い。けれど、その重みが確かな現実だった。
ミユウが隣で微笑む。
「少し休みましょうか」
「ああ」
木陰に腰を下ろす。
葉が 擦(こす) れる音と、遠くの波の音。
ほんのわずかな、安らぎ。
――だが。
「……見つけたぜ」
低い声が、静寂を 裂(さ) いた。
路地の奥から現れた三人の男。
その視線は、迷いなく子供たちへ向いていた。
「いい子だな。ちょっと来いよ」
手が伸びる。
その瞬間、俺の体は勝手に動いていた。
「触るな! 」
腕を払い、アインを引き寄せる。
拳を叩き込む。
鈍(にぶ) い衝撃。 呻(うめ) き声。
ミユウがジュリアを抱えて下がる。
次の男が棒を振り上げる。
それを掴み、ねじり、蹴り飛ばす。
もう一人の顔面に 肘(ひじ) を叩き込む。
短い戦いだった。
男たちは地面に転がり、 這(は) うように逃げていく。
息を整えながら、俺は子供たちを抱きしめた。
「……大丈夫だ」
震える体。
その温もりが、胸に染み込んでくる。
「パパ……こわかった……」
「ああ。もう大丈夫だ」
ミユウがそっと手を重ねる。
「ありがとう……」
その声が、心を静かに落ち着かせる。
だが――次の瞬間。
ざわめきが広がった。
「あの人たちよ……! 」
「黒髪の男と銀髪の女……! 」
「魔王の――! 」
言葉が、耳に刺さる。
そして。
「動くな! 」
鎧の音とともに、警備隊が現れる。
「誤解だ、俺たちは――」
「黙れ! 」
鋭い声。
「お前たちは魔王復活の共犯者として手配されている!」
意味がわからない。
だが、周囲の視線はすでに敵だった。
ミユウの手が離れる。
「あなた……! 」
「パパ! 」
「ママ! 」
引き 裂(さ) かれる感覚。
押さえつけられる体。
膝が石畳に打ち付けられる。
冷たい。
やけに冷たい。
視界の端で、家族が遠ざかる。
届かない。
手が、届かない。
そのまま俺は縄で縛られ、牢へと連れていかれた。
石造りの牢。
湿った空気。
鉄格子の向こうのわずかな光。
扉が閉まる音が、重く響く。
壁に背を預け、息を吐く。
胸の奥で、何かが燃えていた。
怒りじゃない。
焦りでもない。
――決意。
ミユウ。
アイン。
ジュリア。
絶対に守る。
こんなところで、終わるわけにはいかない。
どんな誤解でも。
どんな敵でも。
全部、乗り越えて――
必ず、あいつらの元へ戻る。