軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第103話 もう離さない

俺は船の 甲板(かんぱん) に立っていた。

激しい風が横殴りに吹きつけ、雨が容赦なく顔を叩く。海は荒れ狂い、黒い波が 船体(せんたい) を激しく揺さぶっている。

足元が大きく傾き、濡れた板が滑りやすい。塩の匂いが強く鼻を刺し、波しぶきが口の中にまで入り込んで、苦い味が広がる。耳元では風の 咆哮(ほうこう) と、帆が激しく鳴る音が絶え間なく響いていた。

カイデンを倒したはずだった。ジュリアを無事に取り戻した瞬間、ほんの一瞬だけ 安堵(あんど) が胸をよぎった。

だが、それは甘かった。

カイデンの 巨体(きょたい) が、再びゆっくりと立ち上がる。

黒い霧のようなオーラが彼の周囲を渦巻き、傷ついたはずの体が力を取り戻していく。

ジュリアの小さな体が、再び彼の太い腕に捕らえられている。

彼女の銀色の髪が雨に濡れ、幼い顔に恐怖の色が浮かんでいる。船の揺れに合わせて、彼女の体が小さく震えていた。

「また……お前か」

俺は低く呟き、アストラルフレイムを握り直した。掌に伝わる剣の冷たい感触が、わずかに俺を落ち着かせる。

だが、心臓はまだ激しく鳴り続け、雨水が目に入りそうになるのを乱暴に腕で拭った。甲板の板が波の衝撃で軋む音が、足の裏から伝わってくる。

カイデンの声が、嵐の音にかき消されそうになりながらも響く。

「龍夜よ。お前は確かに強かった。だが、まだ終わっていない。この子をもう一度、 人質(ひとじち) に取る。もう一度、お前を弱らせるまで戦おうではないか」

ジュリアの小さな手が、必死にカイデンの腕を掴もうとしているのが見えた。

彼女の瞳が、俺の方を向く。怯えながらも、どこかで俺を信じているような光が、そこに宿っていた。

俺の胸に、熱いものが込み上げてくる。世界を救うつもりなど、なかった。ただ、彼女だけは守りたい。

それだけだったのに、なぜこんなことになる。ミユウの優しい笑顔、アインの無邪気な声、ジュリアの小さな手…… 家族(かぞく) を守るためだけに、俺はここに立っている。

風がさらに強くなり、船が大きく傾く。俺は足を踏ん張り、濡れた甲板にしっかりと体重を乗せた。冷たい雨が首筋を伝い、服の内側まで染み込んで体を冷やす。

「放せ、カイデン」

声が自然と低くなる。剣を構え、足を踏みしめた瞬間、甲板の板が波の衝撃で跳ね上がる感触が伝わってきた。

海の荒波が 船腹(せんぷく) を叩く重低音が、腹の底まで響く。

カイデンが嘲るように笑う。

「ほう、まだ戦う気か。良いだろう。だが、この子がどうなるか……お前次第だぞ」

その言葉が、俺の 理性(りせい) に火を点けた。

「これ以上邪魔をするな!」

俺は叫びながら、剣を振り上げた。

「魔王が復活したら、お前たち家族も終わりなんだぞ!」

アストラルフレイムが、剣身に宿る。青白い炎が激しく燃え上がり、雨を蒸発させながら周囲の空気を震わせる。

炎の熱が俺の顔を炙り、 轟音(ごうおん) が風の咆哮に負けじと響く。

俺は一気に間合いを詰め、剣を 横薙(よこな) ぎに振るった。炎の軌跡が、雨のカーテンを切り裂き、カイデンに向かって奔る。

船が大きく揺れ、俺の足元が滑る。カイデンがジュリアを抱えたまま、後ろへ跳ぶ。甲板が激しく軋み、黒い衝撃波が俺の炎とぶつかり、爆音を上げて弾け飛んだ。

衝撃で体が後ろに押され、背中が船の 欄干(らんかん) にぶつかる。木の硬い感触と、冷たい雨が一気に背中を襲う。

だが、俺は歯を食いしばって耐えた。

時折、胸の奥で発作が起きる。視界がぼやけ、息が詰まるような感覚。

体の中の何かが、俺を引きずり込もうとする。だが、ジュリアの顔を思い浮かべるたび、それをかき消す。

(ジュリア……お前だけは、絶対に守る)

