軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

「アルス」

アルマークは呟いた。

アルス。

なんだろう。心がざわざわする。

「アルス。それは、古代語で」

柔和な表情の中で、ライヌルの目が暗い光を帯びたように見えた。

「鍵」

その言葉に、アルマークの手の中のマルスの杖が、震えたような錯覚を覚える。

「鍵なんだ、アルマーク君。君が今、その手に握っているものは」

アルマークは、マルスの杖を見る。

「……鍵?」

「そうだ。もっと言えば、アルマーク君。君のその名も」

「耳を貸しちゃダメ、アルマーク」

ライヌルの言葉を乱暴に遮って、ウェンディがアルマークの前に出た。

「この人の言うことを聞いちゃダメ。私にはこの人が何を言っているのか良く分からないけど」

ウェンディはライヌルを険しい顔で睨みつけた。

「この人の言葉は、きっとあなたを傷つけるだけだってことは分かる」

「さすがですな」

ライヌルは、名残惜しそうに飴の最後の一欠片を噛み砕きながら、ゆっくりと岩から身を起こした。

「ウェンディお嬢様はよく分かっておいでのようだ。真実は、時に残酷で」

そう言って、また両手を芝居のように広げる。

「それを知ることが、本人のためになるとは限らない」

「宮廷魔術師、ライヌルと言いましたね」

ウェンディの口調が変わった。

アルマークの目の前で、ウェンディの背中が張り詰めるような緊張感をまとった。

「ここから去りなさい」

ウェンディの凛とした声が響いて、ライヌルが初めてその表情をわずかに硬くした。

「私たちはあなたとこれ以上話すことを望みません」

ライヌルは笑顔で何かを言いかけたが、ウェンディはそれを待たなかった。

「あなたの言葉は聞きません」

ウェンディはきっぱりと言った。

ごく限られた身分に属する者だけが持つことのできる、有無を言わさぬ迫力。

ライヌルがわずかにたじろいだように見えた。

ウェンディは微塵も臆することなく、もう一度言った。

「宮廷魔術師ライヌル。自分の場所へ帰りなさい」

しばし、沈黙。

ライヌルが、諦めたように両手を下ろした。

「その気迫。さすがはバーハーブ家のご令嬢だ」

そう言って、気弱そうに微笑んだように見えた。

ウェンディはアルマークを守るように、その背中の緊張を解かなかった。

「去りなさい」

ウェンディはもう一度言った。

ライヌルが降参するように両手を挙げた。

「はいはい、分かりましたよ、お嬢様。邪魔者は去りますとも」

おどけたようにそう言った、その目の光を見て、アルマークがウェンディの身体を引き寄せた。

「ウェンディ、危ない!」

ライヌルの両手に奇妙な黒い紋が浮き出ていた。

ライヌルの顔がさっきまでとはまるで違う邪悪な笑みで歪んだ。

「やることをやったら、ね」

突如、ウェンディの身体を光が包んだ。

だが、ライヌルの両手からは何も発されていない。

光を放っているのは、アルマークの手元。

マルスの杖が、今まで見たこともないほどの強烈な光を放っていた。

ウェンディの身体が、アルマークの腕の中でびくん、と痙攣した。

「ウェンディ!」

アルマークが叫んだときには、もうウェンディの意識はなかった。

ウェンディの身体をマルスの杖から溢れ出る光が何重にも包みこんでいく。

「おっ」

ライヌルが楽しそうな声を上げる。

「アルマーク君、マルスの杖との同化を怠ったようだね。もしかして君は蛇の試練をマルスの杖もなしに切り抜けてきたのか」

その両手の紋が、マルスの杖を操っているようだった。

「だがおかげで、所有者を差し置いて私にもこの程度の操作ができる」

「やめろ!」

アルマークは叫んだ。

ウェンディを抱いたまま、アルマークはライヌルに向かって跳んだ。

振り上げたマルスの杖が、光を乱反射させる。

「おい、嘘だろ」

ライヌルの顔から、笑顔が消える。

大の大人を一撃で昏倒させる威力を伴った一撃は、しかし虚しく空を切った。

その衝撃の余波で、触れてもいない地面が抉れる。

マルスの杖が当たる直前、ライヌルの輪郭がぶれたと思った瞬間、その身体はアルマークの背後にいた。

「話には聞いていたが、おっと」

振り向きざまのアルマークの一撃を、やはりライヌルは身体を転移させることでかわした。

「凄まじいな。女の子一人抱えて、そこまで動けるのか」

「それを止めろ」

アルマークは叫んだ。

