作品タイトル不明
97.杖と罪
帝都の路地裏にあるソフィアの工房は、ひどく気まずい空気に包まれていた。
ソフィアは作業机の前に座ったまま、ぷいっとそっぽを向いて唇を尖らせている。
その後ろでは、帝国の破壊神であるギルバートが、どうにか彼女の機嫌をとろうとオロオロと視線を彷徨わせていた。
「フィー。その、なんだ。悪かった。俺に落ち度があったのなら謝るから、こっちを向いてくれないか」
ギルバートが、大きな体を小さく丸めながら恐る恐る声をかける。
しかし、ソフィアは頑なに彼の方を見ようとはしなかった。
(ギルさんの馬鹿。私の作った杖とばかりいちゃいちゃしてっ)
ソフィアの胸の奥では、言語化できないもにゃもにゃとした感情がまだ燻っている。
自分が生み出した魔法杖にヤキモチを焼くなど、職人として恥ずべきことだと分かってはいるのだ。
それでも、どうしても素直に彼に笑顔を向けることができなかった。
恋愛経験が皆無に等しいギルバートには、婚約者がなぜ突然拗ねてしまったのか、その理由がまったく理解できていない。
ただ見当違いな慰めの言葉を並べるばかりで、事態は一向に好転しそうになかった。
その時、店先のドアベルがカランコロンと軽やかな音を立てた。
ソフィアはハッと顔を上げ、すぐに職人としての営業スマイルを顔に貼り付けて立ち上がった。
「いらっしゃいませ。あら」
「お久しぶりですわ、ソフィアさん。お仕事中にお邪魔してごめんなさいね」
店に入ってきたのは、華やかなドレスに身を包んだ美しい女性であった。
魔導士試験で知り合った杖職人であり、帝都で名高いマダム・グランの娘でもあるセシルである。
彼女はかつてソフィアの技術に触れて感銘を受け、それ以来、自身の杖作りだけでなく後進の職人たちの育成にも熱心に取り組むようになっていた。
良き同業者であり、尊敬できる友人でもある。
「セシルさん。お久しぶりです。本日はどのようなご用件でしょうか」
ソフィアが挨拶を交わすと、セシルは普段の勝気な笑顔を潜め、ひどく深刻な表情を作った。
そして、彼女の後ろから、一人の若い青年を前へと引き寄せたのだ。
「挨拶もそこそこに申し訳ないのだけれど。実は、ソフィアさんにどうしても相談したいことがあって参りましたの」
セシルが引き合わせた青年は、酷く憔悴しきった様子であった。
目の下には濃い隈ができ、焦点の定まらない瞳は怯えたように床を彷徨っている。
身なりからして、彼もまた杖職人であることはすぐに分かった。
「彼はルカ。私の工房で修行をしている、三年目の若手職人ですわ。ソフィアさん、どうか彼を助けてあげてほしいの。このままでは、彼は職人を辞めてしまいます」
セシルの悲痛な声に、ソフィアは顔つきを引き締めた。
ギルバートもただ事ではないと察し、静かに壁際に立って気配を消した。
「ルカさん、ですね。いったい何があったのですか」
ソフィアが優しく問いかけると、ルカはわっと泣き崩れるようにその場にへたり込んだ。
「私が。私の作った杖が、人を殺してしまったんですっ」
絞り出すような青年の告白に、店内の空気が一瞬にして凍りついた。
魔法杖は、魔法を増幅するための道具である。
当然ながら、使い方を誤れば人を傷つけ、命を奪う凶器にもなり得る。
それは、杖職人であれば誰もが頭の片隅で理解している絶対的なリスクであった。
「先日、私が丹精込めて作った中級の杖を、若い女性の冒険者が買ってくれたんです。彼女はとても喜んでくれて、私も職人として本当に嬉しかった」
ルカは震える両手で顔を覆い、嗚咽を漏らしながら語り続けた。
「でも、昨日の夜。彼女は迷宮で、男を魔法で焼き殺してしまった。私の作った杖を使って。彼女は現行犯で軍に捕まり、今も牢獄にいます。私はただ、使いやすくて良い杖を作りたかっただけなのに……」
青年は自分の手を見つめ、恐怖に震えていた。
「自分が作っていたのは、人を殺めるための道具だったと気づいてしまったんです。自分の手が血に染まっているようで、もう恐ろしくて小刀を握ることもできません」
ルカの絶望は、痛いほどに理解できた。
ソフィア自身も、かつて自分の作った杖が戦場で多くの命を奪うかもしれないという恐怖に直面したことがあるからだ。
「お手を、拝借しても」
「え、ええ……」
ソフィアはルカの手を見る。その手を見れば、彼が真面目に杖作りに取り組んでいることはわかった。
祖父から聞いたことがある。杖に呪いをかけて、使い手に不幸をもたらすような、悪質な呪具師が存在することを。
しかしルカの手からは、そんなモノはまるで感じなかった。悪意を持ってモノを作る人間は、その手を見ればすぐにわかるのだ。手に宿る 魔力(きもち) 、そして……癖。
(ルカさんはどうみても、悪質な呪具師じゃない。つまり、ちゃんと杖の使い手をおもって、杖を作る人だわ。そんな人から杖を買った人が、犯罪に使う……?)
