軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

06.杖【職人】の神技

ギルバートに連れられてやってきたのは、帝都の一等地にある高級カフェ『 白銀の猫(ホーリィ・ロウリィ) 』だった。

豪壮な石造りの建物は、どこぞの王族の別荘か、あるいは歴史ある美術館のようだ。

重厚な木の扉の前には黒服のドアマンが直立不動で立っており、ソフィアのような平民が気軽に足を踏み入れていい場所には到底見えない。

(なに……ここ……高級、ホテル……?)

カフェだと聞いていたはずなのに、どう見ても庶民の常識を超えている。

「どうした、ソフィア殿?」

「え、っと……カフェで朝食でも、とうかがっていたような……」

「ああ。ここは喫茶店だぞ、会員制の」

(会員制の喫茶店ってなに……? そんなものがあるの……この世界には……)

確かに現実世界(前世)でも、一見さんお断りの会員制バーや、超高級クラブというものはあった。

それと同じようなものなの……だろうか……。

いずれにせよ、とてつもない高級店であることに変わりはない。

ソフィアは青ざめて、ポケットの中の心もとない財布を握りしめた。

「あの……手持ちのお金、ほとんどないのですが……」

小切手はいただいているが、それは銀行で現金に換えないと意味が無い。今はただの紙切れだ。

おずおずと告げるソフィアに、ギルバートは目を丸くした後、ふっと優しく微笑んだ。

「な、なんでしょう……?」

「いや、君は、奢ってとは言わないのだな」

「滅相もない! こんな高そうなお店で奢ってもらうなんて、できません!」

ソフィアは首を横に振った。

そんな彼女を見て、ギルバートは満足げに頷く。

「そこが、いいな」

「は、はぁ……」

ギルバートの周りには、金や権力を目当てに近づいてくる女性が多かったのだろう。

「デートなら男が払って当然」という態度の女性たちに、彼は辟易していたのかもしれない。

だが、ソフィアにはそんな計算は一切なかった。

(奢ってもらって当然なんて思ったこと、一度もない……。そもそも、外出だってまともにできなかったのだから。こっちでも、あっちでも)

前世の長い入院生活時には当然、異世界に転生してきた後も、ソフィアはずっと地下室で仕事、仕事、仕事漬けだった。

男性と外食なんて、夢のまた夢。

そして、言うまでも無いだろうが、 元婚約者(デリック) がソフィアと外食したことはないし、奢ってくれたことなど一度も無かった。

でも、ソフィアはそれで当然だと思っていた。

前世の境遇から、「自分には価値がない」「人に迷惑しかかけない」という意識が、根強く心にこびりついているのだ。

「あの、その……」

「入り口前であまりうだうだしてると、他のお客様の迷惑になると思うが?」

「そ、それはそうですねっ。じゃあ、私は遠慮して……」

「失礼する」

「ああっ!?」

ソフィアが店から離れようとしたのに、ギルバートは彼女の手を引いて、強引に中に入ってしまった。

「大丈夫。ソフィア殿。お金は気にしないでくれ」

「気にしますよ……」

「じゃあこうしよう。ここの会計は俺が払う。だから……次に別の店で食事するときは、ソフィア殿の選んだ店で、君が払いを持つということで」

「あ、それでしたら……」

それなら 対等(イーブン) だ、と思う。

……だが、ん? とソフィアは少し首をかしげた。

(あれ……なんだか、次も食事に行く約束を、取り付けられたような……?)