俺は剣を握る手に力を込め、再び突進した。アストラルフレイムが唸りを上げ、風と雨を切り裂く音が耳に心地よい。

カイデンの攻撃をかわし、剣先を彼の肩に向ける。刃が肉を裂く感触が手に伝わってくる。黒い血が雨に混じって飛び散り、甲板に染みる鉄のような匂いが鼻を刺激した。

カイデンが唸る。

「まだまだだ!」

彼の拳が、俺の腹にめり込む。 内臓(ないぞう) が揺さぶられるような衝撃。

口の中に血の味が広がり、雨水と混じって喉を焼く。

俺はよろめきながらも、剣を振り上げて応戦した。船の揺れが激しくなり、足元が不安定だ。

その時、船の後方から銀色の光が射した。

ミユウだ。

彼女の銀髪が、激しい雨の中で美しく濡れ光っている。優しい顔立ちに、決意の色が浮かんでいる。

手に持った弓が、天柱の矢を番えている。風に煽られながらも、彼女の姿勢は揺るがない。

「あなた……!」

ミユウの声が、嵐の音を突き抜けて俺の胸を温かくする。彼女は迷わず矢を放った。光の矢が、雨を貫き、カイデンに向かって一直線に飛ぶ。

俺はそれに合わせ、アストラルフレイムを大きく振りかぶり、叫んだ、

「 星嵐剣(せいらんけん) !」

剣から放たれた星の嵐が、 天柱(てんちゅう) の 矢(アストロアロー) と重なる。光と炎が融合し、巨大な輝きとなってカイデンを包み込んだ。爆音が船全体を震わせ、甲板が激しく鳴る。風圧で俺の黒い髪が激しく乱れ、雨が一瞬止んだかのように感じられた。

カイデンが、膝をつく。

彼の体から黒いオーラが剥がれ落ち、雨に溶けていく。ジュリアが、その腕から解放され、小さな体が甲板に落ちそうになる。俺は慌てて駆け寄り、彼女を抱きとめた。

ジュリアの体は小さく、冷たい雨に濡れながらも温かかった。

幼い心臓の鼓動が、俺の胸に伝わってくる。彼女の銀髪が、俺の頰に触れ、雨の冷たさと混じった柔らかい感触がする。涙で濡れた頰が、俺の服に染みる。

「ジュリア……」

俺は彼女を抱きしめ、声を震わせた。風がまだ強く吹き、雨が二人の体を叩き続ける。

カイデンが、ゆっくりと顔を上げる。息が荒く、肩が上下している。彼の目には、初めて認めるような光が宿っていた。

「龍夜……お前は、 肉体的(にくたいてき) にも 精神的(せいしんてき) にも、想像以上に強かった。家族を守るその 執念(しゅうねん) ……認めざるを得ない」

彼の声は低く、だがどこか穏やかになっていた。

ジュリアを完全に解放し、ゆっくりと後ずさる。船の揺れに合わせて、彼の巨体が甲板を踏みしめる音が響く。

俺はジュリアを抱いたまま、立ち上がった。ミユウがそっと傍らに寄り添う。

彼女の銀髪が風に揺れ、雨に濡れた優しい香りが、わずかに漂う。

「必ず……宝玉を取り戻す。 魔王(まおう) の復活を、阻止する。それを約束する」

俺はカイデンに向かって、はっきりと言った。声に、迷いはなかった。ジュリアの小さな手が、俺の服をぎゅっと掴む。その感触が、俺の決意をさらに固くする。

カイデンが、静かに頷く。

「ならば、信じよう。……この子を、連れて行け」

彼はそう言い残し、黒い霧の中に身を溶かしていく。

嵐の海に、再び波の音だけが残された。風はまだ強いが、少しずつ勢いを弱め始めているように感じられた。

俺はジュリアを強く抱きしめた。彼女の体温が、冷えた体に染み込んでくる。幼い息遣いが、耳元で感じられる。雨がまだ降り続いているが、それすらも今は優しく思えた。

「もう二度と、離さない。絶対に」

俺はジュリアの耳元で、静かに誓った。彼女の小さな手が、俺の背中に回される。温かくて、柔らかくて、守るべきもののすべてが、そこにあった。

ミユウが、そっと俺の肩に手を置く。

「あなた……お疲れ様」

彼女の声は優しく、俺の心を癒す。銀髪が風に舞い、嵐の船の上でも美しく輝いていた。

俺は目を閉じ、家族の温もりを全身で感じた。世界など、どうでもいい。ただ、この瞬間、この家族だけを守れれば。それだけで、俺は十分だった。