作品タイトル不明
声
自分の身体に力が戻ってくるのが分かる。
それと同時にアルマークの心も、決して諦めない傭兵のしたたかさを取り戻していた。
目の前のライヌルを見据える。
ふん、気に入らねえ面だな。
心の中で誰かが言った。
取り澄ましてやがる。
それと呼応するように、また心の中で別の誰かの声がする。
かまわねえ。叩き割ってやりゃいいんだ。
その声に、誰かの笑い声が混じる。
そうだな。野郎の面なんざ見ねえに越したことはねえ。
アルマークはくすりと笑った。
自分の憧れた傭兵たちの魂が、自分の中でまるで息づいているかのようだ。
行けるなら、行け。
誰かがアルマークの背中を押す。
悩むな。男なら、攻撃あるのみだ。
うん。
アルマークは頷く。
そうだね。攻撃あるのみだ。
弾かれたようにアルマークが走り出す。
ライヌルに向かって、一直線に。
マルスの杖が唸りを上げる。
「おっと」
ライヌルの姿が再びかき消える。
しかし、アルマークの手には微かな手応えが残った。
こっちだ。
誰かの声に導かれてアルマークの足が地面を蹴る。
ぐん、と身体が加速する。
ライヌルが姿を現した瞬間、その目の前にアルマークはいた。
ライヌルの首すれすれをマルスの杖がかすめていく。
「くっ」
ライヌルが後ろにとびのく。
逃がすんじゃねえ。止まるんじゃねえ。
それを追いかけてアルマークが鋭く杖を突き出す。
胸を貫いたはずのその一撃はまた空を切ったが、アルマークの攻撃は止まらなかった。
次はこっちだ。
別の場所に現れるライヌルを、アルマークはまるでそこに出てくるのが分かっているかのように追い詰めていく。
怪我や疲れをまるで感じさせない、しなやかな動きと老練な攻撃の組み立て。
まるでその名を呟いた北の傭兵たちの力が本当にその身に宿ったかのような。
ライヌルの顔に初めて焦りの表情が浮かんだ。
転移が、少しずつ間に合わなくなってきている。
取り澄ました余裕の表情の仮面が、少しずつ剥がれていく。
ほら、本性出してきやがった。
アルマークの心の中で歴戦の傭兵が笑う。
鼻につくあの仮面を引っぺがしてやれ。
アルマークの攻撃が加速していく。
傷つき、利き手を失い、心を闇に覆われたはずの少年の攻撃。
それが、今この段階になって加速度的に鋭さを増していく。
ライヌルは舌打ちした。
不可思議な力。
魔術師の常識では測れない。
落としたと思っても、そこからまたすぐに這い上がってくる。
アルマークの攻撃がローブをかすめる回数が増えてきた。
もう少し。
そう思ったアルマークを、誰かがたしなめる。
手が届くと思ったときほど、危ないものだ。
それに誰かが呼応する。
そうそう。ほら、また何かやってくるぞ。
その言葉通り、不意にライヌルの右手が光った。
アルマークはつんのめって転倒しそうになるのをかろうじてこらえた。
アルマークの両足にいつの間にかツタがきつく巻き付いていた。
動きを止めたアルマークからようやく間合いを取ったライヌルが、ふう、と息を吐いた。
「驚いたな」
そう言ってローブの袖で額の汗を拭う。
灰色の袖に、微かに赤みが付いた。
アルマークの最初の一撃が、わずかに額をかすめていたのだ。
「君には驚かされてばかりだ」
顔をしかめ、ライヌルはそう言った。
「君のその力がどこから来るのか、私にははっきりとは分からない。呟いた名前が君にとってどんな意味を持つのかも」
アルマークを伺うように見て、ライヌルが右手をかざす。
「だがね、アルマーク君。人はそんなに急に強くなれるわけではない」
ライヌルの言葉が、またあの嫌な感じを帯びる。
「君が強さだと思いこんでいるもの、それは」
言葉には言葉だ。
誰かの声がする。
戦場で見てきただろう。言ってやりな。
それに混じるのは、聞き覚えのある冷たい声。
おいガキ、自分が魔術師だってことも忘れるんじゃねえぞ。
