軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

名前

魔力を込めて殴られた衝撃で、くぼんだ地面に半ば埋もれるようになったマルスの杖を、アルマークがゆっくりと拾い上げる。

先程までの強烈な光を失ったそれは、今ではただの木の棒にしか見えなかった。

「北の傭兵の、息子」

ライヌルは片眉を上げてアルマークを見た。

「さして誇らしげに言うこととも思えないが」

そう言うと、アルマークの右手に目をやって顔をしかめる。

「ほら。無茶をするものだからそんな大怪我をして。見せてみたまえ、治療してやろう」

ライヌルはアルマークに歩み寄ろうとするが、左手にマルスの杖を握ったアルマークの殺気に足を止める。

「ずいぶん怖い顔をするじゃないか」

「それ以上一歩でも僕に近付いたら」

アルマークは言った。

「僕はあなたの頭を叩き割る」

「怖いな」

おどけたような仕草でライヌルが両手を挙げた。

「私は治療すると言ってるんだ。そんな殺気立つことはないだろう」

だがアルマークは答えない。

冷たい目でライヌルを見据えたまま動かない。

アルマークの言葉がただの脅しや、ましてや子供の強がりなどではないことをライヌルもさすがに感じ取ったようだった。

アルマークの機嫌を取るように笑顔を浮かべる。

「もう私の目的は果たした。今更君にどうこうするつもりはないよ」

しかしアルマークの殺気は微塵も衰えない。

「あなたはウェンディを傷つけた」

アルマークは低い声で言った。

「絶対に許さない」

「傷つけたわけじゃないさ」

ライヌルは、先程ウェンディにちらりと見せた気弱そうな笑顔をまた覗かせて言った。

「魔力が一気に流れ込んで身体が驚いているだけだ。自然に魔力が抜ければ、じきに目を覚ます」

「言葉は要らない」

アルマークは言った。

「口ではいくらでも言い繕える。あなたは賢い人だ。僕を騙す言葉もたくさん持っているんだろう」

「そりゃ買いかぶりだ」

ライヌルは首を振るが、アルマークは構わず続けた。

「あなたの行動が示している。あなたは僕たちの敵だ」

「頑固な子だ。治してあげると言っているのに」

ライヌルは苦笑した。

しかしそれ以上踏み込んではこなかった。

改めて珍しいものを見るようにアルマークのつま先から頭まで眺める。

「その強がりも、北の傭兵流というやつなのかな?」

その言葉にアルマークは答えることなく、マルスの杖の先端をライヌルの目の高さにぴたりと据えた。

「分かった。いいだろう」

ライヌルは肩をすくめた。

「君が治療は要らないというのなら、私だって無理に治したいとは思わない。そもそもそれだって、君が無茶苦茶なことをして自分で怪我をしたのだからね」

少しすねたような口調でそう言って、アルマークを軽く睨む。

「どうなっても知らないよ。早く治療しなければもう杖も剣も握れなくなってしまうかもしれないのに」

「目的を達成したというのなら」

アルマークは答えた。

「あなたがここに留まる理由はもうないはずだ」

「なるほど」

ライヌルは今気がついたように頷く。

「道理だ」

「あなたがもし僕の右手のことを本当に心配しているのなら、今すぐに僕たちの前から姿を消すべきだ。そうすれば僕はここを離れて治癒術の治療を受けることができる。僕がこう言ってもあなたがここを立ち去らないのなら」

アルマークはぴしゃりと言った。

「あなたは僕の右手の心配なんか、本当はまるでしていないってことだ」

しばらく沈黙があった。

やがて、感心したようにライヌルが首を振った。

「野蛮なだけじゃない。賢い獣だな、君は」

それからまた、にこりと笑う。

「賢い君に、何か贈り物がしてあげたいな」

「そんなものは要らない」

吐き捨てるように言うアルマークの言葉に構わず、ライヌルは手をぽんと叩く。

「そうだ。君は北の傭兵の息子であることがご自慢のようだから、いいことを教えてあげよう。きっと君なら喜んでくれるはずだ。うん、そうだ。それがいい、そうしよう。僕はね、こういうときには名案が浮かぶ人間なんだ」

