作品タイトル不明
亡霊
森を行くネルソンたち一行。
「魔女の住む森はずっと霧に包まれているんだ」
先頭を歩くバイヤーが言う。
「魔女のところへ行こうとしたって、その霧のせいで道を誤ってたどり着くことのできないやつがほとんどさ」
「ふむ」
ネルソンは頷く。
「だが、我々はバイヤー殿が案内してくれるので安心というわけだな」
「冗談はやめてよ」
バイヤーは首を振る。
「僕が案内するのはその外までさ。あんな霧、少しだって吸いたくはないからね」
「それではどうやって魔女のもとにたどり着けばいいのですか」
ノリシュが尋ねると、バイヤーはネルソンの腰を指差す。
「精霊王様の加護を受けたその剣があるだろ。それで切り払えば霧はたちまち晴れる。あとはもう迷うことはないよ」
「なるほど」
ネルソンは剣をすらりと抜き放った。
その刀身に浮かび上がる模様をもう一度観客に見せるように掲げる。
「精霊王の加護にはそのような意味もあったか」
「だけど気をつけなよ」
バイヤーは声をひそめた。
「霧の森を抜けて魔女のもとにたどり着いた人間もいくらかはいるんだ。でももう何年も、魔女と戦えた人間はいない」
「どういうことだ」
ネルソンが怪訝な顔をする。
「何かまだ罠があるということか」
「魔女の手下の剣士がいるのさ」
バイヤーは思い出したように身震いする。
「死人みたいな不気味なやつで、剣がめっぽう強いんだ。運良く魔女のもとへたどり着けても、みんなそいつに斬られて一巻の終わり」
「剣士か」
ネルソンは納得したように頷く。
「剣士ならば心配はない。このネルソン、剣にかけては万が一にも後れを取ることはない」
「そうですね。相手が剣士なら騎士様の勝ちですよ」
ノリシュもそう言って頷く。
「ふうん。まあそれならいいけどね」
バイヤーは前に向き直る。
三人のそんなやり取りを聞きながら、ウェンディが舞台袖から一歩、そっと足を踏み出した。
それが意識してかどうかは分からないが、反対の舞台袖に立つアルマークのことは一瞥もしなかった。
青白い素足が、舞台の床を滑るように徐々に中央へと。
おお……という客席の低いどよめき。
先ほどもそうだったが、ウェンディが舞台に姿を見せただけで、講堂の雰囲気がまた一変した。
伏し目がちに歩くウェンディは、それだけの美しさを備えていた。
「白い服の女」
ネルソンが声を上げた。
ノリシュとバイヤーがはっと振り返る。
ウェンディは悲しそうな表情のまま、ネルソンたちを気にする様子もなくゆっくりと歩く。
「魔女ではないと言ったな」
ネルソンの言葉に、バイヤーは頷く。
「うん。全然違う。あれは魔女じゃない」
「だがあの美しさ」
ネルソンは剣の柄に手をかけた。
「この世のものとも思われぬ」
「でも、騎士様」
ノリシュがネルソンの背後からウェンディの姿を窺い見て、遠慮がちに言う。
「邪悪な感じはあまりしません。何よりとても悲しそうで」
「ふむ」
ネルソンは柄から手を離すと、そのままウェンディの方へすたすたと歩み寄っていく。
「騎士様!」
「危ないよ!」
ノリシュとバイヤーが同時に声を上げるが、ネルソンは気にかけない。
「分からぬなら前に進むまで。立ち止まって悩むは我が生き方にあらず」
そう言うと、悲しそうにうつむいているウェンディの肩に手をかけようとした。
だが、触れたと見えたその手が空を切る。
「む」
「やっぱり」
バイヤーが声を上げた。
「気をつけろよ。その女、亡霊だぞ」
一瞬驚いた顔をしたネルソンだったが、すぐに気を取り直す。
「白い服の女よ」
ウェンディにそう呼びかけた。
「ここで何をしているのか。なぜそのように悲しんでいるのか」
ウェンディはゆっくりと顔を上げた。
初めてその存在に気付いたようにネルソンの顔を見るその眼差しは、この世のものとは思えない不思議な透明さを持っていた。
血の気のない唇が動いた。
「あなたは、誰」
深い憂いを秘めた、けれど人を惹き付ける温かみの消えない、胸を締め付けられるような儚い声。
「ウェンディ、きれい」
観客席でフィタが呟くと、隣のラドマールが珍しくすぐに同意した。
「ああ。きれいだ」
フィタが思わず横を見ると、ラドマールは食い入るように舞台のウェンディを見つめていた。
「あなたは、誰」
舞台袖でその声を聞いたアルマークは、たちまち自分の目が潤んでくるのを感じた。
アルマークの作り上げた、呪われた剣士というもう一人のアルマーク。
その男が、恋人の声を聞いて慟哭した気がした。
君の気持ちは分かる。
アルマークは語りかける。
そう言えるためには、袖や舞台裏でウェンディと口を利くわけにはいかなかった。
もう何年も、死んだ恋人の幻影を追い続けてきた男の気持ちを、せめて分かっていると言うためには。
「もう少しだ」
アルマークは呟く。
「もう少しで、君の苦しみも終わる」
舞台上では、ウェンディの問いに、ネルソンが彼らしく真っ直ぐに答えを返す。
「我が名はネルソン。ガイベル王国の騎士」
「騎士……」
ウェンディはぼんやりとネルソンの言葉を繰り返した。
その目が、戸惑うようにちらりと揺れる。
「騎士と剣士は、どちらが強いの」
意外な質問に、ノリシュとバイヤーが顔を見合わせる。
ネルソンは首をひねった。
「さて。騎士と剣士とどちらが強いか、か」
「ネルソン様はこの国一番の勇士」
後ろからノリシュがそう答えた。
「騎士だろうと剣士だろうと、この国でネルソン様にかなう者はおりません」
そう言って、ネルソンに笑いかける。
「そうですよね、ネルソン様」
「うむ」
ネルソンは謙遜するでもなく頷いて、にこりと笑う。
「それは間違いあるまい。それがそなたの問いに対する答えとなっているかは分からぬが」
「この国一番の勇士」
ウェンディは悲しそうにまたうつむくと、そう、と呟く。
ゆっくりとネルソンから目をそらし、森の木々を見上げた。
「この国一番の勇士は、もうあの人ではないのね」
「女よ。話が見えぬ」
ネルソンが言う。
「我が質問に答えられよ。そなたはここで何をしているのか。そしてなぜそのように悲しんでいるのか」
「あなたの質問に答えることに」
ウェンディはネルソンにふわりと視線を戻す。
「意味があるとも思えませぬ。それともあなたが救ってくださるというの、あの人を」
「あの人とは誰だ」
ネルソンの問いに、ウェンディはふと天を振り仰いだ。
露わになった真っ白い喉が、こくん、と揺れた。
「私の最愛の人。この国で最も強い剣士」
「この国で最も」
そう繰り返したネルソンが、思い当たったように目を見開く。
「まさか、それは」
「アルマーク」
ウェンディは儚い吐息とともにその名を告げた。