作品タイトル不明
第122話 黒血の魔人と勇者たちの娘
アルベインではそうそう見ないような、樹齢百年を超えた樹木の枝から枝に飛び移り、スフィアは絶えず加速していく――ラトクリスの離宮を目指して。
「王家の人たち……絶対に、助けなきゃ。処刑なんて、絶対駄目だから……っ」
スフィアは精霊体となって、不可視の状態で高速移動することができる。こうして移動する間にも、徐々に速度が向上し、魔力の制御が上達している――俺でも脱帽してしまうほどの成長速度だ。
「お父さんは、できるだけ表立って動かずに、処刑を止めるために頑張ってたんだよね……」
(捕虜を取られて、情報戦でも後手に回ったのは厳しいところだが、何とか挽回できそうだ。アルベインに帰る前に、ラトクリスにも『情報網』を敷きたいところだな)
「そのためにも、悪い人をやっつけて全部元通りにしなきゃ……」
スフィアは気丈に言うが、不安を隠しきれてはいない。離宮でレオンとルガードのいずれかに遭遇する可能性を考えているのだろう。
しかし俺は、身体に戻ってからこちらに向かうという選択を選ばなかった。それは、中央平原とラトクリス南西部の離宮で、同時に事態が動いているからだ。一手遅れれば王族の処刑が執行され、メルメアの家族が殺されてしまう可能性がある。
「あ……ううん、大丈夫、怖くないよ。私も、次は絶対負けないから。次に戦ったときは、お父さんの娘として恥ずかしくないようにしたいって思ってたから……」
(そうか。でも、お父さんから見るとまだ独り立ちには早いけどな)
「そ、そんなことないもん。私一人だって、お父さんのおつかいくらい……」
(心配しなくていい。スフィアは俺たちと同じか、近いところまで来られる。力の使い方さえ慣れてくればな)
「っ……うん! 私、お父さんが教えてくれたとおりにする! 絶対できるように頑張るね!」
楽観しているわけでも何でもない。近くで見ていて、俺が一番スフィアの実力を理解できているという自負がある。
やがて、進む先に白い城壁が見えてくる――おそらくは離宮を囲む壁。何も指示しなくても、離宮の見張りがいるかを確かめるためにスフィアが魔法を使う。
「地平の彼方へと届く光よ、我が目に遠き風景を映せ…… 光視(ライトビジョン) !」
(そして、敵から見えないようにもしておかないとな。 隠密(ハイディング) )
「ありがとう、お父さん。ここから私も静かにしないとね」
スフィアは人差し指を唇に当てる。その仕草は、ヴェルレーヌに似ているだろうか。
(……いや。スフィアはスフィアだな。母さんたちに似たところがあると言っても)
いつまでも『娘』というだけの扱いをしていてはいけない。スフィアは俺たちのパーティの一員として、役割を十二分に果たしているのだから。
(私が一番うれしいのは、お父さんとお母さんに似てるって言われることだよ)
(……あまりそういうことは、母さんたちの前では言わない方がいいな)
(どうして? いつも思ってることでも、言っちゃいけないの?)
みんなに可愛がられすぎて、離してもらえなくなるから――と答える前に。『光視』で見えている城壁上の敵兵たちの様子が、何かおかしいことに気づいた。
俺たちは北西の方向から、離宮に接近してきた――城壁の正門がある位置は北側だ。そちらの方から、悲鳴じみた声が上がっている。
「話が違うっ、何だあれは! 侵入を許すな、国王のもとに辿り着かせるな!」
「く、来るっ……黒い、化け物が……っ、うぁぁぁぁっ……!」
「や、やめろっ……やめてくれ……ち、畜生ぉぉぉっ……!」
(こんなにいっぱい、人がいるのに……次々、消えて……お父さん、このままじゃ、ここにいる人たちがみんな死んじゃう……!)
『奴』が来ている――この無機質な殺意の気配を、俺もスフィアもよく知っている。
(ルガード……スフィア、奴がここにいる。奴にこれ以上凶行を犯させるわけにはいかない。だが……)
(大丈夫……怖くない。私は負けっぱなしでいちゃいけない……一度敵わなかった相手でも、絶対に倒してみせる。お父さんが居てくれたら、何も怖くないよ)
(……ありがとう。スフィア、何も恐れることはない。今の俺は、『自分の意思で』スフィアを見守ってる)
ただ魂を引きつけられ、否応なしにスフィアに宿ってしまったわけじゃない。
俺はスフィアを自分の力で守ることができる。そして、俺が仕掛けておいたもう一つの試みが上手く行けば、ルジェンタ城にいる皆に加勢することもできる。
(ルガードを止めるぞ、スフィア)
(うん。城壁の上にいる人たちには、できるだけ離宮の外に逃げてもらうね。風精霊の魔法で大丈夫かな?)
