軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

(閑話)陸の鮫 後編

「一騎討ちだ」

その声が、戦場にざわめきのように広がる。

重厚な鎧をまとった男が、ただ一騎、ゆっくりと戦場の中央に進み出た。

おおお、とどよめきが上がる。

その男の名を知らない者は、その場に誰一人としていなかった。

手に持つは、長大な槍。

顔をすっぽりと覆う兜の口元にあしらわれた牙の装飾が、その戦士の異名の由来を想起させた。

“陸の鮫”アンゴル。

伝統あるガレット重装傭兵団で、長年にわたりエースとして君臨する槍の名手。

ゆっくりと馬を下りたアンゴルの鎧が、きしむような金属音を立てる。

「いいね。やっぱり戦ってのはこうでねえとな」

ジェルスが笑顔で振り向いた。

「アンゴルなら不足はねえ。俺が行くか」

「いや」

レイズが首を振った。

「あんたはおとなしくしてろ、ジェルス。俺が行く」

そう言って、馬を進める。

「下手うつんじゃねえぞ」

ジェルスが低い声で言った。

「分かってるよ」

レイズはジェルスの肩を叩く。

「行ってくる」

アルマークは、その背中を見つめた。

一騎討ちに出る父の姿を見るのは、これが初めてというわけではない。けれど、その背中の雄々しさはいつも格別だった。

居並ぶ黒鎧の戦士たちの間からただ一人、レイズが進み出ると、向かい合う重厚な鎧をまとった戦士たちから囁きが漏れた。

「レイズだ」

「“影の牙”レイズ」

その声が聞こえているのかいないのか、レイズは悠然とアンゴルの前まで馬を進めると、地上に降り立つ。

「やっちまえ、レイズ」

ジェルスが叫んだ。

「時間をかける必要はねえぞ」

「アンゴル、ぶっ潰せ」

ガレット重装傭兵団からも声が飛んだ。

「首だけにして返してやれ」

それを皮切りに、両軍から野次と歓声が飛び交う。

アルマークも声を限りに叫んだ。

「いけ、父さん」

だが、中央に立つ二人は微動だにしなかった。

やがて、アンゴルが腰を落として長い槍をゆっくりと持ち上げると、周囲の戦士たちの声が徐々に静かになっていく。

アンゴルは槍を水平に一閃すると、立て続けにその槍を天に突き上げた。

風切り音がアルマークたちの耳にも届くほどの勢いだった。

「天地に隠れなき勇士」

アンゴルの野太い声が響いた。

おお、とガレット重装傭兵団の戦士たちがその声に呼応する。

アンゴルは、石突で地面を強く叩くと、槍をぴたりとレイズに突きつけた。

「汝の命を神に捧げる戦士」

おお、と再び戦士たちの呼応。

アンゴルが姿勢を戻す。

その長大な槍が、まるで枯れ木ででもあるかのように軽々とアンゴルの手元に収まった。

「ガレット重装傭兵団“陸の鮫”アンゴル、推参」

アンゴルの名乗りに、戦士たちが得物や鎧を一斉に叩いて鼓舞した。

どよめきのような歓声。アルマークの隣でガドルが舌打ちした。

「かましてやれ、レイズ」

ガレット重装傭兵団の歓声が鳴り止まない中、レイズがゆっくりと上げた剣をぴたりとアンゴルに突き付ける。

戦士たちが静まるのを待つでもなく、レイズはそこから剣を水平に、周囲を巡るように回していく。

「居並ぶ戦士たちも見よ」

レイズの声が響いた。

アンゴルほどに大きな声ではなかったが、その声は戦場全体にはっきりと響いた。

戦場が、一瞬で静まる。

レイズはゆっくりと回した剣を胸元に戻すと、天に突き上げた。

思わず周囲の戦士もつられて空を見上げたほど、それは迷いのない動きだった。

「天の神々も照覧あれ」

レイズの気負わない声。

それは、神々にありのままの自身を見よと言っているようでもあった。

レイズは一騎討ちの前とは思えない穏やかな表情で、剣の柄を胸に当てた。

「誇り高き戦士の姿を。その名は」

レイズはアンゴルに向かって、低いがよく通る声で告げる。

「黒狼騎兵団副官“影の牙”レイズ」

おお、と吼えたのは普段冷静なモルガルドだった。それに負けじと十人組長のデラクが声を張り上げる。

「旦那、頼みますよ!」

黒狼騎兵団の戦士たちの雄叫びが戦場を覆った。

「さあ、始めようか」

レイズが剣を構える。

「ふむ」

アンゴルも槍を上げた。

双方の男たちの熱気がさらに膨れ上がる。

戦場を怒号と歓声が包んだ。

レイズとアンゴルの戦いは熾烈を極めた。

二人は互いに死力を尽くし、それぞれが手傷を負いながら、それでも勝負の決着はつかなかった。

やがて堪えきれなくなった両軍の戦士がなだれ込み、一騎討ちは引き分けに終わった。

その翌日、両軍は再び向かい合った。

アルマークはいつものように父の馬の背後に自分の馬をつける。

「昨日はだらしねえところを見せたな」

珍しくレイズがアルマークにそんなことを言うと、アルマークはすぐに首を振った。

「父さんはかっこよかった」

アルマークの言葉に、レイズは口元だけで笑って見せた。

僕も、いつかああして、みんなの期待を背負って戦いたいと思ったよ。

アルマークはその言葉を、口から出せなかった。

「ずっと父さんのほうが押してたし、もう少し時間があればきっと父さんが」

