作品タイトル不明
魔女の愛
ユフィがハルと共にエランディアから国境の村へと戻ってきてから、数日が過ぎていた。
リベリカがハルに魔法をかけてから、正確に一週間が経った今日の朝。ハルは床から起き上がることができぬまま、ベッドに横たわっていた。吐き出される吐息は熱かった。
万が一に備え、魔女の家で一日を過ごしたユフィは、目を開けることすらできず気絶するように横たわっているハルを見つめ、薄い溜息を漏らした。
(薬を飲ませることができればいいのだけど)
一向に意識が戻らないため、薬を飲ませることができなかった。もちろん、無理に飲ませる方法がいくつか無いわけではなかった。心情としては、無理にでも薬を飲ませたい。
しかし、昏睡状態の患者に無理やり薬を飲ませ、気道でも詰まらせようものなら、さらに大きな事故に繋がってしまう。
(伴侶はその程度では死なないでしょうけど……)
苦しみを和らげようとして、余計に苦しませるわけにもいかない。そもそも今のハルは病に冒されているわけではなく、魔法の反動による負荷に近い状態だった。
魔力を持たない人間ゆえに拒絶反応を起こしているのであって、薬で解決できる問題でもなかった。
今のユフィにできることといえば、冷たい水に浸したタオルで、彼の熱を少しでも下げてあげることくらいだった。その事実が、あまりにも歯痒く、胸を痛めつける。
「ハル、早く良くなってね」
タオルで彼の顔を拭いながら、小さな声で呟いた。すると、固く閉ざされていたハルのまぶたが、ゆっくりと開かれた。
「ユ、フィ……」
ひどく乾いた唇から、掠れた声が漏れ出た。村に初めて到着した時のように、おぼつかないその声に、胸の奥がざわついた。ユフィは彼の顔に冷たいタオルを当てながら言った。
「ハル。気がつきましたか?」
「すま、ない……。君に……余計な手間をかけさせるな」
「このくらい、なんてことありませんわ。だから、気に病まないで」
ユフィが脂汗に濡れた彼の髪を優しく掻き揚げながら告げた。その手の温もりに、ハルが緩慢に手を伸ばしてきた。
「手を、握ってくれるか?」
「いつでも」
ユフィはハルの手をぎゅっと握り締めた。
ただ手を握り合わせただけの行動。それなのに、ハルの表情は平穏を取り戻していった。まるで、彼女が傍にいるということを、その時になってようやく認識したかのように。
先ほどよりも少しだけ落ち着いた呼吸を刻みながら眠りについたハルの頬を、優しく撫で下ろす。やはり、何かをしてあげたい。
せめて、眠っている間だけでも安らかであってほしい。
ハルが完全に眠りについたのを確認したユフィは、静かに彼の手を放し、部屋を後にした。
***
「師匠」
「いないよ」
ユフィがリベリカの部屋へと足を踏み入れると同時に、リベリカが断固とした声で応じた。問いかける前に答えを返されてしまったせいで、会話の意図を理解するまでに普段よりも長い時間を要した。
一拍遅れてリベリカの言葉を理解したユフィが、眉をひそめてリベリカに歩み寄った。
「師匠、質問もしていないのに答えを出してしまうなんて、いくら何でも意地悪だと思いませんか?」
「聞く価値もない質問だからさ。ハルの身体の有様は、魔法の反動によるものなんだから」
「魔力の輸血でも駄目なのですか?」
「ある程度は緩和されるだろうさ。だけどね、いくら魔力を輸血したところで、一日や二日で治るような症状じゃないんだよ」
「……」
リベリカの言葉に、ユフィは唇をきゅっと噛み締めた。本当に、してあげられることは無いのだろうか。
「熱が高すぎます」
「その程度じゃ死にやしないさ。そもそも、熱が出るくらいなら軽い症状じゃないかい? あんたの伴侶となったことで、私の魔法が一定部分相殺されたんだから。本当に、王冠の魔女ってのは大したものだねぇ」
リベリカの言う通り、実のところ熱が出る程度では、魔法の反動と呼ぶことすら生ぬるいほどの軽い症状に過ぎなかった。
本来であれば、一週間の間に蓄積されていた苦痛が一気に押し寄せ、ショック症状まで引き起こすほどの強烈な魔法なのだから。
分かっている。分かってはいるけれど。
「それにしても……石ころだなんて言っていたくせに、これほど首ったけになるとはねぇ。彼のことがそんなに愛おしいかい?」
「……首ったけなんかじゃありません」
ユフィが不満げな声を返すと、リベリカはフッと鼻で笑った。
「嘘だと言うには、あまりにも態度に出すぎているじゃないかい。だけどユフィ、度が過ぎるよ」
「このくらいは……」
「普通だとでも言いたいのかい? そんなわけがないだろう?」
「……」
普通ではないということくらい、ユフィだって分かっている。ハルに対して過剰なまでに執着していることは、ユフィ自身が一番よく自覚していた。
しかし、どうしても自制が効かない。彼のすべてが気になり、障るのだ。愛と呼ぶにはあまりにも重く、歪んだ感情だった。リベリカの言葉に、ユフィは深い溜息を吐き出した。
「私だって分かっています。けれど、どうしても抑えられないのです。一体なぜなのでしょう。見返りを求める心理、とでも言うのでしょうか」
かつては彼を愛していたし、美しい思い出もたくさんある。しかし、美しい思い出と同じくらい、悍ましい記憶もまた満ち満ちていた。そのすべてを記憶している。
それなのに、なぜ悲しい記憶はすべて色褪せてしまい、温らかな記憶ばかりが水面に浮かび上がってくるのだろう。
ユフィがソファにどさりと腰を下ろすと、リベリカが手ずから茶を淹れ、ユフィの前に差し出した。
「元来、魔女の愛というものはそういうものさ。使い魔とは違って、魔女の伴侶は一生に一度きりなんだからね。魔女になると自らの所有物に対して異常なほどの執着を示すようになるけれど、それが伴侶であればなおさらさ」
「……悍ましいですね。他の魔女たちは、それをそっくりそのまま受け入れているのですか?」
「普通は受け入れないさ。使い魔はなくてはならない存在だけど、伴侶はいなくても困らない。だから最初から、そんな大切な存在は作らないんだよ」
「それでもいいのですか? 引き金がなければ、人間性を維持することは難しいと……」
「引き金ってのは、一つだけじゃないだろう? 伴侶なんてものを作る暇があるなら、他のものに目を向ければいいのさ。私もそうしてきたしね」
確かに、引き金は一つだけではない。ユフィはとりわけ「生きた生命体」に限定されていたが、本来、引き金というものは行為に近いものであることが多かった。
ある魔女は、放浪を続けながら幾多の国々を巡ることが引き金であり、またある魔女は、規律の中で生きながら死にゆく命を救うことが、彼女たちを維持するための引き金だった。ただ……。
「分かりません。どうすれば、他のものに目を向けられるようになるのですか? 彼を伴侶に選んだ時点で、間違っていたのでしょうか」