軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第九十一話 クリムトの決断

クリムトがランとヤマトのいる部屋に戻ると、神妙な顔をしたランに頭を下げられた。

何事か、と 怪訝(けげん) そうな顔をするクリムト。カマキリ型の魔物から助けた礼なら、軍議の前にすでにされていたからである。

いぶかしむクリムトを前に、ランは言いにくそうに口をひらく。

「その……私は、あなたが中山の回し者ではないかと疑っていました。そのことをお詫びします」

「そういうことか。気にするな」

クリムトは怒るでもなくうなずいた。もとよりやる気などないに等しい護衛任務だ。鬼人相手に敬語を使う気にもなれず、言葉づかいだってひどいもの。護衛される側が不信を抱くのは当然といわねばならない。

実際、ランもクリムトの心底を疑っていたが、中山の回し者であったなら魔物に襲われたランたちを助けるはずがない。そう考えてクリムトへの疑いを解いたのだろう。

そんなランを見て、クリムトは内心で呆れる。一度や二度命を助けられたくらいで疑いを解いてどうするのか。何か別の思惑があって助けただけかもしれないのに。

素直といえば聞こえはいいが、王族とは思えない脇の甘さ。よほどに甘やかされて育ったのだろう、とクリムトは思う。ベルヒ家の 殺伐(さつばつ) とした家風で育った身にはそうとしか言いようがない。

あるいは、鬼人族にとってはこれが普通のことなのだろうか、とも思う。だとすれば、思った以上にくみしやすい連中だ。

そんなことを考えるクリムトに向けて、ヤマトが話しかけてくる。もしかしたら、気まずそうな姉に助け船を出す意図もあったかもしれない。

「クルトは強いのですね! 目にもとまらぬとは、まさにさきほどのクルトのことです」

「恐縮です」

「あの、クルトさえよければ、僕に稽古をつけてもらえませんか? 僕も強くなりたいんです!」

ぐぐっと身を乗り出してくるヤマトを見て、クリムトは短く断りをいれようと口をひらきかけた。だが、ふと先刻の思考が脳裏をよぎり、ひらきかけた口を閉じる。

振斗(しんと) と手を切ってヤマトらに付くには、あるていど姉弟の信用を得る必要がある。だからといって鬼人相手に平身低頭する気などないクリムトにとって、剣の師という立場はなかなかに有意義なものに思えた。

「俺の剣は鬼人族のそれとは違うが、いいのか?」

「もちろんです!」

即答するヤマト。クリムトは確認をとるようにランを見たが、姉の方も特に異議はなさそうだった。

ならばよかろう、とクリムトはヤマトの請いを 容(い) れた。どのみち、八歳の子供に本格的な剣技を仕込むわけではない。姉クライアを助けるためと思えば、素振りの仕方を教える程度のことは何ほどのことでもない。

ただ、その前にやらねばならないことがある。クリムトは室内の様子を見やって、そう思った。

崋山の姉弟がいる部屋には壁に大穴が空いたままだ。ありあわせの布で壁面を覆い、外からは見えないようにしているが、補修としては粗末もいいところである。魔物の体液だってろくにぬぐわれていない。

しかも、それらの後始末はどうやら姉弟が自分たちでしたらしい。カササギはあえて姉弟を無視したというより、単純に気が回らなかったのだろう。

何事にも神経質なクリムトとしては、現状を放置しておくわけにはいかなかった。ランたちのためというより自分のためである。ふたりの護衛であるクリムトは、必然的にこの部屋ですごす時間が長い。これまでとても生木の生臭さや濃い湿気に 辟易(へきえき) していたのに、そのうえ魔物の体液の臭いやら隙間風やらが加わった部屋などとうてい耐えられるものではなかった。

木を 伐(き) るのも、運ぶのも、組み立てるのも、 勁(けい) で身体強化すれば大した手間ではない。体液を洗い流す熱湯も、クリムトにとってはたやすく用意できるものだ。

クリムトは姉弟に手伝いを申し出る隙を与えず、速やかに補修と清掃を終えた。自分はいったい何をしているのだろう、と心の片隅で自嘲しながら。

その夜、ランは弟よりも早く寝入ってしまった。いつもは弟が寝付くのを待ってから眠るのだが、今日にかぎっては昼間に魔物に襲われた影響もあり、身体が早めの睡眠を欲したのだと思われる。

と、部屋の入口で不寝番を務めていたクリムトは、小さな足音が近づいてくることに気づいた。まもなく、クリムトの耳にヤマトの声が響く。

「クルト、少し話をしてもいいですか?」

姉を起こさないよう声をひそめるヤマトを見て、クリムトは無言でうなずく。昼間に約束した稽古のことでも口にするのかと思っていたが、ヤマトが口にしたのは姉のことだった。

「クルト。もしこの先、昼間のようなあぶないことがあったら、僕よりも姉上を守ってさしあげてください」

「……それは」

「姉上は母上に似て優しい人です。編み物や裁縫は得意ですが、戦いのことなんてまるで知りません。夜ごと、僕に聞こえないように泣いていることも知ってます。姉上はこんなところで死んではいけない人なんです」