ライヌルはにこにこと笑いながらそんなことを喋り始める。

アルマークは表情を変えずにライヌルのよく動く口を見つめる。

激痛で、右手はとっくに正常な感覚を失っていた。

自分の胸の鼓動に合わせて、まるでそこにもう一つ心臓があるかのように右手全体が脈打っている。

だが、それを表情には出さない。

背後にそっと寝かせたウェンディが目を覚ます気配はない。

今のこの会話は、ウェンディには聞かれていない。

こんな状況でさえそんなことが気になる自分に、内心で苛立ちを覚える。

しかしそんな感情もアルマークは内に秘めたまま、ライヌルから目を離さなかった。

ライヌルは無反応なアルマークに構わず、勝手に話し続けた。

「さっき私が言いかけて、ウェンディお嬢様に邪魔されてしまった話だよ。アルマーク君、君のその名前のことだ」

ライヌルは言いながら、ゆっくりと後ずさった。

アルマークとの距離が開いていく。

ずい、とアルマークが踏み込んだ。

ライヌルがぴたりと動きを止める。

最初の一挙動でマルスの杖がライヌルまで届く距離。

アルマークはそれを崩さなかった。

ライヌルが口元を歪めて笑う。

「本当に、よく訓練された暗殺者のような動きだ」

アルマークの足が、さらに半歩前に出る。

ライヌルは大げさな動作で後ろに下がった。

「これ以上近づかれたら、僕の頭はかち割られてしまうんだったね」

冗談めかしたその言葉にも、アルマークは反応しない。

ただ、暗い眼差しでライヌルを見据えたまま、マルスの杖を構えている。

「そうそう、君の名前だ」

ライヌルは気を取り直すように言った。

「前に会ったときに、私はいい名だと言ったね。覚えているかな」

アルマークは肯定も否定もしない。

ライヌルはもとから返事など期待していなかったように、喋り続ける。

「古い文献でよく見かけた名前だ。調べてみたかな? 図書館の本の中に君の名は見付かったかな?」

そう言って探るようにアルマークの顔を見るが、何の表情も浮かんでいないのを見て、一人で頷く。

「そうだろう。見付からなかっただろう。当然だ。そんな貴重な文献は、いくらノルク魔法学院とはいえ初等部の図書館になど置いてあるわけがないのだから」

それから、柔和な顔でアルマークに微笑みかけた。

「教えてあげよう、アルマーク君。君の名前の意味を」

アルマークはその笑顔に邪悪な意図を感じた。

ライヌルの言葉に構わずじりじりと前に出る。

「おおっと」

ライヌルは後ずさりした。

人差し指を立ててアルマークに警告する。

「君の身体を傷つけるつもりはないがね。頭をかち割られるというなら話は別だ」

そう言いながらアルマークの背後のウェンディを顎で示す。

「そんなことをするなら、ウェンディお嬢様まで届くような大きな魔法を使うよ。お嬢様は無事ではすまないだろうね」

ウェンディの名前を聞いて、無表情だったアルマークの顔がかすかに歪む。

ライヌルはそれを満足そうに見た。

「なんだ、人間らしい顔もできるじゃないか」

「あなたの魔法が速いか、それとも僕の腕が速いか」

アルマークは答えた。

「試してみればいい」

「試すとも」

ライヌルは頷いた。

「いざとなればね」

それから、まるで教師が学生を呼ぶようにアルマークの名を呼ぶ。

「アルマーク君」

ライヌルは両手を広げてにこりと微笑んだ。

右手の中指の金の指輪が揺れる。

「教えてあげるよ。いいかい。君の名前は、それ自体が古代語なんだ」

そして、アルマークの持つマルスの杖を指差した。

「アルマークのアルは、君の持つそれと同じ意味だ。アルス。古代語で、鍵」

ライヌルはまるで弟子に魔法を教える魔術師のような口調でアルマークに語りかける。

「古代語の変化は、ここで詳しく説明しても君にはまだ分かるまい。マルスがアルスだったり、それがアルと同じだと言われたり、混乱するかもしれないが、古代語というのは現代の我々の言葉よりもずっと厄介で複雑でね。わずかな状況の違いで発音が様々に変化する。とりあえず今は、アルスも君の名のアルも一緒の意味だということだけが分かればいいよ」

まるで講義だ。

ライヌルはアルマークを相手に古代語の授業でもしているかのように喋る。

「そして、君の名前の後半、マークというのは」

しかし、アルマークは気付いた。

その柔和な笑顔の奥の目が、全く笑ってなどいないということに。

「古代語で、護り手、番人という意味だ」

そう言ってライヌルはアルマークの目を見る。

「アルは鍵。マークは護り手。つまり、アルマーク。その名の意味は」

ライヌルは厳かに告げた。

「鍵を護る者」

鍵を護る者。

アルマークの中で何かがざわりと動いた。

左手に持つマルスの杖が、急にずしりと何倍もの重さを持ったように感じた。

「分かるかね」

反応しないアルマークを、ライヌルは憐れむような目で見た。

「鍵を護る者。そう、君はマルスの杖を護るために生まれたんだ」

そう言って小さく首を振る。

「かわいそうに。君はそのために生まれ、役目そのままの名を与えられた」

アルマークの奥底から、何か形容し難い、黒く苦いものが込み上げてくる。

「君の尊敬するお父さんも、それからお母さんも、最初から君を一人の人間だとは思っていなかった。だってそうだろう。自分たちのかわいい子供だと思っていれば、鍵を護る者なんて、そんな名前をつけるはずがない」

ライヌルの言葉が、アルマークの脳裏に黒い霧とともに入ってくる。

何だ。

この男は、一体何を言ってるんだ。

「アルマーク」

ライヌルは歌うようにその名を口ずさんだ。

「なんて美しい、そしてなんて残酷な名前なのだろう。生まれながらに運命と役割だけを背負わされた、憐れな人形につけるに相応しい名前じゃないか」