(ああ、それでいい。逃げろと言っても聞かないようなら、その場で隠れてるだけでも十分だろう)
魔力を消費することを厭わず、スフィアは無音詠唱で風の精霊魔法『 弾む空気(エア・バウンド) 』を発動させ、動けなくなっている兵士たちを離宮の外へと飛ばす。
「うぉぉっ……な、なんだっ……!?」
「敵襲かっ……うぁぁっ、か、風がっ……!」
兵士たちからすれば、何が起きたのか分からないだろう――そのため、スフィアは彼らから姿が見えていない状態のままで声を張る。
「――危ないので、逃げてください! 逃げるだけですよ、途中の村を襲ったりしたらお仕置きします! あの、えっと、その、とにかく大変なことをしますよ!」
「ひっ、ひぃぃっ……!」
「悪夢だ、これは悪夢だ……っ、うぁぁぁぁっ!」
スフィアがあえて脅かすことを言うが、俺からすれば全く怖がる要素がない。気が優しいというか、根は俺たちの中で誰より大人しい性格だろう。
「むぅ。じゃあ、お父さんだったらなんて言うの?」
(こういう時は、ミラルカに任せるのが一番だ)
「ミラルカお母さん……あっ、わかった。お母さんならこうやって言うよね……『大人しく撤退しないと、殲滅するわよ!』」
「も、もう沢山だ……くそっ、何が安全な任務だっ……!」
「引け、引けえっ! 王宮の本営に帰還するっ! こんな事態で任務などと言っていられるか!」
俺たちが脱出させた兵の中には、見張りの隊長も含まれていたようだ。王宮に向かう途中でジナイーダ将軍たちのいる村に着くだろうが、それは問題ないだろう――兵たちの実力は、隊長格でもBランク、それ以外はCといったところだ。
だが、穏便な方法で敵を追い払うのもここまでだ。スフィアは城壁を駆け、内側の様子を探る――殺気を撒き散らしながら、王族たちが捕らえられているだろう宮殿に突き進んでいる存在がいる。
「っ……お父さん……あの人、倒した相手の血を吸ってる……!」
(ジュリアスの血じゃ物足りないみたいなことを言ってたが……手段を選ばず、少しでも強くなろうとしているのか)
ルガードは兵士たちの放つ弓や魔法を全く受け付けず、強引に接近しては首筋に食らいつき、血を吸う――まさに、食い荒らしているとしか言えない状態だった。
「止めなきゃ……少しでも早く……!」
(よし……スフィア、俺が補助する。コーディの『あの技』を、二人ならさらに強化できるはずだ……!)
「うん! 剣精の生み出す光の刃よ、空に流れる星となれ!」
―― 光剣(ライトブレード) ・ 光弾流星(シューティングスター) ――
スフィアの召喚した光剣が、空に向かって撃ち出され、超高度から光弾を降り注ぐ――一発一発の着弾位置の制御は俺が請け負う。
(当たってはいる……効いてもいるが、倒れる気配はないか。だが、足止めさえできれば……!)
「――今のうちに、みんな逃げてください! ここは、私たちが守ります!」
スフィアが声を張るが、それでも退却を選択できない者もいるだろうということは分かっていた。
―― 精霊体変換(エレメンタルトランス) ・ 転移瞬速(ワープブースト) ――
城壁から飛び、召喚した剣を携えたまま、加速してルガードに近づく。『隠密』を使っていてもなお、ルガードはスフィアの接近に気がつき、スフィアが光剣を振るう前に目を見開いた。
「――どうしてそんなことばかりするんですか、あなたはっ!」
スフィアが感情を露わにする。それでも奴は笑っている――俺の娘が繰り出した裂帛の剣を、黒く変化した皮膚で覆われた腕で受け止めながら。
――修羅残光剣・転移閃烈――
加速したままで繰り出される一撃は、音よりも速い――光剣の刃をルガードが受け止めたあと、一瞬遅れて衝撃が起こり、刃が空を裂く音が閃き、響く。
「っ……!」
斬撃はルガードの腕を覆っていた硬質化した皮膚を切り裂いた――だが。その腕は、俺が切り落としたはずの右腕だった。
「――がぁぁっ!」
ルガードは迷いなく自らの腕を捨て、切り離した――光剣による斬撃が、自分の身体にまで届く前に。
(スフィア、一度離れろ!)
