作品タイトル不明
98.犯罪者の杖ではない
帝都の地下深くに位置する、軍が管轄する牢獄。
冷たい石造りの壁に囲まれた面会室は、空気までが凍りついているかのように重苦しかった。
長机を挟んで向かい側に座っているのは、まだ十代半ばほどの若い女性冒険者である。
彼女の腕には重々しい手錠がはめられ、小さな体は小刻みに震え続けていた。
血の気が引いた青白い顔と、焦点の定まらない瞳。
それは、自身の魔法で人を焼き殺してしまったという事実と、その極限の恐怖によって心が完全に限界を迎えている状態であった。
「大丈夫ですか。少し、落ち着きましょう」
ソフィアは努めて穏やかな声で語りかけ、長机の上に持参した布包みをそっと置いた。
女性冒険者の肩がびくっと跳ねるが、彼女は何も答えない。
「私はソフィア。魔法杖の職人をしております。貴女の使っていたこの杖を作った青年から、依頼を受けてここへ参りました」
ソフィアが布を開き、赤黒い血痕が付着した樫の杖を見せる。
その杖を見た瞬間、女性冒険者は恐怖を蘇らせたように両手で顔を覆い、喉の奥からひゅうひゅうと掠れた音を漏らした。
「私が、殺しました。この手で、人を焼いて」
「それは分かりました。ですが、何があったのか、私にだけ詳しく話してもらえませんか」
ソフィアが身を乗り出して優しく問いかける。
しかし、女性冒険者は顔を覆ったまま、絶望に染まった声で首を横に振った。
「話しても無駄です。どうせ、誰も信じてはくれない」
「信じます。私には分かるのです」
ソフィアはきっぱりと断言し、机の上の杖にそっと自身の右手を添えた。
「私は、心が読めるのです。貴女がこの杖を握りしめた瞬間の、どうしようもない恐怖と、助けてほしいという強い祈りの声を、この杖を通して確かに受け取りました」
魔力は心より溢れるエネルギー。その時の強い思いが、魔力にのる。
ソフィアが見たのは、杖に宿った、冒険者の魔力だ。
その時の魔力には、殺意は害意というものが全くなかった。彼女に殺意がなかったのは、明白である。
「あなたは悪くないわ」
その言葉に、女性冒険者が顔を覆っていた手を少しだけずらし、驚いたようにソフィアの顔を見た。
「彼女の職人としての腕、そして読心術者としての能力は本物だ」
面会室の壁際で腕を組んでいたギルバートが、静かに一歩前に出た。
漆黒の軍服に身を包んだ威圧感のある大柄な男だが、その声には確かな信頼と温かさが込められている。
「帝国軍大佐であるこの俺が、彼女の力を保証する。彼女が貴女の心に悪意がなかったと言うのなら、それが事実なのだろう」
軍の高官であるギルバートが言い切ったことで、同席していた軍の捜査官も息を呑んで居住まいを正した。
「俺の権限で、この事件の捜査を根本からやり直させる。だから、安心して真実を話してくれ」
ギルバートの力強い言葉と、ソフィアの慈愛に満ちた眼差し。
絶対に自分を否定しないであろう二人の存在に背中を押され、女性冒険者の目から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。
◇
女性冒険者は、嗚咽を交えながら事件の夜の出来事を語り始めた。
彼女は冒険者になったばかりで、右も左も分からなかった。
そこへ、親切を装ったベテランの冒険者パーティの男たちから、迷宮の探索に誘われたのだという。
「彼らは、新人の育成だと言って、私を迷宮の奥の、誰もいない行き止まりへと連れ込みました」
彼女の声が、恐怖で微かに震えている。
「そこで魔物ではなく、男たち全員が私を取り囲んだのです。乱暴をしようと、服を引き裂かれて」
ソフィアは静かに目を伏せ、彼女の言葉の痛みを分かち合うように相槌を打った。
男たちは最初から、新人である彼女を自分たちの欲望の捌け口にするために罠にかけたのだ。
「必死に抵抗しました。やめてと叫んで、この杖を握りしめたのです。誰か助けてと、死にたくないと祈りました」
極限の恐怖と絶望の中で、彼女の魔力は生き残るために無意識に限界を超えた。
防衛魔法が暴発し、凄まじい熱量となって彼女を襲おうとしていたリーダーの男を吹き飛ばしたのだ。
「男は、当たり所が悪くて。私はただ、身を守りたかっただけなのに」
生き残った他の男たちは、仲間が死んだのを見て逆上し、彼女を取り押さえて軍に突き出したのだという。
新人が迷宮で突然狂乱し、俺たちを襲ってきたのだと、全員で口裏を合わせて冤罪をふっかけたのだ。
