軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

108.義母に甘やかされまくる

豪奢なクリスタルのシャンデリアが眩い光を放ち、磨き上げられた大理石の床がどこまでも続く。

ここは帝都の中心にそびえ立つ、選ばれた貴族や大富豪のみが足を踏み入れることを許される最高級の宿泊施設、DBホテルである。

ヴォルグ公爵夫人であるエスメラルダに半ば強制的に連行されたソフィアとギルバートは、瞬く間に最上階の特別スイートルームへと通されていた。

本来であれば、数ヶ月前からの予約が必須となる幻の部屋である。

しかし、エスメラルダがエントランスで軽く扇を揺らしただけで、支配人が血相を変えて飛んできて、最上級の部屋の鍵が恭しく献上されたのだ。

(顔パス。凄すぎる……)

ソフィアはふかふかの分厚い絨毯を踏みしめながら、ポカンと口を開けて感嘆の息を漏らした。

庶民上がりで帝都の路地裏に工房を構える彼女にとって、この空間のすべてが別世界のように輝いて見える。

ふと、エスメラルダがソフィアの手ぶらな状態を見て、優雅に揺らしていた扇をピタリと止めた。

「ソフィアさん、着替えを持っていないではありませんか」

エスメラルダは氷のように冷たく鋭い視線を、背後で小さくなっているギルバートへと向けた。

その眼光の鋭さに、帝国の破壊神として恐れられる大柄な男の肩がビクンと大きく跳ねる。

「ギルバート。今すぐソフィアさんの着替えを用意しなさい。サイズはいくつです」

「サイズ……? その……分からない」

ギルバートが気まずそうに視線を泳がせ、太い指で頬を掻いた。

途端に、エスメラルダはこれ以上ないほど深い深いため息をついた。

扇でこめかみを押さえ、心底呆れ果てたように大げさに首を振る。

「お前は、なんてこと。好きな女のスリーサイズすら知らないなんて。情けない。ごめんなさいね、ソフィアさん」

「い、いえっ」

ソフィアは顔から火が出るほど赤面し、両手でぱたぱたと熱を持った頬を仰いだ。

幻の犬耳が羞恥で完全にへにゃりと垂れ下がり、背中では見えない尻尾がぐるぐると混乱したように渦を巻いている。

エスメラルダは扇の先で、不甲斐ない息子の厚い胸板をツンと小突いた。

「フリーサイズでいいから、今すぐ買ってきなさい。もしくは、ホテルのランドリーを借りて、彼女の服を完璧に洗濯してくるのです。さあ、早く行きなさいな」

「はいはい」

エスメラルダの容赦のない平手打ちが、ギルバートの広い背中に炸裂した。

重い打撃音がスイートルームの静寂を打ち破る。

「はいは、一回」

「はい」

帝国の破壊神はガックリと肩を落とし、まるで叱られた大型犬のような情けない声を出して、豪華な扉の向こうへと退出していった。

残されたソフィアは、エスメラルダに促されるまま、広大な大理石の浴室で先に汗を流すことになった。

湯船には芳醇な香りを放つ薔薇の花びらが浮かんでおり、貴族専用の高級な石鹸の泡が、疲れた体を優しく包み込んでくれる。

湯上がりの火照った肌を滑らかなシルクのパジャマに包み、ソフィアはふうっと息を吐いて洗面室へと戻った。

石鹸の甘い香りと湯気を纏ったソフィアを見て、エスメラルダはうっとりと頬を緩ませた。

「ああ、可愛い可愛い。本当に愛らしいですわ。わたくしも入ってきますわね。ソフィアさんは、ゆっくり休んでいなさいな」

「いってらっしゃいませ」

ソフィアは優雅に浴室へ向かう夫人を見送り、洗面台の前に設置されていた豪華な革張りの椅子に腰を下ろした。