アルマークはマルスの杖をふと下ろした。
「ライヌルさん」
逆にライヌルに穏やかな声で呼びかける。
「僕、気付いたことがあるんです」
「ほう」
ライヌルが興味を惹かれた顔をする。
「何かね」
「言っても怒らないでくれますか」
「無論だ」
ライヌルは頷く。
「言ってみたまえ」
「じゃあ、言いますね」
アルマークははにかむように言った。
「ライヌルさん、あなたって実は」
その瞬間、アルマークが跳んだ。
ライヌルが目を剥く。
ほら、引っ掛かっただろ。
傭兵たちが笑う。
足を縛っていたツタはいつの間にか解けていた。
ツタくくりの術なら、先生に習ったんだ。
ライヌルの目の前。
アルマークの心に、懐かしい声が蘇る。
いいか、アルマーク。魔術師を相手にする時はな。
分かってるよ、父さん。
アルマークは答えた。
心の中で、アルマークとレイズの声がぴたりと重なる。
声も出さずに一息で仕留めろ。
今までで最も速い一撃だった。
ライヌルの転移が間に合わない。
頭を庇うように右手を上げる。
鈍い音。
アルマークは目を見開いた。
ライヌルの右手の中指。
そこに嵌められた金の指輪が、鈍い光を帯びていた。
マルスの杖は、ライヌルの身体に届く寸前で、見えない障壁に阻まれていた。
力を入れてもびくともしない。
ライヌルの口元が引きつったように歪む。
アルマークは飛びずさった。
「また騙したね」
ライヌルは言った。
「そしてとうとう私にこの指輪の力を使わせた」
ライヌルの身体から、抑えきれず吹き出してくるのは、もうアルマークには嗅ぎ慣れた臭いだった。
腐臭。
「君の身体を傷つけたくはなかった」
ライヌルは言った。
闇の魔術師ライヌルが、いよいよその本気を見せようとしているのか。
アルマークはマルスの杖を構えた。
身体にはまだ力が残っている。
だが、さっきまで聞こえた傭兵たちの声は、もう聞こえなくなっていた。
ここからは、僕一人だ。
「この力は使いたくなかった。闇が漏れてしまうから」
すねたようにライヌルは言う。
「君を傷つけてしまうかもしれないから」
だがライヌルから漏れてくる闇は、まだわずかだ。
「でも仕方ない。君がしぶとすぎるのがいけないんだ。その報いは受けてもらうよ」
そう言って、またあの気弱そうな笑顔でアルマークを見る。
「君の大事なものを奪う」
先程までとはうって変わった冷たい声。
表情と声がまるで合っていない。
アルマークの背中を、またざわりと冷たいものが走る。
この言葉に耳を傾けちゃダメだ。
アルマークは歯を食いしばる。
「さっきみたいに跳ねてみろ、傭兵の子」
ライヌルは言った。
「どうなるか教えてやる」
その瞬間だった。
二人の間で、小さな金色の光が空に舞い上がった。
一瞬何が起こったのか分からず、思わずアルマークもライヌルもそれを目で追う。
「あっ」
声を上げたのはライヌルだった。
慌てて、落ちてくるその光を両手で受け止める。
「ぐうっ」
同時にライヌルはうめいた。
地面が真っ赤な血で染まる。
激しい出血はライヌルの右手からだった。
その中指が、根本から切断されていた。
ライヌルが受け止めたのは、金の指輪を嵌めたままの中指。
「大事なものを奪うですって。笑わせないで」
凛とした声が響いた。
「あなたは何も奪えなかったのよ。マルスの杖も、アルマークの誇りも」
まだ目を見張るほどの魔力をその身に滾らせ、二人にゆっくりと歩み寄ってくるその姿に、アルマークは目を奪われた。
ああ、きれいだ。
心からそう思った。
あんなに怖い顔をしていても、それでもなお。
ウェンディはきれいだ。
「あなたは何も奪えなかった」
ウェンディはもう一度言った。
「そして、これからも奪えない。あなたが手に入れられるものなんて、ここには何一つない」
ライヌルの顔が歪んだ。