軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

103.動き出す歯車

ソフィアがうなじの起動ボタンを押し込むと、美しい魔導人形は長い眠りから目を覚ました。

人形はゆっくりと上体を起こし、自らの両手を顔の前にかざす。

そして、確かめるように指をにぎにぎと開閉させた。

滑らかな人工の関節からは微かな駆動音が鳴るだけで、機械特有のぎこちなさは微塵もない。

「こんな精緻なゴーレム、初めてだ」

グリフィスを含め、周囲を取り囲んでいた魔道具研究会の学生たちから、ほうと感嘆の息が漏れた。

人形は周囲をぐるりと見渡し、透き通るような翠緑の瞳をソフィアへと固定する。

そして、音もなく立ち上がり、ソフィアの前へと歩み寄ってきた。

「お手を、拝借してもよろしいでしょうか」

鈴を転がすような、冷たくも美しい声であった。

ソフィアが恐る恐る右手を差し出すと、人形はその手を両手で包み込むように握る。

人形の瞳の奥で魔力回路が明滅し、ソフィアの手に刻み込まれた職人としての魔力の波長を読み取っていく。

ソフィア自身に魔力は流れてない。ファフニールから受け継いだ知識、そして魂に刻まれし、円環。

それは、歴代の八宝斎のみが継承する黄金の手の持ち主である、証であった。

人形は静かに頷く。

「確認いたしました。貴方が、新たなマスターですね」

「へ。マスター、ですか」

ソフィアが目を丸くすると、人形は美しい顔に微かな微笑みを浮かべて一礼した。

「ワタシはヴィルヘルミナ。旧マスターであるヴィル・クラフトが創りし、自律思考型魔導人形です」

「ヴィルヘルミナさん、ですね」

ソフィアは、大好きだった祖父がこの美しい人形に名付けた名前に、胸の奥が温かくなるのを感じた。

一方で、グリフィスは興奮のあまり鼻息を荒くして身を乗り出してくる。

「Yes、マスター」

「すごいっ。完全に自立して、人間みたいに会話してるっ」

「そんなに凄いことなのか」

魔道具に明るくないギルバートが不思議そうに尋ねると、グリフィスは力強く頷いた。

「それはそうですよ。自分で考えて喋る魔道具なんて、聞いたことがありません。これを作った人は、歴史に名を残す大天才だっ」

「いいえ、天才ではありませんわ」

ソフィアはふんす、と誇らしげに鼻を鳴らし、豊満な胸を張った。

背中では幻の尻尾が、ちぎれんばかりに左右に揺れ動いている。

「私のお爺様は、鍛冶の神様です」

祖父を褒められ、自分が褒められるよりも何倍も嬉しいソフィアであった。

ヴィルヘルミナはそんなソフィアを静かに見つめ、首を小さく傾けた。

「それで、ワタシは何をすればよいのですか」

「あ、そうでした。こちらのグリフィス君の指示に従って、部活対抗のリレーレースに出てほしいのです」

ソフィアが事情を説明すると、ヴィルヘルミナは無表情のまま頷いた。

「承知いたしました。それがマスターのご命令であれば」

「命令。ううん、命令ではなく、お願いですわ」

ソフィアが慌てて訂正すると、ヴィルヘルミナは困惑したように瞬きを繰り返した。