どうにも、釈然といかなかった。
(この件、想ったより単純な事件じゃないかもしれない)
杖を買った人間が、ただ悪意を持って人を殺してしまった。それだけではないと、ソフィアはそう思ったのである。
ソフィアには、正義の心があった。弱い人、困っている人をほっとけない心がある。
だからこの件も、ほっとけなかった。
「その杖って、今どこに?」
「軍で捕まっているなら、うちで預かってるだろうな」
ギルバートが答える。
「それを見せてもらうことって可能でしょうか」
「! ああ。可能だろう。ちょっと連絡を取ってみる」
「お願いします」
ギルバートは、すぐにソフィアのお願いを聞き入れた。それは相手が恋人だから……ではない。
ソフィアの真剣な表情から、何らかの重大な事件が起きてる。そう、予想を立てたのである。
ややあって。
ギルバートの知り合いである軍人が、杖を届けてくれた。
布に包まれた一本の杖をカウンターの上にそっと置く。
証拠品として保管されていたものを一時的に借り受けてきたらしい。
布を開くと、そこには赤黒い血痕がべったりとこびりついた、一本の樫の杖があった。
ルカが丁寧に削り出し、持ち主のことを思って魔力回路を刻んだであろう、実直で美しい杖である。
しかし、今は凄惨な事件の凶器として、重苦しい空気を放っていた。
ソフィアは躊躇うことなく、その血に染まった杖にそっと両手を添えた。
そして静かに目を閉じる。
杖の声を、聴くために。
杖の内部に張り巡らされた魔力回路は、魔法が発動した直後の熱をまだ僅かに帯びていた。
ソフィアはその痕跡を一つ一つ丁寧に辿り、持ち主が魔法を放った瞬間の感情と波長を読み取っていく。
そして、ソフィアは静かに目を開けた。
「ルカさん。あなたの作った杖は、立派な杖です」
「えっ」
「この杖からは、人を殺してやろうというような殺意や害意は、一切感じられません」
ソフィアの断言に、ルカだけでなくセシルも驚いたように目を見張った。
ソフィアは杖の表面を優しく撫でながら、読み取った事実を淡々と語る。
「回路に焼き付いているのは、極限の恐怖です。そして、持ち主の命をどうにかして守ろうと、杖自身が必死に魔力を振り絞った痕跡です」
人を殺傷するための攻撃魔法と、身を守るための防衛魔法では、回路にかかる負荷の形がまったく異なる。
この杖に残されていたのは、防衛魔法の過剰な発動による暴走の痕跡であった。
つまり、女性冒険者は殺意を持って魔法を放ったわけではない。
何らかの恐ろしい事態に直面し、身を守るために振るった魔法が、結果として相手の命を奪ってしまったのだ。
「この事件には、裏がありますわ。彼女は、無実の罪を着せられようとしているのかもしれません」
ソフィアの言葉に、壁際で聞いていたギルバートが一歩前に出た。
「フィー。それなら、俺が軍の手を回そう。魔法騎士団を動かして、事件を根本から洗い直させる」
帝国の大佐である彼が権力を使えば、軍の捜査に介入することは容易だろう。
しかし、ソフィアは静かに首を横に振った。
「いえ、ギルさんの立場を危うくするようなことはしたくありません」
ギルバートは次期当主ではないとはいえ、名門ヴォルグ公爵家の人間である。
彼が個人的な理由で捜査に介入すれば、政敵に揚げ足を取られる口実を与えかねないのだ。
「では、どうするつもりだ」
「ここは、私に考えがあります。少しだけ、特権を使わせていただきましょう」
ソフィアは机に向かい、一枚の便箋にサラサラとペンを走らせた。
宛先は、帝国の第一皇子である。
以前、国が所有する神杖が盗まれた際、事件解決後、何か困ったことがあればいつでも力になると約束してくれていたのだ。
そして、何よりソフィアは帝国宮廷御用達の杖職人でもある。
個人的な恩義という形であれば、軍のメンツ潰すことなく、スムーズに面会の許可を取り付けることができるはずだ。
ソフィアは書き上げた手紙を封筒に入れ、ギルバートへと手渡した。
「ギルさん。これを、第一皇子殿下の側近の方へ届けていただけますか」
「分かった。すぐに手配しよう」
ギルバートは手紙を受け取り、力強く頷いて工房を飛び出していった。
彼の背中を見送りながら、ソフィアはルカに向き直って優しく微笑んだ。
「ルカさん。もう少しだけ、待っていてください。私が必ず、あなたの作った杖の潔白を証明してみせますわ」
自分の生み出した杖で、職人が絶望することなどあってはならない。
杖の声を通訳できる自分にしかできない仕事だと、ソフィアは職人としての強い決意を胸に抱く。
その日の夕刻。
第一皇子の迅速な手引きにより、ソフィアは帝都の地下にある軍の牢獄へと足を運んでいた。
冷たい石造りの通路の先で、事件の鍵を握る女性冒険者が、孤独と絶望の中で膝を抱えて座り込んでいる。
ソフィアは鉄格子の前に立ち、真実を明らかにするための静かな戦いを始めるのだった。