軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

28.小さな挑戦者

帝都の冬は厳しい。

石畳が白く凍てつく早朝。大通りを行き交う馬車の音も、まだ疎らだ。

そんな帝都の一角、路地裏に静かに佇む『銀のフクロウ亭』には、すでに温かな灯りが灯っていた。

チリン、と真鍮のベルが鳴る。

「おはよう、ソフィ」

「おはようございます、ギルバートさん」

カウンターの中で杖を磨いていたソフィア・クラフトは、顔を上げて微笑んだ。

鮮やかな緋色の髪に、雪のように白い肌。華奢で線の細い身体つきは、ともすれば折れてしまいそうな儚さを感じさせるが、その黒曜石のような瞳には、職人特有の凛とした理知的な光が宿っている。

開店と同時に現れたのは、この国の英雄であり、今はすっかり常連客となったギルバート・フォン・ヴォルグだ。

長身痩躯の身体を上質な軍服に包み、青みがかった銀髪が照明を受けてきらめく。その彫刻のように整った美貌は、黙っていれば絵画のようだが、ソフィアに向ける眼差しだけは春の日差しのように柔らかい。

彼は慣れた様子でコートを脱ぐと、自身の相棒である魔法杖をソフィアに差し出した。

「今日も、メンテをお願いする。店主殿」

「はい。今日も、精一杯がんばって整えますね」

ソフィアは恭しく杖を受け取り、作業台へと置いた。

彼女には、魔力がない。

生まれつき体内に魔力を保持できない「魔力ゼロ」の体質だ。だが、その代償として、彼女の目には世界が違って見えている。

杖の内部を走る、血管のような魔力回路。

普通の人には絶対に見えないその「流れ」が、ソフィアには手に取るように視認できるのだ。

(少し、回路の分岐点に 澱(おり) が溜まっていますね)

