作品タイトル不明
騎士と剣士
「アルマーク」
ネルソンがその名を繰り返す。
「かつてこの森で消息を絶ったとは聞き及んでいたが、まさかまだ生きていたというのか」
「生きている……」
ウェンディは逡巡するように唇に指を当てた。
「その言い方は正しくないわ」
そう言ってまた憂いを深めた表情を見せる。
「生かされている。魔女の呪いで」
「呪いだと。それでは」
ネルソンは顔色を変えた。
「魔女の配下の剣士というのはまさか」
「それはアルマークのことでしょう」
ウェンディはそっと頷く。
「魔女の言葉に縛られた可哀想な剣士。その言葉通りに魔女の敵を屠るだけの人形」
「アルマーク。その名は私も聞いたことがあります」
ノリシュが声を上げる。
「かつてこの国で一番の剣士だったと。まさか魔女の配下にされていたなんて」
「ほら。やばいやつだっただろ」
バイヤーがなぜか得意そうに言う。
「でも、それを知るあなたは誰なのですか」
ノリシュの問いにウェンディは少しためらい、それから答えた。
「私はウェンディ」
悲しそうに目を伏せて、付け加える。
「死してなお、この世に留まり続ける、未練の魂です」
「死してなお……」
ノリシュは痛ましい表情を見せた。
「さっきあなたはアルマークのことを最愛の人と呼んだわ。あなたたちは恋人だったの」
「ええ」
ウェンディは頷く。
「幸せでした。死が二人を分かつまでは」
「どうして、亡くなってしまったの。まだ若いのに。まさかそれも魔女の」
「いいえ」
ウェンディは首を振った。
「私が死んだのは自分の運命。病が身体を蝕んでいたことはアルマークも知っていました」
ウェンディはそう言って目を伏せた。
「けれどアルマークは、私の死を自分が傍にいなかったせいだと思ってしまった。そしてその心の隙のせいで魔女の罠に嵌ってしまった」
「あなたにはそれが悲しいのね」
自らも辛そうな顔のノリシュの言葉に、ウェンディは頷く。
「ええ。それが辛くて悲しくて」
そう言いながらウェンディは濡れた瞳をノリシュに向けた。
同性のノリシュでさえ思わず目を奪われるほどの美しさ。
ウェンディは深いため息とともにゆっくりと両腕を広げる。
「違う、とアルマークに伝えたくて。あなたのせいではない、と。それでこのような無様な姿をいまだにこの世に晒しております。でも霧に包まれた森の中で、私の姿は彼に見えない。私の声は彼に届かない」
「救おう」
不意にネルソンが大きな声で言った。
「何ですか、急に」
驚いてノリシュが声を上げるが、ネルソンは腕を組んでいつものよく通る声で続ける。
「詳しくは分からぬがおおよそのことは飲み込めた。それ以上はそなたたち二人の事情。そこに踏み込むは我が生き方にあらず」
そう言って、ウェンディを真っ直ぐに見つめる。
「だが、悲しむ女性を前にして手をこまねいて看過することもまた、我が生き方にあらず」
騎士の言葉に、ウェンディが初めて驚きの表情を見せた。
「ウェンディ殿、といったな。事情は知らねどそなたの悲しみ、十分に伝わった。剣士アルマークに出会ったならば、そなたの気持ちしかと伝えようぞ」
「亡霊の言葉を信じてくださるのですか」
ネルソンの真意を図りかねるように、ウェンディが尋ねる。
「信じる信じないではない」
ネルソンは言った。
「それがしを騎士と認めてくれる人に恥じぬため、我が生き方、我が心に嘘はつかぬ。それが騎士だ」
そう言って、ノリシュを振り向く。
「そうだな、ノリシュ殿」
「ええ。もちろんですとも」
ノリシュは笑顔で答えた。
「どうぞネルソン様のお心のままに。知らない森をお心のままに勝手に歩き回って道に迷うのでなければ、私はどこへでもついていきますよ」
その言葉に、ウェンディが初めて微かに笑った。
「騎士」
ウェンディは言った。
「確かに、お強いのですね。剣士とは違う強さ」
「騎士とはそういうものよ」
ネルソンは快活に言った。
「背負いきれぬ物を平然と背負い、死すその時まで前のめりに生きる」
そう言って、腰の剣をすらりと抜く。
「霧は晴れる」
