軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第10話 語られた過去

俺はベッドの端に腰を下ろしたまま、部屋の空気が鉛のように重く沈み込むのを感じていた。

アストリアの宮殿最上階にあるこの部屋は、普段は穏やかな風が窓を撫で、遠くの聖山の鐘の音がかすかに届く場所だ。

だが今は違う。窓の外では、夕暮れの空が不自然に早く暗くなり始め、雲が黒く渦を巻いている。まるで何かが迫っている前触れのように。

ミユウが俺のすぐ隣に座っていた。小さな体は膝を抱え、銀髪が肩に落ちて影を作っている。

いつもは跳ね回るような天真爛漫さが、今は完全に消えていた。大きな瞳は俺をまっすぐ見つめているが、その奥に潜む闇が、俺の心臓をぎゅっと締めつける。

「……龍夜くん。ミユウ、話したいことがあるの。」

声はいつもの幼い調子のままなのに、掠れていた。

震えていた。俺は無言で頷いた。喉が乾いて、言葉が出てこない。心のどこかで、聞きたくないと叫んでいた。

でも、ミユウが今話したいというなら、逃げられない。

ミユウは深く息を吸い、膝の上で小さな拳を握りしめた。

「あの日……悪魔族が来たとき、ミユウはルゥの家にいたの。お父さんとお母さんがお茶を淹れてくれて、妹ちゃんがミユウの手を引っ張って遊ぼうって言って……みんな笑ってた。」

彼女の声は静かだった。でも、その静けさが怖い。感情を殺しているのがわかる。

「突然、空が真っ黒になったの。雲が割れて、黒い翼の群れが降りてきて……叫び声が響いて、お父さんが剣を抜いて、ミユウとルゥを奥の部屋に押し込んだ。でも、壁が崩れて……」

ミユウの肩が小刻みに震え始めた。

「お父さんが最初に倒れたの。胸を貫かれて、血がたくさん出て……お母さんが妹ちゃんを抱きかかえて逃げようとしたけど、背中から槍が……妹ちゃんが、ミユウの目の前で、首を……」

声が途切れた。ミユウの瞳に涙が溜まり、頬を伝い落ちる。でも、彼女は泣き声を上げない。ただ、必死に堪えている。

「ミユウは怖くて、最初は何もできなかった。でも、みんなが死にそうになって……神癒の力が、勝手に溢れ出したの。体が熱くなって、光が爆発みたいに広がって……悪魔族を焼き払おうとした。でも、遅かった。」

彼女は両手を広げ、そのときの仕草を再現した。小さな手が震えている。

「光が届く前に、妹ちゃんはもう動かなくなってた。お母さんの手が冷たくなって、お父さんの目が虚ろになって……ルゥが駆けつけたとき、ミユウは血だらけの床に座って、ただ震えてただけ。」

部屋に死のような沈黙が落ちた。俺の耳に、自分の心臓の鼓動だけが異様に大きく響く。息が苦しい。胃の奥が締めつけられるように痛い。

ミユウは俯いたまま、ほとんど囁くような声で続けた。

「ルゥは家族を失って、ミユウを責めなかった。でも、ミユウは自分を許せないの。あのとき、もっと早く力を出せていたら……もっと強ければ……みんな死ななかったのに。だから、ミユウは大切な人を失うのが、死ぬほど怖いの。」

