作品タイトル不明
111.進化魔眼
ソフィアはギルバートの竜杖を調整することになった。
「そのためには、ギルさんの魔力回路を深く知る必要があるんです」
場所はDBホテルの一角。エスメラルダの気配はない。どうやらどこかに控えているか、あるいは外出しているらしい。義母の気遣いに感謝しているソフィアに対し、ギルバートは首をかしげながら尋ねた。
「前にもやったような……」
「必要なんですっ」
それでいつもなら終わっていた。本心を隠していたのだ。
でも。
何度も、躊躇した。義母はああ言ったが、すぐにできるようになるわけではない。だが。
義母の言葉が、優しさが、ソフィアの背中を押す。声ではなく彼女の愛が、ソフィアを少しだけ大胆にさせた。
「それだけじゃないんです。ギルさんをもっと近くで感じたいから……」
恥ずかしいことだった。自分の思っていることを告げるのは。本心を明かすならば、ソフィアは彼の側に居たい。もっと触れたいのだ。
(ハシタナイって思われたくない……)
嫌われたくないという意識が、ソフィアに本心を語らせないでいたのだ。
しかし。
「わかった」
ギルバートはそれだけで、それ以上の何も言わなかった。ぎゅぅっ、と彼がソフィアを抱きしめる。強い、それでいて優しい、けれど熱い抱擁だった。
ソフィアはとろけるような表情になる。体から力が抜けて、このまま全てを彼に捧げたい。そんな気持ちになる。完全なる、否、究極なる脱力をしたそのときだった。
「!?」
彼女の目が、いつも以上に鮮明に、 他者(ギルバート) の魔力回路を映したのである。
(どうなってるの、これ……)
不可思議な現象に戸惑うソフィア。
いつもなら魔力回路を見るとき、体の上に走る線が見えていた。それが魔力回路。体の中を走る魔力の通り道だ。
しかし今、ソフィアが見ているのは、純粋な魔力回路だけだった。それ以外の、たとえば人間の皮膚、筋肉、骨格といった、回路を見る上で不要となる外部情報が消えたのである。
(こんなのもう……魔法です……)
「フィー。落ち着け」
ギルバートの言葉が、ソフィアを困惑のるつぼから救ってくれた。彼がいなかったら、多分まだ戸惑ったままだったろう。
「何かあったのか?」
「は、はい……あ」
気づけば、また彼の体はいつも通り見えていた。
「実は……」
ソフィアは目の前で起きたことの詳細を、ギルバートに語った。ともすれば、これはかなり気色の悪いことだ。回路以外の人体が透けて見えるなんて、あり得ぬことである。
「魔眼が進化したのではないか?」
「進化……?」
「うむ」
確かに、魔物は強くなるとその姿を変えるという。人間も成長する。そう考えると、なるほどと頷けるような。
「でも進化することで、情報量が減るのって変では?」
「そうか? たとえば魔法。使っていると、手順を省けるようになる」
祖父ヴィルから聞いたことがある。魔法を極めることは、引き算を極めることであると。
熟達した魔法使いは、詠唱というプロセスを省いて魔法を放てるという。
「俺も師より聞いた話なのだが、たくさん練習を積んだ人間が次に行うことは、『捨てること』らしいぞ」
神域の八賢者の一人、ガンダールヴルがそう言ったということで、言葉に説得力が出た。
「捨てる……?」
「ああ、たくさんのことを覚えたら、次はその覚えたことを自分の物にするために、余計なことは捨てる。自分に適したもの以外を取捨選択するのだ」
「なるほど……守破離ですね」
「しゅはり……?」
「はい。物事を学ぶ際のプロセスです」
まずは型を守り、基礎を多く学ぶ。
次は覚えた型を応用・発展させる。
最後に独自の境地を開く。
「新しいものを生み出す際、ゼロから作るのではなく、基礎を多く学び、そして学んだものを応用……すなわち、必要なものを足し、必要ないものを捨てる。それによって、新たなる物が作れると」