そして、鏡の脇に置かれていた魔導ドライヤーを何気なく手に取る。

帝都でも有名な高級魔道具メーカー、ハッサーン製品のドライヤーである。

滑らかな流線型のフォルムと、純白の塗装が美しい。

しかし、ソフィアの職人としての鋭い耳は、内部から響く微かな異音と、魔力回路に生じている僅かな淀みを正確に捉えていた。

ソフィアは椅子の上でそわそわ、そわそわと足踏みをした。

不完全な挙動を見せる魔道具を目の前にして、職人としての血が騒がないはずがない。

彼女はデートの際にも手放さない愛用の革鞄の中から、使い慣れた精密工具を素早く取り出した。

迷うことなく、ドライヤーの美しいカバーの留め金を外し、パカッと内部を開く。

むせ返るような薔薇の香りに混じって、微かなオゾンと焦げた埃の匂いが鼻腔をくすぐった。

内部の動力源である小型の魔石が、熱を帯びて少しばかりくすんだ色に変色している。

ソフィアは手持ちの良質な魔石を取り出すと、小刀でサイズを完璧に合わせるよう素早く加工し、精密なピンセットで古いものと入れ替えた。

回路の接続が甘くなっている部分もすぐに見つけ出し、緻密に繋ぎ直していく。

じゅうっ、と微かな音が鳴り、青白い火花が一瞬だけ散った。

「うん、完璧っ」

ソフィアが満足げに工具を片付け、カバーを元通りにはめ込んだ直後である。

浴室の重厚な扉が開き、豊かな湯気を纏ったエスメラルダが出てきた。

「ふう、いいお湯でしたわ」

エスメラルダが洗面台の前に立ち、濡れた黒髪を拭きながら、ソフィアが直したばかりの魔導ドライヤーのスイッチを入れる。

ふぃいいいんっ。

先ほどまでの重苦しく淀んだ音とはまったく違う、軽やかで力強い温風が勢いよく吹き出した。

滑らかな魔力の循環音が、洗面室に心地よく響き渡る。

エスメラルダはパチリと瞬きをして、手元のドライヤーと、椅子に座っているソフィアを交互に見比べた。

「ソフィアさん。もしかして、これを直してくれたのですか」

「はいっ。少し回路が甘くなっていたので、勝手ながら整えておきましたっ」

ソフィアが笑顔で答えると、エスメラルダの瞳から大粒の涙がぼろぼろと溢れ出した。

「どうしてとは聞きません。休息の時間すら削って、わたくしのために」

エスメラルダは感極まり、ソフィアの細い体を力強く抱きしめた。

シルクのパジャマ越しの柔らかな胸の感触と、高級な薔薇の香水と石鹸の匂いがソフィアを優しく包み込む。

強大な権力を持つ公爵夫人の、飾らない真っ直ぐな愛情表現であった。

「わたくしの髪の毛、とかしてくださいません?」

「もちろんですっ」

ソフィアは満面の笑みで頷き、エスメラルダの背後に回って魔導ドライヤーを構えた。

ふぃいいいんっ。

心地よい温風を当てながら、エスメラルダの艶やかな漆黒の髪を丁寧にブラシで梳かしていく。

指先から伝わってくるしっとりとした髪の感触と、穏やかに流れる時間が、ソフィアの胸の奥をじんわりと温かさで満たしていった。

ソフィアはこの世界で、幼い頃に実の母を亡くしている。

職人であった祖父に育てられた彼女にとって、こうして母親のような存在と髪を乾かし合うという甘やかな経験は、人生で初めてのことであった。

「えへへ」

ソフィアが無意識のうちに、嬉しそうな笑みを零した。

エスメラルダは鏡越しにその純粋無垢な顔を見て、静かに肩を震わせて泣き始めた。

そして、振り返ってソフィアを再びぎゅっと力強く抱きしめる。

(もっともっともっと、この子を甘やかさないと)