数で勝るベテランたちの証言の前に、恐怖で口を閉ざした新人の言葉など誰も信じようとはしなかった。
「やはり、極度の恐怖状態から発動した、過剰な防衛魔法でしたか」
ソフィアは悲痛な真実を噛み締め、静かに頷いた。
「しかし大佐。彼女の証言だけでは、正当防衛の証拠にはなりません。男たちの証言と真っ向から対立しております」
同席していた軍の捜査官が、申し訳なさそうにギルバートへと言上する。
すると、ソフィアが机の上の杖を手に取り、捜査官の目の前へと提示した。
「証拠は、この杖にありますわ」
ソフィアは職人としての凛とした表情になり、杖の魔力回路を指差した。
「明確な殺意を持った攻撃魔法と、恐怖による防衛魔法では、杖の内部を通る魔力の経路がまったく異なります。もし彼女が狂乱して攻撃を仕掛けたのなら、出力に特化した攻撃回路が焼け焦げているはずです」
ソフィアは捜査官にも分かるように、杖の基部にある細かな亀裂を示した。
「ですが、この杖の攻撃回路は無傷です。焼き切れて破損しているのは、魔力障壁の展開と、身体強化を担う防御の経路のみ。これは、彼女の心が攻撃ではなく、身を守るためだけに魔力を振り絞ったという、科学的で動かぬ証拠ですわ」
職人としての専門的かつ論理的な証明に、捜査官は目を丸くして感嘆の息を漏らした。
「聞いたな。第一皇子殿下も、この件の真相究明を望んでおられる。すぐにあの男たちを拘束し、再調査を行え」
「はっ。直ちに実行いたしますっ」
ギルバートの鋭い命令に、捜査官は敬礼をして面会室を飛び出していった。
ソフィアの用意した物証と、ギルバートの軍の権限、そして第一皇子の後ろ盾。
それらが完璧に噛み合い、真実は白日の下に晒されることとなった。
◇
軍の再調査により、事態は瞬く間に解決へと向かった。
拘束された男たちは、厳しい尋問と魔法的な嘘発見器の前に、あっさりと罪を自白した。
さらに彼らの身辺を洗った結果、過去にも同じ手口で何人もの新人女性冒険者を罠にかけ、食い物にしていたという悪辣な余罪が次々と発覚したのだ。
男たちは重罪人として即座に投獄され、帝国の厳しい裁きを受けることとなった。
そして、女性冒険者の行為は正当防衛として完全に認められ、無事に牢獄から解放されたのである。
事件の解決を見届けたソフィアとギルバートは、帝都の路地裏にある自身の工房へと戻ってきた。
店内では、セシルとルカが祈るような面持ちで彼らの帰りを待っていた。
「ソフィアさんっ。どう、でしたか」
セシルが身を乗り出して尋ねる。
ルカは不安で顔を真っ青にしながら、ソフィアの口から発せられる言葉を待っていた。
「無事に解決しましたわ。彼女は正当防衛が認められ、自由の身となりました」
ソフィアが優しく微笑んで告げると、セシルは安堵のあまりへたり込みそうになった。
ソフィアは布に包まれた樫の杖をカウンターの上に置き、ルカの正面に立つ。
「ルカさん。貴方の作った杖は、決して人を殺すための邪悪な道具などではありませんでした」
ソフィアは両手でルカの傷だらけの職人の手を取り、はっきりと告げた。
「あの女性は、恐ろしい悪党たちに尊厳を奪われそうになりました。誰も助けが来ない暗闇の中で、彼女の絶望と恐怖に寄り添い、その命を最後まで守り抜いたのは、貴方が丹精込めて作ったこの杖なのです」
ルカの瞳から、大粒の涙がぼろぼろと溢れ出した。
人を殺めた凶器だと忌み嫌い、恐怖していた自分の作品が、実は一人の少女の人生を救った希望の盾であったと知ったのだ。
「私には、この杖が誇らしげに胸を張っているように見えますわ。だから貴方も、職人としての誇りを取り戻してください」
「ありがとうございますっ。本当に、本当にありがとうございますっ」
ルカは堪えきれずにその場に泣き崩れ、何度も何度もソフィアに向かって頭を下げた。
魔法杖は、持ち主の心を増幅させる半端な存在である。
時に人を傷つける刃にもなるが、誰かを守るための強固な盾にもなる。
職人にできるのは、使う人の手が誰かを守るために動くよう、少しでも優しい祈りを込めて形にすることだけなのだ。
「ソフィアさん。あなたには、本当に敵いませんわ」
セシルが涙を拭いながら、職人としての深い尊敬の念を込めて微笑んだ。
技術だけでなく、杖と人の心に寄り添う彼女の在り方に、誰もが救われていた。
事件は綺麗に解決し、絶望に沈んでいた若き職人の心にも、再び前を向いて歩み出すための確かな光が灯ったのであった。