ネルソンの声は森の奥まで響き渡った。
今までの陰鬱な物語を全て吹き飛ばすような、まるで希望そのもののような声。
「この森を覆う霧は、必ず晴らす。魔女もろともな」
その言葉に、ノリシュが笑顔で頷く。
「ええ、晴らしましょう。そしてレイラ様の笑顔を取り戻しましょう」
ウェンディは微かに微笑み、それから少し悲しそうな顔をする。
「あなたのような方が、もしもあのときアルマークの傍にいてくださったならば」
それから思い直したように顔を上げ、ネルソンをしっかりと見た。
「アルマークは、魔女の呪いを契約だと思いこまされています。自分は契約に従い、魔女の敵を殺さなければならないのだと」
「そうか」
ネルソンは頷く。
「その呪い、それがしが断ち切ろう」
「どうか、お願いいたします」
ウェンディがそう言って、深々と頭を下げた。
髪に付けられた銀の飾りが悲しげな音を立てると、その姿はたちまちのうちに消えた。
ネルソンが剣を振り下ろすと、森を覆っていた霧が、引き裂かれるようにして晴れていく。
「さあ、おいらの役目はここまでだ」
バイヤーが言った。
「頑張ってね、ネルソン、ノリシュ。そんなに期待はしてないけど」
バイヤーは最後までいたずらっ子のように言った。
「それでも二人が死んじゃったら、少し寂しいからさ」
その姿が消えると、ネルソンとノリシュはどちらからともなく頷きあった。
「行こう」
「はい」
その言葉とともに、舞台が暗転する。
アルマークは暗闇の中を、剣を片手に舞台に歩み出た。
僕の出番は、これで最後だ。
舞台から客席を眺める。
イルミスの姿がまだ壁際にあることを確認すると、少しだけ口元を緩め、すぐにまた引き締めた。
深く息を吸い込む。
悔いを残さないように。
自分に言い聞かせる。
さあ、始めよう。
照明が灯ると、観客が一斉に息を呑んだ。
霧に包まれた森の真ん中。
先ほどのネルソンの快活さとはまるで対照的な禍々しい雰囲気を隠しもせずに、呪われた剣士が座り込んでいたからだ。
剣を傍らに置き、うなだれるように頭を垂れていたアルマークが、不意に何かに気付いたように顔を上げる。
「……霧が」
そう呟いたアルマークの頭上で、徐々に霧が薄くなっていく。
「霧が晴れただと」
アルマークはゆっくりと立ち上がった。
と、何の前触れもなく舞台袖にぐい、と顔を向ける。
その直後、舞台袖からネルソンとノリシュが姿を現した。
「来たか」
汚れたローブ姿の男のまとう荒んだ殺気に、ノリシュがはっと怯えたようにネルソンの影に隠れる。
アルマークの視線は、ネルソンの鎧の紋章に注がれていた。
「汝は、王国の騎士か。その紋章を見るのは何年ぶりか」
そう言ってゆっくりと剣を構える。
「おう。その姿、その構え」
ネルソンは自らも剣を抜き放った。
「先ほどの哀れな亡霊の言葉はまことであったか」
その言葉にアルマークは何の反応も見せず、すっかり霧の晴れた頭上を振り仰ぎ、ネルソンに呼びかける。
「お前が晴らしたのか、この霧を」
ネルソンは答えず、無言でアルマークを見返す。
「礼を言おう。おかげで視界が晴れた」
アルマークは薄く笑い、剣をひと振りした。
ひゅん、という鋭い風切り音が観客たちの耳をつんざく。
「ここは通さぬ」
アルマークはネルソンを見た。
「通りたくば、俺を殺すことだ」
ネルソンはやるせなさそうに首を振る。
「視界は晴れても、心の霧までは晴れぬか」
その言葉に、アルマークの眉がぴくりと動いた。
「かつてはこの国随一の名をほしいままにした並ぶ者なき剣士」
ネルソンは言った。
「知らぬ者とていない誉れ高き剣士よ」
ネルソンは場を圧する気合のこもった声を発した。
「今の汝に向かって、言っても良いのか、その名を」
講堂の隅々まで響き渡ったその怒声を、しかしアルマークは冷笑とともに受け流した。
「言いたくば言うがいい。名など、とうに捨てた」
「それでは言わせてもらおう。その名に刻まれた誇りとともに目を覚ますが良い」
ネルソンは叫んだ。
「剣士アルマーク!」
アルマークは表情も変えずにただ一言、答えた。
「来い」