作品タイトル不明
104.人形の記憶
体育祭の熱狂が続く魔法学園の敷地内。
三人は木陰にあるベンチに腰を下ろし、屋台で買ったお昼ご飯を食べることにした。
香ばしく焼けた串焼きの匂いと、果実を絞った冷たいジュースの爽やかな香りが漂ってくる。
しかし、その和やかな空気の中心には、どうにも落ち着かない奇妙な配置があった。
ソフィアとギルバートの間に、美しい魔導人形であるヴィルヘルミナが、彫像のように背筋を伸ばして鎮座しているのだ。
「どいてくれ」
「いやです。どきません。一寸たりとも離れません」
ギルバートが眉間を揉みながら頼むが、ヴィルヘルミナは無表情のまま冷たく即答した。
彼女はソフィアの腕に自身の細い腕を絡ませ、ぴったりと寄り添っている。
「なぜそこまで執着するのだ」
ギルバートはガックリと肩を落とし、手に持っていた串焼きを力なく下ろした。
せっかくのデートが、祖父の遺した過保護な魔導人形によって完全に阻まれてしまっている。
ソフィアは困り果てて頬を掻きながら、ヴィルヘルミナの美しい横顔を見つめた。
自律思考を持ち、明確な感情を示す魔道具。
それは職人から見ても、あまりにも常軌を逸した存在であった。
◇
「ワタシは元々、一つの、ただの人形だったのです」
ヴィルヘルミナが、遠い過去を思い出すように静かに語り始めた。
翠緑の瞳が、木漏れ日の揺れる地面をじっと見つめている。
「それは、子供に忘れられ、暗い部屋の片隅に捨てられた人形でした。動くことも、喋ることもできない、ただの布と綿の塊。ですが、長い時間の中で、ワタシは意識を持ちました」
「 付喪神(つくもがみ) 、ですね」
ソフィアの言葉に、ヴィルヘルミナは静かに頷いた。
「そういう概念が、極東の国にはあると聞いたことがありますわ。長い年月をかけて、人が使った道具には魂が宿ると」
「そんなオカルトが存在するのか」
ギルバートが不思議そうに首を傾げる。
帝国の論理的な魔法体系において、魂が自然発生するなどという事象は信じ難いものであった。
「魔力には、人の思いが乗っかるのです」
ソフィアは串焼きの木串を置き、職人としての真剣な眼差しでギルバートに向き直る。
「悲しい感情。嬉しい感情。そういう感情の強さが魔力の強さに比例し、そしてモノに宿ります。それが長い年月をかけて集積されていく。そして限界まで集積されれば、疑似的な一つの生命体になる。理屈を言えば、そういうことになりますわ」
ヴィルヘルミナはソフィアの解説に同意するように、微かに目を伏せた。
「ワタシは捨てられた人形。でも、ワタシはワタシを大事にしてくれた人の元に、もう一度行きたかった。その強い意志だけが、ワタシの魂の形でした。そして、その意志を汲んでくれたのが、旧マスターであるヴィル様です」
ヴィルヘルミナの脳裏に、世界中を旅していた若き日の天才職人の姿が浮かんでいるようだった。
「彼はワタシに、この強靭で美しい体をくれました。自由に動ける足を、言葉を紡ぐ声をくれました。お前が行きたい場所へ行けと」
「それで、どうなったのだ。その、持ち主だった子供の元へ帰ったのか」
ギルバートが身を乗り出して尋ねる。
ヴィルヘルミナは人工の唇を微かに震わせ、酷く悲しそうな声で答えた。
「ええ。帰りました。ですが、その子はもう、死んでおりました」
木陰を通り抜ける風が、一瞬だけ冷たく感じられた。
「当然です。付喪神は、長い年月をかけて作られるものですから。ワタシを愛してくれた人は、すでに寿命を全うして、この世にはいませんでした。ワタシはその後、ヴィル様に自由を与えられた。でも、やりたいことなんて何一つなかった」
ヴィルヘルミナの瞳から、光が失われていく。
「当てもなく彷徨い、やがて動けなくなり、この学園の倉庫へと運ばれました。ワタシは、誰からも必要とされない、空っぽのガラクタなのです」
落ち込むヴィルヘルミナの姿は、冷たい機械ではなく、迷子になった子供のように見えた。
ソフィアは胸が締め付けられる思いで、ヴィルヘルミナの冷たい人工の手を両手で優しく包み込んだ。
ソフィアの瞳に、再び深淵の闇の色が宿る。
あらゆる魔力と真理を見抜く虚無の魔眼が、ヴィルヘルミナの胸の奥にある魔力炉の構造を完全に捉えていた。
「その子は、貴方を本当に愛していましたよ」