彼女が顔を上げた。涙で濡れた瞳が、俺をまっすぐに射抜く。

「龍夜くんがいなくなったら、ミユウ、どうすればいいかわからない。また一人になって、誰もいなくなって……またあの血の匂いと、冷たい手しか残らなくて……」

その言葉が、俺の胸を抉った。こんな小さな体に、こんな地獄のような記憶を背負わせていたのか。

俺は立ち上がろうとしたが、膝が震えてうまくいかない。異世界に召喚されてから、ずっと現実逃避していた。

救世主だの伝説だの言われても、戦闘力ゼロの俺には他人事みたいだった。美少女勇者パーティーにハーレムされて旅する妄想ばかりして、目を背けていた。

でも、今はもう無理だ。

「……ミユウ」

俺はようやく声を絞り出し、彼女の前に膝をついた。震える手で、小さな肩を掴む。

「俺は……お前がそんな過去を抱えてたなんて、ちゃんと知らなかった。ごめん。救世主として呼ばれるのが嬉しくて、でも本気で向き合ってなかった。」

ミユウが涙まじりの目で俺を見上げる。

「俺は怖い。悪魔族と戦うなんて、想像しただけで吐きそうになる。でも……お前がそんな思いをして、それでも笑おうとしてるなら。」

俺は彼女の頬の涙を拭った。冷たい。でも、少しずつ温かくなっていく。

「俺が守る。二度と、あんな思いはさせない。救世主として、ちゃんと覚醒する。どんなに時間がかかっても、どんなに俺が弱くても……お前を、ルゥを、この世界を、守ってみせる。」

ミユウの瞳が大きく見開かれた。信じられないという表情で、俺を凝視する。

「ほんとに……? 龍夜くん、ミユウのこと……守ってくれる?」

「ああ。約束する。」

その瞬間、部屋の外で爆音のような音が響いた。窓がびりびりと震え、遠くで何かが爆発したような衝撃が伝わってくる。

俺とミユウが同時に窓に駆け寄った。

外の空――さっきまで黒い雲が広がっていた空に、今は赤い光が走っていた。宮殿の結界が、激しく明滅している。遠くの森から、黒い煙が立ち上っている。

「……来た」

ミユウの声が震えた。小さな手が、俺の袖をぎゅっと掴む。

「悪魔族……もう、国境を越えてきたみたい……」

背筋に冷たいものが走った。心臓が早鐘のように鳴る。足が震える。でも、俺はミユウの手を強く握り返した。

そのとき、扉が勢いよく開かれた。

「龍夜! ミユウ!」

ルゥが飛び込んできた。金色の髪は乱れ、翼が完全に広がっている。

手に握った聖剣からは、光が溢れていた。いつも冷静な彼の顔が、今は鬼のように引き締まっている。

「悪魔族の先遣隊が結界を突破した。数は少ないが、上級種が混じっている。宮殿の守備隊は対応しているが……時間の問題だ。」

ルゥの瞳が、俺を射抜く。

「龍夜。今すぐ決断しろ。逃げるか、戦うか。」

部屋に張り詰めた空気が張りめぐらされる。ミユウが俺の腕にしがみつき、震えている。

俺は窓の外を見た。赤い光がまた閃き、遠くで悲鳴のようなものが聞こえた気がした。

逃げたい。心の底から、本能が叫んでいる。戦闘力ゼロの俺に、何ができる?

でも、ミユウの小さな手が熱い。彼女の過去が、俺の背中を押す。

「……戦う」

俺は低く、しかし確実に言った。

「俺は逃げない。救世主として、ここに立つ。」

ルゥが一瞬、目を瞠った。そして、深く頷いた。

「了解した。では、即座に訓練場へ。救世主の覚醒儀式を――今この場で強行する。」

ミユウが俺の手を強く握った。

「龍夜くん……怖いけど、ミユウも一緒にいるよ。一緒に、戦う。」

「ああ。一緒だ。」

俺たちは部屋を飛び出した。廊下はすでに混乱の渦だった。衛兵たちが走り、魔術師たちが結界を強化する呪文を叫んでいる。遠くで、また爆音が響く。

階段を駆け下りながら、俺は思った。

まだ怖い。死ぬかもしれない。

でも、もう後戻りはできない。

ミユウの過去を、ルゥの復讐を、この世界の未来を――

俺が背負う。

救世主として、覚醒する。

その決意を胸に、俺たちは訓練場へと急いだ。

外の空は、ますます赤く染まり始めていた。

――来るなら、来い。

俺はもう、絶対に逃げない。