「ウェンディには手を出すな」

「もう遅いさ」

ライヌルは笑う。

「どこまで開くか、見てみようじゃないか」

ウェンディの身体の奥底から、凄まじい量の魔力が溢れ出してくるのが分かる。

冬の屋敷で、使用人たちを救うためにウェンディが必死になったとき、現れた現象。

それを、今ライヌルはマルスの杖の力で、無理やりに起こそうとしていた。

「やめろ、ウェンディが」

アルマークの腕の中で、ウェンディの痙攣が激しくなる。

「意外に開くな。もう少しか」

「やめろって言ってるんだ!」

アルマークが風のように駆けた。

「ぬっ」

ライヌルのローブがちぎれて舞った。

転移が間に合わず、マルスの杖がそのローブをかすめたのだ。

「獣だな、まるで」

ライヌルは笑う。その額に、汗が滲んだ。

「だが、いいだろう」

慎重にアルマークとの間合いを取ったライヌルは、そう言って笑った。

「止めたければ、そのマルスの杖をこちらに渡したまえ。君がそれを振り回せば振り回すほど、彼女の門は開いていくぞ」

「なっ」

アルマークは動きを止めた。

「もう門が開くところは見れたからね。止めてあげよう。ほら、渡したまえ」

ライヌルはそう言って手を差し出す。

アルマークは逡巡した。

「手遅れになるぞ。さあ」

ウェンディの身体の中で、魔力が膨れ上がっていく。

冬の屋敷では、ウェンディは変化の術を無尽蔵に使い続けることで、魔力を消費し続けていた。

だが、今の意識のない状態のウェンディには、膨れ上がる魔力の行き場所がない。

「お嬢様の身体が弾け飛んでしまうぞ。私もそこまでしたいわけではない。さあ、急いで」

ライヌルが真剣な顔で手を差し出す。

思わず杖を差し出しそうになったとき、あの少女の言葉が脳裏をよぎった。

「アルマーク。マルスの杖を、離さないでね」

「ダメだ」

アルマークは杖を引っ込めた。

「これは渡せない」

ライヌルの顔が忌々しげに歪んだ。

「ならば、その腕の中でウェンディお嬢様はバラバラだ。かわいそうに」

「そんなことはさせない」

アルマークは答えたが、どうしていいのかまるで見当もつかない。

ウェンディの魔力の奔流を促しているのは、マルスの杖の光だ。

この光を止めなければ。

だが、どうすれば。

アルマークは杖を抱え込んだ。

マルスの杖。僕を所有者と選んだのなら。

強くそう念じる。

僕の言うことを聞け。

強く、強く。

だが、光は止まらない。

「ほら、早くしたまえ!」

ライヌルが叫んで手を伸ばす。

「手遅れになるぞ!」

それはアルマークにも分かった。

これ以上は、ウェンディが保たない。

しかしマルスの杖は言うことを聞いてくれない。

どうすれば。

父さん。

アルマークは歯噛みする。

父さん、僕はどうすれば。

アルマーク、いいか。

不意に蘇る父の声。

言っても聞かねえやつはな。

その言葉を思い出した瞬間。

アルマークは自分の右手に己の魔力をかき集めた。

荒々しい衝動に、体中の魔力が歓喜の叫び声を上げる。

俺たちを使え。

そうだ、使え。

使うなら、躊躇はするな。

分かってるよ。

アルマークは魔力に答える。

右手が焼き切れそうなほどの熱を帯びる。

魔力を人体に直接使うことの危険性。

それは自らの魔力であっても変わりはないが。

アルマークは躊躇しなかった。

アルマーク、いいか。言っても聞かねえやつはな。

アルマークは、右手に集めたありったけの魔力を拳ごとマルスの杖に叩きつけた。

ぶん殴って黙らせろ。

「なっ」

ライヌルが目を見開く。

凄まじい衝撃。

ライヌルの灰色のローブがばさばさとはためく。

アルマークの拳の骨が砕け散る感触。

それとともに、マルスの杖が光を失った。

魔力の奔流が止まる。

アルマークの腕の中で、ウェンディの痙攣も収まった。

「なんだ、それは」

呻くようにライヌルが言った。

もうその顔に余裕の笑みはない。

「殴って止めるだと? そんなふざけたやり方があるか」

怒りとも笑いともつかない表情で、ライヌルは言う。

「ありえない。なんなんだ、君は」

「僕か。知りたきゃ教えてやる」

アルマークはウェンディをそっと地面に寝かせると、ゆっくりと立ち上がった。

焼けただれた右手からは煙が上がっているが、苦痛の表情は一切表に出さなかった。

弱味を見せるな。

いつも平気な顔をしていろ。

分かっている。

僕は。

「僕は、北の傭兵の息子だ」