「お願い。マスター、ワタシは人形です。お願いなどと言われましても困ります。せめて命令であってほしいのですが」

ヴィルヘルミナの言葉に、ソフィアはしゅんと肩を落とした。

彼女は人に何かを命令するのが、極端に苦手なのである。

前世で寝たきりの病弱な体を抱え、ずっと誰かに迷惑をかけて、世話をしてもらいながら生きてきた。

その時の申し訳なさが魂に染み付いており、誰かの上に立って強い言葉で縛り付けることが嫌いなのだ。

「なるほど。お前が命令するのが苦手なら、代わりに俺が命じようか」

見かねたギルバートが、ソフィアを庇うように一歩前に出た。

その瞬間である。

ヴィルヘルミナの翠緑の瞳が、きゅいいいん、と恐ろしい光を放って吊り上がった。

「マスター。誰ですか、この無骨な男は」

「ええと。ワタシの、その、大事な人ですっ」

ソフィアが顔を真っ赤にして、もじもじと指先を絡ませながら答える。

しかし、ヴィルヘルミナは即座に首を横に振った。

「NO。圧倒的、NOです。このような暑苦しい男、可愛らしいマスターにはまったく似合いません」

「ええーっ」

ギルバートは唐突な全否定を食らい、ガックリと項垂れて膝から崩れ落ちそうになった。

愛する婚約者の祖父が作った人形に、初対面で完全に嫌われてしまったらしい。

「あ、あの。そろそろレースの集合時間が始まってしまいますから」

部長の少年がオロオロと声をかける。

ソフィアはコホンと咳払いをし、ヴィルヘルミナを真っ直ぐに見つめた。

「ええと。じゃ、じゃあ、走って。そして、勝ってきてください」

慣れない命令口調で、ソフィアは不器用に告げた。

ヴィルヘルミナは満足そうに微笑み、優雅なカーテシーを披露する。

「Yes、マスター。必ずや、勝利を捧げましょう」

魔法学園の巨大なグラウンドは、祭りの熱気と乾いた砂埃に包まれていた。

部活対抗リレーのスタート地点には、各部活の代表者たちが顔を揃えている。

炎や風の魔力を立ち昇らせ、筋肉を隆起させた体力自慢の学生たちが闘志を燃やしていた。

彼らは皆、学園の中でもトップクラスの身体能力と魔法の才を持つ者たちばかりである。

地面を蹴るたびに、重い地響きが観客席にまで伝わってくる。

その中で、メイド服のようなヒラヒラとした衣服を纏ったヴィルヘルミナの存在は、ひどく浮いていた。

観客席の誰もが、魔道具研究会がまたおかしなガラクタを持ち込んできたのだと囁き合っていた。

「ふふん、今年の優勝も俺たち武闘派がいただくぜ。俺の圧勝だな」

隣のレーンに立つ巨漢の学生が、見下すようにヴィルヘルミナを鼻で笑った。

彼の太い腕には血管が脈打ち、指の関節を鳴らすたびにボキボキと鈍い音が響く。

汗と興奮の入り混じったむせ返るような体臭が、風に乗って漂ってきた。

「魔道具研だか何だか知らねえが。誰だ、こいつ。こんな華奢な女が、俺たちに勝てるわけがねえだろうが」

巨漢の学生の挑発に、グラウンドの脇で見守っていたグリフィスたちが悔しそうに唇を噛む。

彼らは日陰者の部活として、常にこうした見下された視線に晒されてきたのだ。

しかし、ソフィアの虚無の魔眼は、巨漢の学生の卑劣な行為を正確に見抜いていた。

(あの人、自分自身に遅延魔法をかけていますわ)