代わりに口から出たのは、そんな言葉だった。

「勝負に、もしもはねえ」

案の定、レイズは首を振った。

「昨日の俺には、あいつは討てなかったってことだ」

「うん」

アルマークは素直に頷いた。

「今日の戦いで誰かが討てば、それでも結果は同じだ」

レイズの言葉に、アルマークは顔を上げる。

「そうだろ?」

レイズの目は優しかった。

アルマークは、自分が父から戦力の一員と認められたような気がして、その嬉しさに大きく頷く。

そこに、後ろからゲイザックが近付いてきた。

「最近、動きがいいじゃねえか」

そう言ってアルマークの肩を叩いた後で、ゲイザックはレイズに馬を寄せた。

「レイズ。ガルバのことなんだけどよ」

「おう」

レイズが振り返る。

「そろそろ、あいつも戦場を踏ませようかと思ってな」

ゲイザックの言葉に、レイズは眉を上げる。

「アルマークと同い年だろ。まだ早すぎるんじゃねえか」

「アルマークがいけるなら、うちの坊主もそろそろいい気がしてよ」

しかしレイズは難しい顔で腕を組んだ。

「少し早い気がするがな」

そう言ってから、首を振って前に向き直る。

「後で話そう」

「ああ」

ゲイザックが斧を揺らして下がっていく。

レイズはそれっきり、もう前方に集中していたが、それを耳にしていたアルマークの心は悲しいほどに乱れた。

ガルバが、戦場に出るだって。

クワッドラドの大河でガルバの言葉に微笑んだ父の顔が脳裏をよぎった。

ガルバが、もう戦場に。

そこで、もしも僕よりも先に手柄を上げたら。

父は僕に失望するのだろうか。

「おい」

父の声で、アルマークは我に返った。

「ぼうっとするな。行くぞ」

気付けば、ガレット重装傭兵団の戦列がもう間近に迫っていた。

激しい金属音。怒声。

戦いは、機動力で勝る黒狼騎兵団の攻撃を、装甲に優れるガレット重装傭兵団が受けて立つ展開となった。

アルマークも剣を振るって敵と切り結ぶが、その重厚な鎧に攻撃を阻まれ、思うように敵陣に切り込めずに苦戦していた。

だが、その中でもレイズは別格だった。

厚い鎧などさしたる障害でもないかのように、敵の戦士を斬り捨てていく。

「レイズの旦那に続け」

声を張り上げて歴戦の十人組長デラクが後に続く。アルマークもその後ろ、父の穿った敵陣の穴に馬を走らせた。

その敵は、突然に左側から来た。

黒鎧の戦士が突き倒され、戦列が歪む。

アルマークにはすぐに分かった。

この威圧感。

“陸の鮫”だ。

顔まですっぽりと覆う、牙のついた兜。

槍をかざしながら、敵のエースがずしりと近付いてくる。

アルマークは父を見た。

レイズは、アルマークより前方で別の敵と戦っている。

アンゴルが槍を振るってまた一人、黒狼騎兵団の傭兵を突き落とした。

だが、アルマークはそれを見て気付く。

アンゴルの槍さばきに、昨日のレイズとの戦いのときほどのキレがない。

それもそのはずだ。

アンゴルは、昨日の一騎討ちで右の上腕を父に切られていた。槍を普段通りに扱えるわけがない。

アンゴルがまた槍を振るう。

威力は凄い。だが、そのぎこちなさ。

アルマークの胸が高鳴った。

届く。

そう思った。

ガルバが戦場に来る前に。

アルマークの腕が動いた。

馬が、アンゴルに向かって駆ける。

相手の右に。

アルマークは邪魔になっている前方の敵兵を一撃で斬り落とした。

かつてない集中。剣が今までになく冴えているのが、自分でも分かった。

次の敵の、斬りかかってくる剣の軌道がはっきりと見えた。

アルマークはそれをかわして、まっすぐ敵の喉笛、鎧のわずかな隙間に剣をねじ込んだ。

鮮血を噴き出して倒れるその敵兵の向こうに、アンゴルはいた。

アルマークは迷わずアンゴルの右側に馬を走らせた。

「待て、アルマーク!」

父の声がした。

そちらを見る余裕はなかった。

剣を自分に引きつける。

勝負は一瞬だ。すれ違いざまに斬り落とす。

アルマークは一気にアンゴルに馬を寄せようとした。

そのとき、極限まで研ぎ澄まされたアルマークの目が、意外なものを捉えた。

アンゴルの、牙のついた兜の口元。

兜越しに覗くその口が、笑うように歪んだ。

遅い。

口は、そう動いたように見えた。

その瞬間、胸に強い衝撃。

黒狼騎兵団の戦士の証である黒い鎧が、槍の一撃に突き破られていた。

何が起こったのか分からないまま、アルマークは無様に馬から転げ落ちた。

「アルマーク!」

父の叫び声。

そんなに取り乱した父の声を、アルマークは生まれて初めて聞いた。

どんなに苦しい戦況でも、いつも泰然としているはずの、あの父が。

胸が痺れるように熱かった。

僕は、やられたのか。

身体に力が入らない。頭のすぐ近くで馬の蹄が音を立てる。

ごめん。父さん。

戦場の中央へ、一騎討ちに向かっていく父の背中。

父さん。僕は、父さんみたいな傭兵になりたくて。

俺の隣に並べ、と伸ばしてくれた父の手。

ごめん。でも僕は本当にどうしても傭兵に。

世界の全てが色と音を失った。

アルマークの意識は途切れた。