エスメラルダの熱い心の声が聞こえてくるような、慈愛に満ちた深い抱擁であった。

やがて髪を完全に乾かし終えると、エスメラルダはソフィアの頬を真剣な目で見つめた。

「ソフィアさん。お風呂上がりなのに、保湿をちゃんとしてますの」

「え、ほしつ、ですか」

「お化粧水ですわよ」

ソフィアが小首を傾げると、エスメラルダは信じられないものを見るように大きく目を見開いた。

「まあまあっ。それはいけませんわっ」

エスメラルダは即座に備え付けの魔導具でフロントへ連絡し、スイートルーム専用のルームサービスを呼びつけた。

わずか数分後、恭しい手つきの従業員によって、金の装飾が施された最高級の化粧水と保湿液の小瓶が銀のお盆に乗せられて運び込まれてくる。

その恐ろしい値段をちらりと耳にしてしまったソフィアは、ひぃっと喉の奥で悲鳴を上げてのけぞった。

帝都の路地裏にある工房の家賃が、軽く一年分は払えそうな途方もない額面である。

庶民の感覚からすれば、もはや液体に姿を変えた宝石であった。

「さあ、こっちへいらっしゃいな」

エスメラルダはソフィアをふかふかのソファーに座らせ、とろみのある高価な液を手のひらにたっぷりと取った。

上品な百合の花の香りが、居間いっぱいに広がる。

ぺた、ぺた。

優しく押し込むような手つきで、ソフィアの白い頬に丁寧に保湿液を馴染ませていく。

ひんやりとした液体の感触と、エスメラルダの柔らかな手のひらの温もりが、ひどく心地よかった。

「あの、あの。お義母様も、ちゃんとお肌の手入れをしないと」

「でも」

「でもではありません。女は美を磨く義務があるのです」

エスメラルダの毅然とした美しい言葉に、ソフィアは圧倒されて口を閉ざした。

「義務」

「そう。ほら、ここも」

触れる手つきは、どこまでも慈愛に満ちていて優しい。

ソフィアは目を細め、その心地よい温もりに完全に身を委ねた。

頬が手のひらに吸い付くような、もっちりとした感触に変わっていく。

「よし。じゃ、じゃあ。私が、お義母様の保湿を」

ソフィアが恩返しをしようと小瓶に手を伸ばすと、エスメラルダはサッとそれを遠ざけた。

「だめです」

「ええーっ」

「貴方のその指先は、素晴らしい魔道具を生み出す至高の職人の指。こんなことするためのものじゃない」

「ううっ」

ソフィアが頬をいっぱいに膨らませて拗ねると、エスメラルダは嬉しそうに微笑んで、よしよしとソフィアの頭を優しく撫でた。

ふふふ、と二人の明るい笑い声が重なり、スイートルームは完全に仲良し親子の和やかで甘い空気に包まれた。

ガチャリ。

そこへ、大きな紙袋を幾つも抱えたギルバートが、疲労困憊といった顔で部屋に戻ってきた。

「はぁ。お前は、本当に空気を読まない男ですね」

ギルバートの顔を見るなり、エスメラルダの声が先ほどまでの甘さから一転し、氷のように冷たくなる。

実の息子に対する容赦のない落差であった。

「それと、遅い。ただ服を買うだけ、洗うだけで、いつまで時間をかけているのです。それに、飲み物は」

「は」

ギルバートが間抜けな声を漏らし、きょとんと目を瞬かせる。

エスメラルダは閉じた扇で自身の額を軽く叩き、これ見よがしに深々とため息をついた。

「はぁあああ。お風呂上がりなのですから、水分補給のための冷たい飲み物くらい持ってくるのが当然でしょう。本当に気が使えない男」

「ええー……っ」

ギルバートは項垂れ、大きな紙袋を抱えたまま、分厚い絨毯の上へ膝から崩れ落ちた。

不器用な帝国の破壊神は、最強の母と愛らしい婚約者の前では、今日も完全に形無しなのであった。