凶兆を覚えて叫ぶ。切り離した腕が瞬時に溶けるようにして黒い液体の塊に形を変え、まるで意思を持つ生き物のように、鋭利な槍となってこちらを狙ってくる。
「くぅっ……!」
スフィアの反応は辛うじて間に合い、光剣の刃で槍の軌道を逸らす。しかし回避した直後に、液状の塊は逆方に槍を突き出し、さらにスフィアを狙う。
―― 防壁の四重檻(プロテクトプリズン・クアドラブル) ――
俺はスフィアの前方に、防御結界を発生させる――一枚、二枚、三枚を破り、四枚目と相殺して、黒い液体――ルガードの血で作られた槍を防ぎきった。
「もう一度言います。逃げてください! これ以上犠牲を出したくありません!」
倒された仲間を捨てて逃げることのできない兵士たちに、もう一度スフィアが声をかける。一刻の猶予もないこんなときに、ユマの能力が役立つ――彼女の魂に訴えかける力を以てすれば、極限状態の相手であっても、声を耳に届かせることはできる。
「早く! 次が来たら、あなたたちを守りきれません!」
「っ……王族を捕らえているこの場所から、任務を捨てて逃げろというのか……っ!」
「隊長、まだ息のある者がいます! 彼らを連れて撤退する許可を……っ!」
「……閣下の見込んだ者が裏切るとは……無念だ……!」
離宮の指揮官らしき将官が、部下の進言を聞き入れて撤退に踏み切る。しかし、ルガードがこの場所――離宮の前庭に作られた庭園に侵入するまでに、すでに多くの兵士たちが命を落としていた。
(……ルガード、お前はグラスゴールと手を組んだとばかり思ってたが。なぜ、こんなことをする……?)
「お前たちのような化け物に、『人間』が勝てる道理などなかった」
ルガードの目は、もはや人間としての感情を宿してはいなかった。
すでに多くの血を取り込んで黒に変化していたルガードの血は、闇そのもののように暗い漆黒に変化していた。
「SSランク……その階級がSSSランクの冒険者の次に位置するというのは、ただの幻想にすぎなかった。俺たちとお前たち化け物どもを隔てているのは、理不尽までの高い壁だ。どんな修練を積んだとしても、壁の向こうが見える日は訪れない」
「お父さんたちに勝てないから、沢山の人を傷つけて、その血を吸って強くなろうとしたっていうんですか? どうしてそうまでして、強くならないといけないんですか……?」
問いかけるスフィアを、ルガードは血と同じように黒く変化した瞳で見る。その口の端に、邪悪な笑みが浮かんだ。
「ただ、強くなりたいからだ。お前たちもそうだろう? その力で、国の内紛さえ思い通りの形に 嵌(は) めようとしている。今も自分が死ぬわけがないと、傲慢そのものの振る舞いをしている……この姿になった俺のことを、哀れんでいるな」
(自分でも分かっているんじゃないか。だが、俺は哀れんでるわけじゃない。そんな甘さは、もう捨てなきゃならないだろう)
「この声は……その娘の中にいるのか……」
ルガードは何を感じ取ったのか。俺がこの形でスフィアの中に宿っていることを、どう理解したのかは分からない。
――分かるのは、奴から感じる殺気が、はっきりと怒りに染まり始めたことだ。
「……俺のことをどこまで知った?」
「シャロンさんから、『 夜を這う者(ノスフェラス) 』の力を得たこと……その力で彼女を支配したこと。血を吸って強くなるほど、血の色が黒く変わってしまうこと……そこまでは、教えてもらいました」
「忠誠を誓うと言っても、それほどのものか。やはり、不要な力だ……他者を糧として、自己を強化する能力のみが 夜を這う者(ノスフェラス) の有益な要素だった」
(最初の一撃を受けるだけで腕を失っているのに、それでも戦うつもりか?)