彼女は専用の細い工具を操り、回路に詰まった魔力の 煤(すす) を、慎重に、かつ手際よく掻き出していく。

その作業を眺めながら、ギルバートはストーブの近くの席に腰を下ろした。

「……杖が、喜んでいますよ」

唐突に、ソフィアが呟く。

他人であれば、何をおかしなことを、と眉をひそめるかもしれない。

だが、ギルバートは笑わなかった。

「なんと言って喜んでいるんだい? ソフィ」

「最近、自分を雑に扱わなくなってきていると」

「ほう?」

「以前はすごく手荒に扱っていたのが、嘘みたいだ……だそうです」

本当に杖が言葉を喋っているわけではない。

だが、物に宿る魔力の残滓から、持ち主の感情や扱い方を読み取ることはできる。今の杖からは、ギルバートの信頼と愛着が伝わってくるのだ。

「それ、本当に杖が言っているのかい? ソフィが勝手に言っているだけじゃなくて?」

「さぁ、どうでしょう? ふふふ」

ソフィアは悪戯っぽく笑った。

かつて、右腕を失うかもしれないという恐怖に怯え、塞ぎ込んでいた時期があった。

その暗い表情を知っているからこそ、ギルバートは彼女が冗談を言い、朗らかに笑っている事実が何よりも嬉しかった。

「そういえばソフィ。最近、街で奇妙な噂が流れているのを知っているか?」

「噂、ですか?」

「ああ。『裏路地の杖屋には、緋色の妖精がいる』というものだ」

ギルバートは口元の端を少し上げ、楽しげに続ける。

「その妖精は絶世の美女で、どんな願いも叶える奇跡の杖を授けてくれるらしい」

「……っ、な、なんですかそれ。やめてください」

ソフィアは工具を持つ手を止め、頬を赤く染めた。

緋色の妖精とは、ソフィアの外見を指しているのだろう。あまりに大仰な二つ名だ。

「絶世の美女だなんて……話に 尾鰭(おひれ) どころか、羽まで生えてしまっています」

「いや? あながち間違いではないと思うが」

「もう……からかわないでください」

むず痒そうに俯くソフィアを、ギルバートが愛おしげに見つめる。

そんな穏やかな朝の静寂を破るように、カランカランッ、と勢いよくドアが開いた。

「す、すみませんっ!」

飛び込んできたのは、まだ十代前半くらいの少年だった。

肩で息をしており、頬は寒さで赤くなっている。

「いらっしゃいませ。そんなに急いで、どうされました?」

「あの、ここが『銀のフクロウ亭』ですよね!? 緋色の妖精さんがいるって聞いて……!」

少年は必死な形相でカウンターに詰め寄った。

「僕、今日の午後、帝国立魔法学園の入試があるんです」

帝国立魔法学園といえば、あの大賢者ガンダールヴルが学長を務めるエリート校だ。ギルバートの母校でもあり、入学するには並外れた才能か、相応の準備が必要となる。

「でも、僕の杖じゃ全然ダメで……。だから、合格できるすごい杖をください! お小遣い、これしか無いけど……一生懸命貯めました!」

カウンターに置かれたのは、なけなしの銅貨と銀貨。日本円にして数千円といったところか。

対して、この店にある杖は、平気で金貨三百枚(数百万円)を超える一級品ばかりだ。

「少年。これっぽちじゃ、ここの杖は買えないぞ」

横からギルバートが口を挟む。現実は非情だ。

「そ、そこをなんとかっ。出世払いで!」

「図々しい奴だな……。第一、君、自分の杖があるだろう?」

ギルバートの視線が、少年の鞄に雑に差された杖に向けられる。

グリップの革は擦り切れ、木材もくすんでしまっている。一見すれば、ただのガラクタに見えるかもしれない。

「これは、お祖母ちゃんからのお下がりで、全然ダメなんだ。こんな骨董品じゃ受かるもんも受からないよ。僕、絶対に合格したいんだ! だから、お願い、妖精さん!」

ソフィアは少年の魔力を視た。

本当に、本気で学園に受かりたいと思っているようだ。その魔力は焦りで揺らいでいる。

そして、ソフィアにはもう一つ……いや、二つ、見えているものがあった。

一つは少年の魔力。

そしてもう一つは、彼が骨董品と馬鹿にする、杖の魔力だ。

(……ああ、やっぱり)

「ソフィ、どうするんだい? この子に新しい杖を売ってあげる?」

ギルバートの問いかけに、ソフィアは首を横に振った。

彼女は商売として新しい杖を売りつけることはせず、優しく声をかける。

「その杖を、少し見せてもらえますか」

「え……これ? でも、こんなボロいお下がりじゃ……」

恥ずかしそうに差し出された杖を受け取り、ソフィアは指先で愛おしむように撫でた。

微かな魔力の温もり。

木目に染み込んだ、持ち主の癖。

代々、この子の家で大切にされてきたことが伝わってくる。

(私の意見をただ押し付けることもできます。でも、それでは意味がありませんね)