本来なら自分が姉を守らなければいけない、とヤマトは口惜しげにいう。 男(おのこ) は 女子(おなご) を守るもの。それが亡き父親の口癖だった。

だが、子供にすぎない今の自分にそんな力はない。だからあなたにお願いしたい、とヤマトはいう。

先にヤマトが降伏を口にしたのも、姉を助けたい一心だったのかもしれない。もちろん、将兵の身を案じる気持ちに嘘はなかっただろうけれど。

姉は弟だけは助けたいと願い、弟は姉だけは助かってほしいと願っている。

――そんなふたりに自分と姉クライアを重ね見るほど、クリムトは感傷家ではなかった。そもそも、クリムトならば姉の身を誰かにゆだねたりはしない。力不足であろうと何だろうと、自分の手で守ろうとしただろう。

ゆえに、クリムトは情にほだされてヤマトの頼みにうなずくようなことはしなかった。代わりに次のように応じる。

「なめられたものだ」

「……え?」

「俺がどちらかひとりしか守れないとでも? 余計な心配をするな」

ぶっきらぼうなクリムトの言葉を聞き、ヤマトは一瞬、何をいわれたのかわからないというように目を瞬かせた。だが、すぐにクリムトのいわんとしていることに気づき、ぱっと表情を明るくする。

きらきらと目を輝かせて自分を見上げてくるヤマトを見て、クリムトはいかにもやりにくそうに顔をそむけた。

と、ここで慌てたようなランの声がふたりの耳朶を震わせる。ヤマトがいないことに気づいて、慌てて起き出してきたらしい。

クリムトと並んでいるヤマトを見つけたランは、思わずという感じで胸に手をあて、深々と息を吐きだした。

「ヤマト、ここにいましたか。心配させないでください」

「あ、すみません、姉上。目が冴えてしまって、少しクルトと話をしていました」

「クルト殿は護衛の任についているのです。邪魔をしてはなりませんよ?」

弟をたしなめたランが、クリムトに申し訳なさそうな顔を向ける。これまでも似たようなことは何度かあり、そのたびにランはクリムトに警戒心のこもった目を向けてきたものだった。

しかし、今のランの表情は昨日までとは違い、どことなくやわらかく、また打ち解けた雰囲気が感じられる。おそらく昼間の出来事が影響しているのだろうが、クリムトにしてみれば居心地が悪いことおびただしい。

姉弟にとってクリムトは氏素性の知れない人間にすぎないだろうに、どうしてこれほどまでに警戒心が薄いのか。半ば八つ当たりに近い苛立ちを抱えつつ、クリムトがランに返答しようとしたときだった。

――ふわり、と。

まるで体重のないもののように空から黒い人影が降ってきて、ランの目の前に着地する。あまりに突然だったせいで、はじめ、ランは鳥なり動物なりが屋根から転がり落ちてきたのかと考えたほどだった。

だが、四ツ目の鬼面をかぶり、黒い上衣と赤い腰布を身に付けた姿は、明確にランの推測を否定する。

驚きのあまり目を見開くラン。鬼面の人物は自然な動作で細剣を繰り出し、その切っ先をランの右目に向けた。

細剣がまさにランの眼球を貫こうとした刹那、抜く手も見せずに放たれたクリムトの剣撃が細剣を強く跳ね上げる。

「……え?」

甲高い金属音が夜闇に響く中、ランは何事が起きたのかわからずに呆然とする。

クリムトはランにかまわず素早く攻撃に転じた。すくいあげるように放った剣の切っ先を、空中で弧を描くようにひるがえす。燕返しの要領で剣撃の向きを反転させたクリムトは、そのまま曲者めがけて剣を振り下ろした。

威力といいタイミングといい、完璧といってよい反撃だったが、曲者は即座に床を蹴って飛び 退(すさ) る。

赤い腰布をはためかせて後ろに飛んだ曲者と、ランたちを結ぶ直線上に立ちふさがったクリムトは、姉弟を守るように剣を構えた。

何者だ、という 誰何(すいか) は発しない。クリムトにとって眼前の曲者の正体は歴然としていたからである。もっとも、こうも早く動くとは思っていなかった、という意味で意外ではあったが。

「邪魔をするか、人間」

鬼面の奥から奇妙に甲高い声が発される。正体を気取られないようにする 振斗(しんと) の小細工だろう。

出来の悪い芝居を見させられた気分でクリムトは口の端を吊りあげた。そのことに気づいたのか、鬼面の奥から放たれる 振斗(しんと) の眼光がひときわ強まる。

「……ッ、おとなしく退くのなら、中山王陛下に願って貴様の罪を――」

「三文芝居、見るに耐えないな、 振斗(しんと) 」

嘲弄と共にクリムトは相手の正体を暴露する。後ろからランとヤマトの驚きの声が聞こえてきた。

本音をいえば、クリムトはもう少し神器の情報を探ってから行動に移るつもりだった。 振斗(しんと) を斬って姉弟に恩を売っても、肝心の姉弟が神器のことを知らなければ無駄骨だからである。

しかし、 振斗(しんと) が早々に行動に出たことで、クリムトはランを守るか、見捨てるかの二択を迫られることになった。二択といっても、これ以上振斗に従う気はないクリムトとしては、答えはひとつしかない。

そして、どうせ 振斗(しんと) を敵に回すなら、機先を制する意味でもクリムトの方から秘密を明かしてしまうべきだろう。そう考えたのである。

クリムトの視線の先で、鬼面の人物が忌々しそうに仮面を外す。その下から出てきたのは、やはりというべきか、 振斗(しんと) の顔だった。