ソフィアは目を細め、巨漢の学生の体内で渦巻く魔力の流れを視覚化した。

彼の太い脚の筋肉繊維に、圧縮された風と肉体強化の魔法がびっしりと編み込まれている。

それはスタートの空砲の音に反応して弾けるように設定された、極めて悪質なフライングの仕掛けであった。

審判の目を盗み、ルールを無視してまで勝利に固執する卑劣な手段である。

しかし、ソフィアは声を上げて審判に抗議することはしなかった。

なぜなら、ヴィルヘルミナが、祖父の作った最高傑作の人形が、あのような小細工に負けるはずがないと確信していたからだ。

ヴィルヘルミナは周囲の喧騒を一切無視し、スタートラインに静かに立っていた。

陸上競技特有の前傾姿勢をとることすらしない。

彼女の翠緑の瞳の奥で、無数の演算処理が高速で行われているのがソフィアには分かった。

風向き、路面の摩擦係数、大気の湿度、そして目標地点までの最短軌道。

すべてを数値化し、最適解を導き出すための完全なる機械の静寂であった。

「位置について。はじめっ」

審判の合図と共に、空砲の魔法がグラウンドに鳴り響いた。

巨漢の学生の体に遅延魔法が発動し、筋肉が弾け飛ぶような凄まじい勢いで飛び出そうとした、その瞬間である。

ゴオオオオオオオッ。

鼓膜を劈くような凄まじい爆発音と共に、ヴィルヘルミナの両脚から真紅の炎が噴き出した。

彼女のふくらはぎの装甲が滑らかに展開し、内部に隠されていた超小型の魔力ロケットが激しく火を噴いたのだ。

強烈な排気ガスと機械油の匂いが、周囲の空気を一気に焦がしていく。

それは比喩表現などではなく、文字通りのロケットスタートであった。

ズドーンという衝撃波がグラウンドを駆け抜け、スタート地点に立っていた他の走者たちを容赦なく吹き飛ばした。

遅延魔法で飛び出そうとしていた巨漢の学生も、爆風をもろに受けて空中で数回転し、無様に砂埃の中に墜落する。

「な、なんだあいつはっ」

「速すぎるっ、追いつけねえっ」

後方で魔法剣士や獣人たちが必死に立ち上がり、魔力を振り絞って追いすがるが、その差は開く一方である。

ヴィルヘルミナの走りは、人間のそれとは根本的に異なっていた。

無駄な上下動が一切なく、地面を滑るように直進していく。

足裏から放たれる推進炎がトラックの砂を激しく巻き上げ、彼女の通った後には一筋の焦げ跡すら残っていた。

風を切り裂く高い風切り音が響き、最前列で応援していた学生たちの髪を乱暴に巻き上げていく。

美しい銀髪が一本の光の筋となって、グラウンドを瞬く間に半周してしまった。

誰よりも早く、他を寄せ付けない圧倒的な速さで、第一走者の区間を走り終えようとしていた。

そして、次で待機していた魔道具研究会の第二走者である眼鏡の少年の前で、急ブレーキをかける。

キュルルルルッ。

靴底から火花を散らしながら見事に静止し、ヴィルヘルミナは手にしたバトンを少年の手に優しく握らせた。

その間、わずかコンマ数秒の出来事である。

「さあ、マスターの勝利のために。走ってください」

「ひっ、はいぃっ」

圧倒的な速さと爆音に腰を抜かしかけていた少年が、バトンを握りしめて慌てて走り出す。

あまりにも大きなリードを奪ったため、ひ弱な文化系の少年がゆっくり走っても、後続が追いつくには時間がかかりそうだった。

「うおぉおおっ。すごぉいっ」

一瞬の静寂の後、グラウンドを揺るがすような大歓声が沸き起こった。

魔道具研究会の学生たちは抱き合って涙を流し、観客たちは信じられない魔道具の力に度肝を抜かれている。

不正を企んでいた巨漢の学生は、煤まみれになって呆然と座り込んでいた。

「すごいな。あんな規格外のものを、個人で作ってしまうなんて」

ギルバートが腕を組み、感嘆の息を漏らしてソフィアを見下ろした。

彼のような軍のトップ層から見ても、ヴィルヘルミナの性能は兵器として常軌を逸している。

あのような加速と姿勢制御が可能ならば、軍の重装甲部隊すら単騎で壊滅させられるだろう。

「えへへ。私のお爺様は、本当にすごい人なのです」

ソフィアは自分のことのように褒められ、ほくほくと幸せそうに頬を緩ませた。

幻の尻尾が誇らしげにパタパタと揺れている。

ギルバートが愛おしそうにソフィアの頭を撫でようと、大きな手を伸ばした、その時である。

「マスターに、気安く触れないでいただきたい」

いつの間にかトラックから戻ってきていたヴィルヘルミナが、二人の間にサッと割って入った。

そして、ギルバートを冷たい翠緑の瞳で睨みつけ、両手を広げてソフィアを庇うように立ち塞がる。

「マスターは、オマエのような男には絶対に渡しません」

「ええーっ」

帝国の破壊神は、本日二度目となる理不尽な全否定を食らい、今度こそ完全に膝から崩れ落ちた。

魔法杖だけでなく、祖父の遺した魔導人形にまでヤキモチを焼かれることになるとは思ってもみなかったのだ。

ソフィアは困惑しながらも、自分を守ろうとしてくれる人形の背中を見て、くすくすと上品な笑い声を漏らす。

青空の下、賑やかな体育祭の喧騒の中で、不器用な二人の恋路にまた一つ、賑やかで厄介な障害物が誕生した瞬間であった。