軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第九十九話 鬼哭啾啾

「な、何だ貴様は、何なんだ貴様はっ!?」

「今、それが重要でしょうか?」

主君を逃がすためピーターに駆け寄った兵が、一瞬で殺される。

そんなことが十数回ほど繰り返されて、ヘイムダルが走る道は血に濡れていった。

しかしそれでも、追跡者の足は止まらない。

屍の山を築き上げながら、ただ粛々と、着々と追い縋るだけだ。

「ときに私の持論ですが、死に様が見苦しければ人生など無価値と思うのですよ」

「それが今、どうしたというのだ! い、一体何を言っておる!?」

返り血を撒き散らしながら人生哲学を語る様は、いかにも奇妙で不気味だった。

悍(おぞ) ましさすら感じられるが、逃げるヘイムダルが恐怖しているのは発言よりも表情だ。

その顔には絵に描いて貼り付けたような、一定の微笑みが維持されていた。

人が死のうと悲鳴が上がろうと、返り血を浴びようと命乞いをされようと、表情には一切の揺らぎも変化も無い。

「要するに最期の時こそが、人生で最も重要な瞬間ということです」

「ええい、この狂人が!」

にこやかに微笑みながら迫る男が、殺戮をバラ撒きながら距離を詰めてくる。

どこまで逃げても終わりが見えず、軽い口調に反して発言はおどろおどろしい。

どの角度から検討しても正常な人格をしておらず、ヘイムダルからすると、ピーターは殺人という作業を繰り返すだけの機械にしか見えなかった。

「誰か、誰かおらんのか!?」

「閣下! 早くこちらへ!」

恥も外聞もなく叫ぶと、厩舎に先行させていた小隊が飛び出してきた。

そしてまた、瞬く間に5人の命が潰える。

近隣に配置された兵はこれで打ち止めとなり、最後の頼みの綱は、数秒間の延命という戦果を残してこの世から消えた。

希望を絶たれたヘイムダルが目元に涙を溜めながら振り返ると、あと数歩という近距離にもうピーターの姿がある。

「た、たす……助けて! 助けてくれぇ!」

「ここまで恥を晒しては、生き延びても辛いだけです。ええ、 助けて(・・・) 差し上げましょう」

死神の大鎌が首にかかった。

足元が崩れるような感覚にヘイムダルの膝が笑い始める。

平坦で真っ直ぐ続くはずの地面が波打つ錯覚に捉われ、視界が歪み、足がもつれそうになっていた。

腰砕けになって逃げる彼は、ただひたすら恐怖に顔を歪ませている。

「ひ、ひぃ、ははぁ!」

「おや、まだ足掻きますか」

しかし表情よりも状況よりも、何よりも恐ろしいのは――糸目の奥に覗く瞳だ。

穏やかな顔で和やかな声を発しているが、目は据わっていた。

ブリュンヒルデ・フォン・シグルーンが持つような善意など、そこには欠片も存在してはいない。

一切の有情さを感じさせない、優しさや慈悲とは対極にある眼差しだ。

人の命になど塵ほどの価値も無い。

そう思っていると確信させるだけの説得力がある。

作り物の優しさがコントラストとなり、瞳の奥に宿る 鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう) とした本性を、却って鮮やかに引き立てているほどだった。