「ヴィル様の教えか」
ああ、とソフィアは内心で息をつく。言わずとも分かってくれた。なんと心地よいのだろう。
「はいっ」
「そうか……なら合点がいったな。ソフィアは多くの物を見てきた。だから……必要ないものを理解でき、脳内で必要ない情報を無意識に省いているのだろう」
「脳内で、情報を省く……」
必要なのは魔力回路。それ以外の肉体情報は、物作りの際には必要ない。それゆえに、ソフィアは無意識のうちに、そういった情報を捨てていたのである。それが、先ほどの現象を言語化したものだ。
それが、進化。
「でも、なんでいきなりできるようになったんだろうな。今までだってたくさんの物を見てきただろうに」
「……なんとなく、わかります」
「ほぅ」
「ぎゅっ、てして欲しいです」
己の欲を怖がらずに出し、それを受け止めてもらう。
「ああ」
固く、頼もしい体に寄りかかることで発生する、究極の脱力。それが要だったのだ。
目を開ける。ソフィアの魔眼は、先ほどと同じく回路のみを映していた。
「多分……ギルさんのおかげです」
「俺? 何かやったか?」
ソフィアは、その姿に祖父を重ねていた。祖父はいつもそうだ。とんでもないものを作ってはソフィアを驚かせるも、『俺何かやっちゃったか……?』ととぼけていた。
大好きな人と、愛する人が重なる。彼もまた、ソフィアの人生にとって、かけがえのない存在になった。そんな気がした。
「ギルさんが私をぎゅーってしてくれたから、私は魔眼を更に進化させられるのです」
今まで物を作るとき、彼女はどこか緊張していた。今からこの大切な物をメンテするのだ。あるいは、目の前の人が使う大事な物を作るのだ。そんな気負いがあった。
ソフィアは熟達した杖職人である。ゆえに、そんな緊張状態であっても、最大のパフォーマンスは発揮できていた。
そこに加えて、ソフィアは職人としての次なる秘奥を手に入れたのである。
挑戦するときに感じる、緊張。それを乗り越えた先。脱力が見せる、更に上のパフォーマンス。
ソフィア。祖父を失い、店を失い、婚約者を失い。しかし、その後たくさんの物を見て、人と触れ合い、そして新たなる境地に至ったのだ。
「そうか。ならば……」
ギルバートはさらにぎゅっと抱きしめた。
「ずっとこうしてないとな」
ふにゃりと、笑いそうになるソフィア。彼女はわかっていた。仕組みを理解したことで、彼が側に居らずとも、このいわゆる『進化した魔眼』状態を維持できることに。
しかしソフィアには、少しのいたずら心が芽生えていた。それは彼を愛するが故、彼が自分を無条件で愛してくれる確信を得たがゆえに生まれた、余裕からくる感情だ。
「そうですね。今後、ずっと、未来永劫、私が物作りするときは、ギルさんにぎゅってしてもらわないと」
「…………」
顔を見ずともわかるのだ。きっと何を言ってるのだと呆れている。でもそれが、今は心地よい。
「冗談で……あっ」
ギルバートが気づけばすっと離れていた。
「フィー。嘘はよくないな」
「むぅ……バレてましたか」
「気づいていないようだが、フィー。君は嘘が下手だ。ド下手だ」
そこだけ切り取れば、馬鹿にされてるようにも見える。だが、嫌な気持ちには微塵もならない。
「はい。嘘は……苦手です。ギルさんに、いつもぎゅっとしてもらうための」
「まったくもう、しょうがないやつだな」
ギルバートが笑っている。彼の笑顔は元気をくれる。不思議だ。魔法でも何でもないはず。でも、まるで補助魔法をかけられたように、体は気力で満ちていた。
「すぐ済ませます」
「頑張れ」
その笑顔だけで、その言葉だけで、ソフィアは今までの何千何万倍も頑張れた。透き通る彼の体から、正確に回路の流れを見て取る。神経をすり減らすような作業も、しかしまったく苦ではなかった。