ソフィアは少年に提案した。

「では、こちらの棚にある杖の中から、好きなものを一本選んでみてください。どれでも構いませんよ」

「えっ、本当に!?」

少年の目が輝く。

棚には、磨き上げられた紫檀の杖や、高純度の魔石が埋め込まれた樫の杖など、見るからに高価そうな品々が並んでいる。

「でも、高いんでしょう?」

「ローンを組むこともできますので。それに、学生割引で、特別にお安くしておきますよ」

「なるほど! よーし、じゃあ選んじゃおう!」

少年が棚を物色している間、ギルバートがこっそりとソフィアに耳打ちをする。

「いつの間に学割なんて始めたんだい?」

「黙っていてください」

「あ、はい……」

ソフィアにはソフィアの考えがあるのだろう。

それにしても、杖屋としてのソフィアは、凛としていて、それでいて可憐だ。ギルバートは見惚れそうになるのを必死で抑える。

「ギルバートさん。魔力の移ろいが鬱陶しいです。メンテは終わったので、邪魔をするなら帰ってください」

「……黙っています」

しばらくして、少年は先端に赤い宝玉がついた、一際見栄えのいい杖を手に取った。

「じゃあ、これにする!」

「はい。では、試し撃ちをしてみましょうか」

店の裏手には、堅牢な防魔壁に囲まれた試射室がある。

前の店主、マダム・グランが手がけた特別な部屋であり、ここでは思い切り魔法を行使できるのだ。

少年は意気揚々と杖を構え、初級魔法の詠唱を行った。

「……炎よ、灯れ!」

ボウッ。

「うわあっ!?」

少年の狙いとは裏腹に、杖の先からは爆発のような炎が噴き出した。

標的のマネキンどころか、地面の芝生まで焦がしてしまう。

「あ、あれぇ……? おかしいな」

「魔力の伝達効率が良すぎる杖ですからね。制御が難しいのです。別のを試してみては?」

「よし! じゃあこっちの格好いいのを!」

しかし、それも結果は散々だった。

魔力が詰まって発動しなかったり、逆に暴発して光りすぎたり。

五本ほど試したところで、少年はすっかり自信を失い、ガックリと項垂れた。

「僕、才能ないのかな……」

「そんなことはありません。では、最後にこれを」

そう言ってソフィアが手渡したのは、一本のシンプルな杖だった。

派手な装飾はない。

けれど、木肌は美しい飴色に輝き、手にした瞬間、吸い付くような温かみがあった。

「あ……」

少年が握った瞬間、杖の先端に、ポッ、と柔らかな光が灯る。

詠唱すらしていない。

ただ、「灯したい」と願っただけで、魔力が自然と形になったのだ。

「すごい……! これ、すごく手に馴染むよ! 魔力がスルスル通るんだ!」

少年は興奮して杖を振り回した。

意図した通りの場所に、意図した通りの大きさの火球が飛ぶ。

まるで自分の腕が伸びたかのような感覚。

「妖精のお姉ちゃん! 僕、これがいい! これにする!」

「ふふ、お目が高いですね」

ソフィアは優しく微笑み、人差し指を立てた。

「ですが、それは売り物ではありません」

「えー! そ、そんなぁ。こんな相性ぴったりの、すっごい杖なのに、買えないなんて……」

どうやら、少年は今手にしている杖が、特別な非売品だと思っているらしい。

「それは、あなたが持ってきた、あなたの杖ですよ」

「えっ……?」

少年はポカンと口を開け、手元の杖を凝視した。

よく見れば、グリップの擦れ具合や、小傷の位置に見覚えがある。

けれど、くすんでいた木目は新品のように艶めき、グリップの魔石の曇りも消え失せている。

「あなたが他の杖を試している間に、少し手入れをさせていただきました」

「手入れって……これ、僕の杖?」

「はい。少し 煤(すす) が詰まっていたので掃除をして、表面を磨いただけです」

ソフィアは少年の視線の高さに合わせて屈み込み、穏やかに語りかけた。

「新しい杖は、確かに性能が良いかもしれません。ですが、魔法使いにとって最も大切なのは『相性』です。あなたが練習してきた時間を一番知っているのは、その杖ですよ」

「僕の……相棒……」

「はい。あなたと共に成長してきた、世界に一本だけの相棒です。どうか、捨てずに大切にしてあげてください」

少年はハッとして、愛おしそうに杖を抱きしめた。

そして、杖に向かって「ごめんね」と小さく呟く。

「ありがとう、お姉ちゃん! 僕、これで頑張るよ!」

「はい。試験、応援していますね」

「あ、お代! お代はいくら!?」

財布を取り出そうとする少年に、ソフィアは首を横に振った。

「いえ、結構です。少しニスを塗ったくらいですから」

「えっ、でも……」

「未来の魔術師様への、先行投資ということにしておきます。合格したら、また見せに来てください」

「うん! ありがとう!!」

少年は何度も振り返りながら、嬉しそうに帰っていった。

その背中が見えなくなるまで見送った後。

店内に戻ったソフィアに、カウンターで冷めた珈琲を飲んでいたギルバートが、呆れたような視線を向けた。

「……少しニスを塗ったくらい、か?」

「はい。なにか?」

「俺の目には、魔導回路の煤払い、軸の歪み矯正、魔力伝導率の最適化、さらには『撥水・防汚コーティング』に、グリップの滑り止め加工まで施しているように見えたが?」

ギルバートはカップを置き、じとりとソフィアを見る。

「普通の店なら、金貨一枚は取るレベルの職人仕事だぞ。それを 無料(タダ) とは、商売っ気がなさすぎる」

「う……。で、でも、あの子はお金持ちには見えませんでしたし、杖を買ったわけでもありませんから」

「技術への対価は正当に受け取るべきだ。そうやって安売りをしていると、いつか店が潰れてしまうぞ」

正論である。

眉を寄せて心配するギルバートに、ソフィアは少し悪戯な笑みを浮かべた。

「あら、大丈夫ですよ」

「何がだ」

「もし店が潰れても、その時は……素敵なお金持ちの旦那様の元へ嫁いで、可愛い奥さんとして生きていきますから」

「ぶッ……」

ギルバートがむせ返り、盛大に珈琲をこぼしそうになった。

「な、ななな、何だと……」

「ふふ、冗談ですよ。冗談」

「じょ、冗談に聞こえん。だ、誰だそれは。俺の知らない男か? どこの馬の骨とも知らん金持ちになど、俺は認めんぞ……ッ」

ガタッと椅子を蹴倒して立ち上がり、本気で狼狽えるギルバート。

普段の冷静沈着な英雄の面影はない。

その必死な様子が面白くて、ソフィアは口元を袖で隠してクスクスと笑った。

(ふふ……ギルバートさん、可愛い)

そんな二人の様子を、カウンターの奥で窓ガラスを磨いていたヨランダが、冷めた目で見つめていた。

「……ッタク。これでまだ付き合ってすらいないんだぜ? やってらんねー、ですわよ」