ソフィアの優しく温かな声に、ヴィルヘルミナがハッと顔を上げる。
「貴方の心臓部である魔力炉を見ました。とても強い魔力を、今も発し続けています。でも、不思議なのは、その動力には魔法生物の素材も、魔石も一切使われていないということです」
「あ、ありえないだろ」
ギルバートが驚愕に目を見開いた。
「魔道具の動力には、強い魔力が必要だ。それこそ、高位の魔法生物の体毛や、膨大な魔力を帯びた鉱石。それらがないと、これほど複雑な人形が動くはずがない」
「はい、通常ならその通りですわ。そして、複雑な魔力回路であればあるほど、消費する魔力も多くなります。でも、ヴィルヘルミナさんの炉には、それらが一切ないのです」
ソフィアはヴィルヘルミナの手を握ったまま、彼女の翠緑の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「もちろん、魔力炉を作ったお爺様の技術が優れているというのはあります。でも、お爺様が作った炉は半永久タイプ。つまり、元となる強い思念、魔力が絶対に必要となるのです」
「なるほど。お爺様は、強い思いを核として、それを心臓に使っているということか」
ギルバートの言葉に、ソフィアは深く頷いた。
「はい。そして、その強い思いは、ヴィルヘルミナさん。貴方を想う、その子の思いです。貴方は、本当に大事にされていたのですね」
その瞬間。
ヴィルヘルミナの脳裏に、遠い遠い過去の記憶がフラッシュバックした。
それは、酷く貧乏な母子家庭の情景であった。
雨漏りのする小さな部屋で、病気がちな母親が、端切れの布を集めて不格好な人形を縫ってくれた。
それが、自分。
幼い子供は、その人形を大層喜んだ。
寝る時も、食事の時も、ずっとそばに置いた。
やがて母親が亡くなり、子供は大人になり、そして老婆となって息を引き取った。
彼女は死ぬ最後の瞬間まで、母親との大切な思い出であるその人形を、しわくちゃの手でしっかりと抱きしめていたのだ。
暗い箱の中にしまわれたのは、捨てられたからではない。
彼女がこの世を去った後、一番大切な遺品として、棺の代わりに箱に納められたからだった。
「忘れていた、記憶」
ヴィルヘルミナの翠緑の瞳から、人工の涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「それが、思い出せました。胸を満たすこの温かな動力は、ワタシを大事に思う心。捨てられていたから、忘れてしまっていた。でも、違う。死ぬまで大事にされていたし、大切な遺品として残ったのですね」
冷たかったヴィルヘルミナの表情が、春の陽だまりのように柔らかく解けていく。
彼女は愛されていた。
その確かな記憶と愛情が、彼女を動かす無限のエネルギー源であったのだ。
「ありがとう、マスター」
「いえいえ。思い出せて良かったですわ」
ソフィアが優しく微笑むと、ヴィルヘルミナはソフィアの細い体をぎゅうううっと強く抱きしめた。
機械の体とは思えないほど、その抱擁は優しく温かかった。
「マスター。好き」
「はいっ」
突然の愛の告白に、ソフィアは顔を真っ赤にして幻の犬耳をピンと立てた。
「御身を、この体が朽ちて死ぬまで守ります。ワタシの、最高で最愛のマスター」
ヴィルヘルミナはソフィアの頬に自身の頬を擦り寄せ、幸福そうに目を細めた。
その美しい主従の絆の誕生を、ギルバートは腕を組んで温かく見守っていた。
「良かったな。これで過去の未練も断ち切れただろう」
ギルバートが労うように、ヴィルヘルミナの肩に触れようと大きな手を伸ばす。
しかし。
バシィイッ。
ヴィルヘルミナは恐ろしい速度でギルバートの手を払い除け、冷え切った殺意のある視線を向けた。
「汚い手でワタシのマスターに触れるな、無骨男」
「ええーっ」
感動的な雰囲気が一瞬にして消し飛び、ギルバートは膝から崩れ落ちて地面に手をついた。
どうやら、ソフィアに対する絶対的な忠誠心と愛情に比例して、彼女に近づく男への敵対心も限界突破してしまったらしい。
かくして、ソフィアの工房にまた一つ、強力すぎる過保護な家族が増えることとなった。
帝国の破壊神の前途多難な恋愛模様は、解決するどころかさらに厄介な障害物を抱え込むのだった。