「生にしがみ付く意味など、どこにもありはしないというのに」

背後から迫り来る強烈な死の気配に、再度振り返ったヘイムダルは、非業の死を遂げた亡霊たちの姿を幻視した。

お前も こちら側(・・・・) に来いと、恨めしげな泣き声が響く幻聴も聞こえてくる。

命の終わりを予感した彼は、ピーターの存在は生者が忌むべきものであり、あの世に存在する負と不吉を煮詰めた悪霊だとも確信した。

「まあ、さりとてご安心を」

彼らの視線が再び交錯した瞬間、ピーターは口元を三日月のように曲げて深い笑みを作る。

固定された表情を初めて崩した彼は、光の灯らない目のままで唯一の救いを告げた。

「ここで果てれば、名誉だけは守れましょう」

今すぐに死ねば、見ている人間は誰もいない。

何故なら彼の配下は全滅したからだ。

この場で命を落としたならば、醜態を見ていたのはピーターだけとなる。

「貴種としての尊厳と名声、面目も保たれます」

ある意味でそれは救済に違いない。

だが名誉と引き換えにして、命が尽きる。

ヘイムダルからすると到底承服できない提案だった。

「人知れず散ることが、貴方にとって最良の最期とは思いませんか?」

「い、嫌だ、死にたくない! し、死にたくないぃ!」

そもそも目の前の怪しい男が、名誉を守ってくれるような証言をするのか。

いや、そもそもと言うならこいつは誰だ。

何故ここにアースガルド軍がいるのか。

前線の東伯軍はどうなったのか。

ヘイムダルは、かつてないほどの速さで頭を回していた。

「頼む、待って……待ってくれ!」

走馬灯が彼の頭に流れ出し、その成果なのか、意味のある声を絞り出すことには成功した。

この土壇場で彼の思考は、こういった場面で取るべき最適解に辿り着いた。

「こっ、ここ、こう、降伏だ! 降伏する!」

降伏の宣言をしてしまえば、命までは取られない。

これは常識的な判断と言えるだろう。

これで助かると思い、ヘイムダルが安堵したのも束の間のことだ。

転倒した彼を追い越しつつ、ピーターは空中で半回転した。

「ああぎゃあッ!!? な、何を!?」

追い越しざまに剣を振り抜くと、正確無比で迷いの無い一刀が、ヘイムダルの両足をまとめて切り裂いた。

両断とまではいかないが傷は深く、血飛沫が舞う。

「足を斬られただけで大袈裟な」

「いや、何故! 足を!」

ヘイムダルは激痛に悶え、もんどり打って地面を転がるが、ピーターの声色は平坦なままだ。

彼は剣の血を振り払い、軽く拭いて納刀してから、ゆっくりとヘイムダルに歩み寄る。

「まあまあ、死にはしません。この程度では」

「降伏、したのに……」

ヘイムダルは困惑の極致に叩き込まれている。

男爵家の当主が降伏を宣言したならば、捕らえて終わりになるはずだからだ。

常識と照らせば親族と身代金の交渉をして、怪我一つなく穏便に終われるところだった。

「はは、失敬。すんでのところで間に合いませんでしたか」

一方のピーターは悪びれることなく微笑んでいるが、彼は剣を止めるつもりなど毛頭なかった。

何故なら彼がここに来た目的は、ヘイムダルの捕縛だからだ。

不測の事態があれば殺していいと許可は得ているが、原則として捕らえて連れ帰るよう命が下っている。

そして逃走の恐れを無くすためには、足を奪っておくのが最も合理的であり、どのような展開になろうと最初から斬るつもりでいた。

「しかし残念です。降られるとは」

「ざ、残念……だと?」

「ええ、救いの無い終わりですので」

指先で地面に零れた血を掬うと、ピーターはそれを落とし主に見せつけながら微笑む。

「降伏されるのであれば、男爵である貴方だけは助かります。忠臣を捨て駒に使い、汚泥に 塗(まみ) れて命乞いをしようと、その身に流れる血の価値は変わらないからです」

どれだけ無様に生き延びようとしても、人から蔑まれる振る舞いをしても、ヘイムダルは男爵家の当主だ。

本人がどのような行動をしようと、血筋は変わらない。

戦うこともなく逃げ続けて、逃走に失敗し、最後には一人だけ助かろうとしている貴族。

貴族を守るために戦い、落命した平民の兵士たち。

この逃亡劇の対比を思いながら、ピーターは続ける。

「貴族とて斬れば赤い血が流れ、死ねばただの 骸(むくろ) と成り果てる。斬るだけで変わる曖昧な価値観が貴方を生かしています」

高貴な血統のことを青い血と呼称するが、実際にはただの人間だ。

誰が斬られても血は赤い。

死んだ兵士たちと、生き延びる男爵の差は生まれの身分にしかなく、更に言えばヘイムダルは戦いを起こした側にいる。

「ですが生き延びたところで名誉は地に落ち、貴種としては 死人(しびと) も同然。残るは惨めな余生です」

付き合わされた平民だけが死に、首謀者がのうのうと生きている様は、ピーターからすると美しくない光景だった。

人として正しい行い。道理や正義に反するものだ。

「翻って、ここで潔く命を散らしたならば……貴方を守るため勇敢に戦い、戦死した者たちにも申し訳が立つというもの。ですから如何でしょう」

己の信条と信義則に反する生き様を前にして、ピーターはもう一度尋ねる。

これは彼の中では、真心からくる質問だ。

「今からでも、死にたいとは思いませんか?」

捕縛に失敗したとしても、功名に陰りは無い。

殺害の裁量は与えられているので、最上の戦果を得られないというだけだ。

クレインは生かして連れ帰るように命じたが、ピーターとしては、対象がどうしても 死にたがる(・・・・・) なら正義を為すつもりだった。

「死は 貴賤(きせん) にかかわらず、平等に訪れる安寧と救いです。過酷な運命を生きるくらいであれば、終わらせる方が幸せなこともあります」

生きることを思い直し、ここで死体になるのが、ヘイムダルにとって最も幸せな道だ。

こればかりは善意による確認だったが、当の本人は千切れるほど激しく首を横に振った。

「そうですか……重ね重ね残念でなりません。命を諦めた方が、楽になれたものを」

「い、生きてこそ、浮かぶ瀬もあろう」

「それもまた事実。ご判断は尊重します」

しかし再起の芽など無いとピーターは確信している。

クレインは事務的に作戦を命じたが、瞳の奥には憎悪の炎を宿していたからだ。

ピーターの経験と照らせば、あれこそが完遂の覚悟を決めた死人の目だった。

連れ帰ったところで、最も優しい結末として斬首が待っている。

多少死線を知る者であれば、生きて帰れると思う方が楽観に過ぎた。

「とにかく降伏だ! わ、私は死にたくない!」

「ええ、希望は承りました。アースガルド子爵にもお伝えしましょう」

どのような責め苦を負うかも分からないというのに、ようやく話が付いたと胸を撫で下ろしているヘイムダルは、ピーターからすると哀れな男だ。

しかしそれ以上に蔑みが勝ち、ヘイムダルの評価は路傍の石ころと変わらないところまで落ちている。

「まあ、この先は預かり知らぬこと。この辺りにしておきましょうか」

結局のところヘイムダルの命がどうなろうと、ピーターには知ったことではなかった。

怒りのままに斬首され、雑兵と同じように処理されようと、それはそれだ。

「ではヘイムダル男爵。アースガルド領まで、ご同行願います」

「……分かった、丁重に扱え」

生存の意思を確認した時点で、ピーターの興味はもう別な場所に移っている。

憔悴したヘイムダルを担ぎ上げた彼は、早速事後処理に移ろうとしていた。