作品タイトル不明
遥かなる夢の片鱗と、あなたの温もり
ハルと共に村へと戻る道すがら。
あまりに魔力を使いすぎたせいだろうか。重く落ちてくるまぶたに抗うのが難しかった。ユフィがこっくりこっくりと首を傾げると、彼女の後ろに同乗していたハルが、そっとユフィの肩を抱き寄せながら尋ねた。
「ユフィ、疲れたのか?」
「少しね」
「それなら、私に寄りかかって寝るといい」
「でも……あなたは患者でしょう?」
「君を支えるくらいの力はあるさ」
ハルの優しい声を聞いていると、ますます眠気が押し寄せてきた。
このまま少し眠ってもいいのだろうか。ユフィはシフの背に乗る前、いつも軽量化魔法と保護魔法をかけているため、突発的な事態が起きない限り背から落ちることはない。
だから眠ること自体は何の問題もなかった。
それなのに、妙な不安が胸に湧き起こるのは、一連の事件に対する反動のようなものだろうか。ユフィが重いまぶたを持ち上げると、澄んだ月光が彼女の天青色の瞳いっぱいに満ちた。
月光を浴びたハルの髪とシフの毛並みが、銀色に輝いていた。同じ色彩に包まれているという安らぎと、聞き馴染んだ体温が心地よかった。
「ねえ、ハル」
「ん?」
「傍にいてくれますか?」
幾度となく繰り返される問いが、彼女の抱える不安の深さを、過ぎ去った日々に彼女に与えてしまった傷の大きさを、そのまま物語っていた。
この小さな身体に、どれほど深い傷を負わせてしまったのだろう。それにもかかわらず、彼女はハルに今一度チャンスをくれた。
彼を救済してくれるのだ。そんな彼女を、この小さな少女を、どうすれば安心させてあげられるだろうか。
ユフィを抱きしめる腕に力を込めながら、ハルは言った。
「ユフィ。たとえ君が私を求めなくなる時が来ても……私は君 の傍にいる。永遠に傍にいるよ」
ハルの誓いに、呆然と彼を見つめていたユフィが、ふわりと微笑んだ。自らの傷だらけの姿をありのままに映していた天青色の瞳が、ゆっくりと閉じられていった。
***
温かな誰かの腕の中で、ユフィは夢を見ていた。懐かしい夢だった。結婚して間もない頃のことだろうか。
あの頃のラハルトは、新婚という名目で、普段よりも頻繁に屋敷へと戻ってきていた。
もちろん、そうだとしても頻繁に顔を合わせられるわけではなかった。
しかし、屋敷に足を踏み入れる日には、ラハルトはいつもユフィに顔を見せてくれた。時には花を、時には髪飾りを。彼がくれる贈り物よりも、不器用ながらも自分に歩み寄ろうとしてくれるその姿が愛おしかった。
長い夜を共に過ごした後に目にする、彼の顔が好きだった。ユフィはマメな性格なので夜が明ける前に起きる方だったが、彼はユフィよりもさらに寝付きが浅く、いつも彼の方が先に起きているのだった。
眠い目をこすりながら顔を上げると、そこにはいつも彼の穏やかな笑みがあった。触れ合う温かな胸の中が、何よりも彼女に強い安らぎを与えてくれたものだ。
-ユフィネル。まだ朝が来るには早いから、もっと寝ていなさい
-……ラハルト様は?
-私もっと寝るよ。寒いだろう? おいで
普段よりも少し低く、しかし普段よりもずっと優しい声で、彼女の名前を呼んでくれた。
幼子のように「まだ寝たくない」と駄々をこねると、困ったような表情を浮かべながらも、優しく口づけを落としてくれたことを覚えている。
崩壊して壊れてしまう直前の、何よりも甘美だった記憶。
ふわふわと、一定の周期で身体に伝わる浮遊感が心地よかった。
鼻先をかすめる夜明け前の匂いに、ぼんやりと目を覚ました。薄暗い空の下、ユフィはシフの背の上に座っていた。そう遠くない場所に、魔女の村が見えていた。
なんとなく顔を上げると、薄闇の中で彼女を見下ろす赤紫色の瞳と目が合った。
かつてとはすべてが変わってしまった彼の顔。それなのに、その瞳は過去を映し出すかのように鮮明だった。ずっと昔に聞いた、彼の低い声が耳元をくすぐった。
「ユフィ。まだ朝が来るには早いよ。もっと寝ていていい」
「……ハルは?」
「私は大丈夫だ。寒いだろう? おいで」
郷愁を誘う会話。彼は知っているのだろうか、幾度となく繰り返されたこの会話を。
彼の胸に背中を預けたユフィは、ハルの腕を優しく抱きしめた。
「眠くないわ」
「そんなことを言う割には、目が閉じかかっているようだが」
「本当よ。眠くないもの」
子供のような駄々。それに対して、ハルの表情が困ったように歪んだ。彼女の肩をあやす手つきは、あまりにも不器用で、そして優しかった。けれど、物足りない。
「ハル」
「ん?」
「おやすみのキスをしてくれたら、寝てあげる」
ユフィが物憂げな表情でそう告げると、ハルの瞳が大きく見開かれた。
「ユフィ? もしかして、まだ夢を見ているのか?」
「ううん。起きてるわ」
「……」
ハルの視線がしばし虚空へと向いた。どうすればいいのか分からないというその表情に、胸の奥がほどけていくのを感じながらも、悪戯心が芽生えてくる。
「さあ、早く」
「ユフィ。本当に……いいのか?」
「うん。だから、して」
ユフィの言葉に、彼女を抱きしめる腕に力がこもる。ユフィを見つめる瞳が、普段よりも少しだけ深い色を帯びた。ハルの大きな手が、愛おしそうに彼女の頬を包み込んだ。
それに応じるように、ユフィのまぶたがスッと閉じられた。
一度。触れるだけの唇が重なる。
もう一度。少しだけ深く。
抗えないとばかりに紡がれる口づけが、甘く蕩けるようだった。