別に嫌ではない。

しかしこれきりの仕事上の関係だと思っていたので、ソフィアは意外に感じていた。

中に入ると、外観以上に煌びやかな空間が広がっていた。

高い天井にはシャンデリアが輝き、ふかふかの絨毯が足音を吸い込む。

「あ、あの、ギルバート様? や、やっぱりここはさすがに……」

「問題ない。……さあ、行こう」

ギルバートはソフィアを安心させるように微笑むと、自然な動作で彼女の手を取り、エスコートした。

彼が堂々と進むと、店員たちがサッと姿勢を正し、最敬礼で出迎えた。

どうやら彼は、この店の超VIPらしい。

「いらっしゃいませ、ギルバート閣下! 奥の特別室へご案内いたします!」

通されたのは、完全個室だった。

窓の外には、冬の寒空の下、帝都の街並みが広がっている。

あまりの高級感に、ソフィアは借りてきた猫のように縮こまることしかできない。

「……ふむ」

席に着いても、ソフィアが寒そうにコートを合わせているのに気づき、ギルバートが眉をひそめた。

彼はすぐに店員を呼ぶ。

「すまないが、部屋が少し肌寒いようだ。彼女が寒がっている。暖房はどうなっている?」

言われてみれば、確かに室温が低い。

店員は青ざめた顔で頭を下げた。

「も、申し訳ありません! 実は先ほどから、備え付けの魔導ストーブの調子が悪く……今、急いで修理技師を呼んでいるところでして……」

「故障か。……それは、あいにくだな」

ギルバートが静かにため息をつく。

ソフィアは、部屋の隅に置かれたアンティーク調の魔導ストーブに視線を向けた。

猫足の優美な筐体の中に、赤々と燃える魔石が見えるはずのガラス窓がある。

だが今は、そこにあるのは不穏な明滅だけだ。

――キィィィィン……。

ソフィアの眉がピクリと跳ねた。

他の誰にも聞こえない、魔導具の「悲鳴」だ。

魔力ゼロであるがゆえ、魔力への特別な感受性を持つソフィアの目には、ストーブ内部の魔力の流れが、血管のように透けて見えていた。

その循環系統の一部で、魔力がどす黒く滞留し、今にも血管を破ろうと暴れているのがわかる。

(……まずい! ただの故障じゃあない……!)

ソフィアはガタッと席を立った。

そして、真っ先に魔導ストーブのもとへと駆け寄った。

「ソフィア殿っ?」

突然の行動に、ギルバートは困惑していた。

だが、そんなのはどうでもいいとばかりに、ソフィアは魔導ストーブをつぶさに観察する。

出会ったばかりで、人間性をそこまで把握しているわけではないギルバートだが……。

さすがに、ソフィアのこの鬼気迫る態度はおかしいと気づき、尋ねる。

「何かあったのだな……?」

ソフィアがこくんと頷く。

「魔導ストーブの魔力回路が断線しています。内部で魔力が逆流して、内圧が限界です。……あと1分も持ちません」

ソフィアの言葉に、店員がきょとんとする。

「え……? いや、ただ温度が上がらないだけで、そこまで深刻な……」

「いいえ。内部の魔石にヒビが入る音が聞こえました。このままだと、魔石が破裂します。魔導具が壊れるだけじゃ、最悪済みません」

その言葉に空気が凍りつく。

火の魔石、しかもこの高級店で使われるほどのものだ。内包される魔力量は、通常の魔石の比ではない。

それが破裂するということは、すなわち、膨大な量の火の魔法が外に放出されるということで……。

その後どうなるかなんて、語らずともわかることだった。

その場に居るギルバートも、そして店員も、自分たちが緊急事態にあったことに遅まきながら気づく。

「……まさか、そんなことが。【ザフール商会】で買った、高級品なのに……」

「またザフールか……」

ギルバートが身構える。

その瞳は、瞬時に軍人のそれに変わっていた。

「すぐに避難しよう。君に怪我をさせるわけにはいかない。……それとも、俺が結界で抑え込もうか?」

「駄目です。それではこの子が壊れてしまいます。……この子を助けたいんです」

ソフィアはストーブの前に駆け寄り、膝をついた。

助けるには、回路を直し、魔力の循環を正すしかない。

だが、ソフィアはポケットを探り、唇を噛んだ。

「だめ……道具がない」

魔力回路を繋ぐには、専用道具が必要だ。

店に戻る時間はない。

刻一刻と、ストーブからの悲鳴が高まっていく。

(金属板に回路が彫刻されてる。回路を溶接すれば……でも火種なんてどこにも……)