勝ち目はない――そう告げる前に、ルガードは『俺たちの後ろ』に視線を投げる。
「俺が、俺の一部を『失う』ことは二度とない。そうなるように変化したのだから」
「っ……!」
防御結界に突き刺さっていた黒い槍が、瞬時にルガードの元へと戻る――そして、まるで元から生えていたかのように、黒い右腕が接続されて再生する。
「……あなたは、どうしてそこまで……」
スフィアが声を震わせる。それはルガードの辿り着いた、人間を捨てた者の成れの果てと言える姿を、恐れたからではなかった。
「あの男……ディック・シルバーに、今の俺の力が通じるのか。試すには、多少物足りんと思っていたが……」
(――スフィア、来るぞ! 俺が防御を担当する!)
「うんっ……! コーディお母さん、まだ私に『剣』を使わせて!」
光剣の威力は、さらに上げられる――だが、スフィアの持つ八人分の力の中で、全てを相乗させる境地にまでは至っていない。
まずは二つを重ねる。コーディの剣と相性がいい、俺の魔力による強化。
―― 光剣(ライトブレード) ・ 斬撃回数強化(アタックライズ) ――
改めてスフィアの光剣を目にしたルガードは、僅かに反応する。だが、始動した攻撃の手を緩めることはない。
「光剣……それは、『光剣のコーディ』が使う技のはず。借り物の力でも、王国最強の剣であることに違いはないか」
ルガードはもはや、特定の武器に頼ることも、人としての姿に拘ることもしていなかった。全身を硬質化した黒い血で覆い、右腕をスフィアに向けて振り抜く。
「だがどんな力でも、腹に収めてしまえば終わりだ」
自由に形状を変えられる時点で、『こんなことは絶対にやってこない』という思い込みは捨てた。ルガードの腕が巨大な狼の頭部のように形を変え、大きく顎を開き、スフィアを一呑みにしようとする。
(お父さんっ……!)
親子の戦術会議は、文字通り一切時間を必要としない。スフィアが選択できる回避方法の中から、確実性が高いものを一つ選択する。
――修羅残影・ 閃疾歩(せんしっぽ) ――
魔力の塊でもある血が変化したルガードの腕からは、霊体化しても逃れられない。そう判断して、スフィアはアイリーンの体術を使い、ルガードの攻撃を完全に避けた。
「――逃がさんよ」
ルガードは小さく呟き、攻撃の軌道をすぐさまスフィアの逃げた先に変える。しかし何度喰らいつかれても、そこにはスフィアはいない。常に一手先に回避しているのだ。
鬼神化したアイリーンと同じ、赤い闘気を纏ったスフィアは、ルガードの追随を紙一重で許さない。それどころか、徐々に加速していく――殺意だけを宿していたルガードの瞳に、皮肉にも人間らしい感情が戻ってくる。
それは、焦りだ。簡単に御すことができると思っていた相手が、自分を上回っている――だが、まだ勝てるとも思っている。
「その速さでよくも動ける……ディック・シルバー、貴様も俺たちの同類だ。こんな化け物を育てて、大人しく一介のギルドマスターで居るだと……よくもそんな欺瞞を……!」
「私は、化け物なんかじゃありませんっ! あなたもです!」
ルガードは黒い血の鎧で目元以外のほとんどを覆ってしまい、もはやその表情を読み取ることはできない。
だが、スフィアの言葉に、確かにルガードの感情が揺れた。スフィアの眼は、その動きを決して逃がさない。
「あなたの人の部分は、まだ無くなってない……このまま怪物になんて、させません……!」
「いつまでも 煩(うるさ) く 囀(さえず) る、小娘がっ……!」
「……コーディお母さん、ユマお母さん。二人の力を貸してください!」
―― 光剣(ライトブレード) ・ 聖弾幕(ホーリーシュラウド) ――
ルガードは分かっていなかった――光剣の本領は一撃の破壊力もそうだが、間合いを無視して繰り出される圧倒的な手数の攻撃もまた必殺の武器となる。
「ただの光など、俺には……何っ……!?」
最初に長距離からルガードを牽制した『光弾流星』。それは、ルガードに自信を与えていたはずだった――光剣を変化させた光弾は、ルガードの防御を貫通できない。
だからこそ、ルガードは黒い血を大盾のような形状にして防ごうとした。それが致命的な誤りだと気づかずに。