その時、ソフィアの視界の端に、膨大な魔力のオーラが映った。

ギルバートだ。

彼の手からは、常に制御しきれない魔力が、陽炎のように立ち昇っている。

あれだけの出力があれば、溶接なんて一瞬だ。

「……ギルバート様。力を貸していただけますか」

「俺にか? ……すまない。君の期待に応えたいが、俺は殲滅は得意でも、繊細な魔力操作は苦手なのだ」

ギルバートは自嘲気味に首を振った。

彼自身、わかっているのだ。自分の力を向けた瞬間、修理どころかストーブごと粉砕してしまうことを。

スプリンクラーのように全方位に漏れ出る魔力は、誰にも止められない。

「もういっそストーブを外に運ぶとか……」

店員が迂闊にも、ストーブに触れようとする。

「触らないで!」

「ひっ! すみませんっ!」

ソフィアが、自分でも驚くくらいの大きな声で、制止する。

現在、この魔導具は壊れかけ、破裂寸前の風船状態なのだ。

下手に触ればそれこそ大爆発だ。

……もっとも、そこには『素人が触れば』という文字がつく。

――うん。私なら、止められる。

ソフィアは、自分の手を見た。

魔力を持たない、空っぽの手。

だからこそ、魔力にとって「絶対に通れない壁」になる手。

もう迷っている時間は無い。

「失礼。……お手を拝借」

「!? そ、ソフィア殿……一体何を……?」

ソフィアは一歩踏み出し、躊躇なくギルバートの右手を掴んだ。

ギルバートの体が大きく跳ねる。

ソフィアは彼のごつい人差し指を、両手で包み込むように強く握りしめた。

瞬間。

ギルバートの手から立ち昇っていた魔力の奔流が、フッ……と消えた。

「な……?」

ギルバートが目を見開く。

消えたのではない。ソフィアの手という「絶縁体」に覆われ、行き場を失ったのだ。

ソフィア・クラフトは、魔力ゼロだ。

それは内包する魔力量がゼロ、という意味ではあるが、しかし正確な表現ではない。

魔力を持たぬ彼女は、魔力の流れを堰き止める、いわば「魔力絶縁体質」なのだ。

魔力を持たず、魔力を通さない。だからこそ……彼女は繊細な魔力回路の調整が可能となる。

ソフィアが、ギルバートの手に触れる。

彼の体に刻まれた魔力の通り道、その最終地点が、人間の五指だ。

ソフィアは彼の手を、上から覆うようにして握っている。

意図的に、親指部分だけ、被らないようにして。

「杖を握って、速く」

「あ、ああ……」

ソフィアはまず、魔導ストーブのカバーを外し、魔力回路の基板をむき出しにする。

素人目には、何が刻まれているのか、まったくわからない。

まるで迷路のような線が、複雑怪奇に描かれているだけだ。

(こんなの……どこが悪くなっているのか、さっぱりわからん……)

ギルバートは困惑する。

軍事用兵器の回路ですら見たことがない複雑さだ。これを一目で見抜くなど、人間業ではない。

だが、ソフィアは言う。

「直す場所へは私が導きます。あなたは、私が言ったら、火の魔法を放って」

(なんて……頼もしいんだ……)

ソフィアの声には、迷いが一切無かった。

彼女が熟達した職人であると知っていることに加えて、その迷いのなさが、ギルバートの焦る心を鎮めてくれた。

「……わかった。君を信じよう」

ギルバートは覚悟を決める。

ソフィアが、彼の手を導いていく。

「ここです。魔法を」

ギルバートが魔法を発動する。

出口を塞がれた魔力は、ソフィアが意図的に開けておいた場所――ほんの爪の先ほどの隙間へと殺到する。

ガガガガガガガガ!

「す、ストーブが爆発する!? お客様、逃げないと!」

凄まじい音と振動に店員が悲鳴を上げるが、ソフィア、そしてギルバートの心は凪いでいる。

「今」

「ああ」

圧縮されたギルバートの魔力が、針のような細さで放出される。

ジッ……。

一瞬の閃光。

余計な破壊は一切ない。

神業のような精度で、切れた回路が溶け合い、一本に繋がった。

その瞬間。

フッ……。

苦しげな異音が消え、ストーブの中に温かなオレンジ色の炎が灯った。

ガラス越しに、揺らめく炎が二人を照らす。

「……ふぅ。成功です」

ソフィアは額の汗を拭い、ふにゃりと力が抜けた。

掴んでいた手を離す。

ギルバートは、自分の人差し指を、信じられないものを見るような目で見つめていた。

「直った……。俺が、壊さずに……直したのか?」

店員たちが「おおぉ……!」と歓声を上げ、拍手をする。

だがギルバートの耳には入っていないようだった。

彼は、自分の手と、そしてソフィアの顔を交互に見た。

「……信じがたい。今まで、触れるもの全てを破壊してきたこの手で……」

「ふふ。ギルバート様は破壊神じゃなくて、『修理の神様』の才能があるかもしれませんね」

ソフィアが茶化すように言うと、ギルバートはハッとしたように顔を上げた。

その瞳には、単なる感謝以上の、熱っぽい光が宿っていた。

「……ああ。君は、本当に素晴らしい腕を持っている」

低く、甘い声。

真正面から、熱のこもった瞳で見つめられ、ソフィアは遅れてカッと顔を赤くした。

(よ、よく考えたら……とてつもなく大胆なことをしてしまったのではないだろうか……殿方の手を握り、後ろから抱きしめるなんて……)

一方で、ギルバートは、ソフィアとはまた別の意味で、顔を真っ赤にしていたのだが……。

ソフィアは、気づかなかった。

……並外れて鋭敏な魔力感受性を持ち、魔力からココロを読めるソフィア。

しかし真に残念なことに、色恋を知らずに今日まで生きてきた彼女にとって、こと『恋愛』に関しては、恐ろしく……鈍感なのだった。