作品タイトル不明
講堂
本人がどんなつもりで言ったのかはともかくとして、トルクの言葉のおかげでアルマークは少し落ち着きを取り戻した。
翌日、学校に行くと、ウェンディはやはり相変わらずよそよそしく、悲しい気持ちになったが、それを冷静に眺めようと努める心の余裕が生まれていた。
そうすると、昨日までは見えていなかったものが見えてきた。
アルマークに話しかけられると、困ったように言葉少なになるウェンディは、アルマークがウェンディに注意を向けていないときには、逆にじっと彼を見ていることがよくあった。
アルマークと目が合いそうになると、ふっと視線をそらしてしまうのだが、ウェンディのアルマークを見る目は、ひどく悲しそうに見えた。
ウェンディは、何かに悩んでいるようだ。
アルマークにもさすがにそれが分かった。
それも、どうやら僕のことで悩んでいるようだ。
そうでなければ、あんな辛そうな目で僕を見たりはしないだろう。
寮に届いたという手紙と関係あるのだろうか。
トルクの言っていた通り、それは許嫁からの手紙だったのだろうか。
それとも、トルクの言っていることは全然的外れで、全く別の人からの手紙なのか。
父親からではなかったとトルクは言っていた。
父親以外に、そんなにウェンディの心を乱すような手紙を書く男性がいるのだろうか。
いるのかもしれない。
僕は、出会うまでのウェンディのことをほとんど何も知らないのだから。
それはどんな人なんだろう。
アルマークは想像してみるが、この学院に来てから出会った貴族である、エストンやポロイス、それにアインの顔がぼんやりと浮かぶだけで、具体的なイメージは湧かなかった。
それとも手紙が原因ということ自体も的外れで、ウェンディの悩みはそれとはまるで関係ないのだろうか。
結局、アルマークにはいくら考えても分からないことだった。
ただ、見ない振りをしながらそっと覗き見たウェンディの目がとても悲しそうで、それがアルマークにも悲しかった。
アルマークに話せないということは、何かそれなりの理由があるのだろう。
僕に話せることなら、ウェンディは話してくれるはずだ。
アルマークにはそういう確信があった。
一緒に危地をくぐり抜けてきた信頼。
それは、今こんな雰囲気になってしまっても揺らぐことなくアルマークの中にあった。
だから、今僕に言わないということは、僕に言うべきじゃないことだとウェンディが思っているからなんだ。
それなら待つしかない。
アルマークは腹を括った。
ウェンディが僕に話してくれるのを。
その時まで、僕の心がもつといいけど。
少し、そんな弱気なことも考える。
ウェンディ、僕に付いてきてくれないか。
トルクにアドバイスされた言葉を言おうかとも考えていたが、ウェンディの悲しそうな目を見ると、今、森や海に連れ出してどうすればいいのかも分からなかった。
校舎への行き帰りでもウェンディと二人きりになることもない。
言うタイミングもないままで時間は過ぎていった。
それでも、ごく表面的な会話はぽつぽつとあるので、アルマークとウェンディの間の目に見えない壁は、ほとんどのクラスメイトに気付かれることはなかった。
「リルティの声が小さすぎるな」
ウォリスが首を捻る。
「台詞が全く観客席まで届かない。演出で音なんて入れたらなおさらだ」
魔術祭の日が迫っていた。
今日は授業時間を使わせてもらって、本番で使う講堂の舞台での初めての練習だ。
そうすると、教室で練習していたときには見えてこなかった様々な問題があることが分かる。
大きな舞台でやるには動きが小さい、とか、演者の位置が舞台の端に偏りすぎてしまっている、とか。
その中で、リルティの声の小ささが改めて浮き彫りになった。
その小さな声は、一緒に演技している仲間に聞こえるのがやっとで、とてもではないが観客席まで届かない。
「リルティ」
客席の中央からウォリスが手を振る。
「君の台詞が全く聞こえない。もうちょっと声を張ってくれるか」
リルティは真っ赤な顔で頷いて、少し大きな声を出す。
「まだだ」
ウォリスが大きく首を振る。
「何か喋ってるな、ということしか分からない」
リルティは必死で声を張って、どうにか観客席まで聞こえる程度の大きさになった。
「聞こえるようにはなったが」
ウォリスが隣のバイヤーに言う。
「あんな必死に声を張っていると、とてもお姫様という感じには見えないな」
「そうだね」
バイヤーは腕を組んだ。
「歌うときは、あんなに声が出るのにな」
「ああ」
ウォリスも同意する。
「あれは素晴らしい歌声だ。あれこそ天から与えられた才能というものだろう」
それから、リルティの演技を見て顔をしかめる。
「ああ、やめさせよう。あんな声の出し方では、歌う前に喉を痛めそうだ」
ウォリスは手を大きく振る。
「リルティ、喉を痛める。声はとりあえずさっきまでの大きさでいい」
リルティは頷いて、小さく咳き込んだ。
「さて、どうしたものか」
ウォリスは腕を組んだ。
「こうなれば、リルティの台詞を極端に削るか」
「いや、ウォリス」
考え込んでいたバイヤーが腕組みを解いた。
「リルティにはあの小さい声のままでやらせよう」
「しかし」
ウォリスが眉をひそめる。
「あれでは何を喋っているか分からんぞ」
「演出でカバーしよう」
バイヤーは微笑む。
「風の魔法で、観客席にリルティの声を運ぼう。そうすればあの囁き声みたいな声でもちゃんと聞こえる」
「なるほど」
ウォリスが頷く。
「それに、あの小さな声なら」
バイヤーの言葉を、ウォリスが微笑んで引き継ぐ。
「まさかあんな素晴らしい歌声の持ち主とは思われない。最後の場面で、そのギャップも生きるというわけだ」
「その通り。さすがウォリス、察しが早いね」
バイヤーが頷くと、ウォリスは首を振る。
「いや、君が冴えているんだ。頼りにしているぞ」
そう言って、台本を手に取る。
「よし。リルティの出演場面の演出を見直そう。一人専属で彼女の台詞を運ぶ担当にするんだ。最後の彼女の歌にはそれだけの価値がある」
頭から、一通り劇の流れを舞台上で演じてみる。
みんなずいぶん早くから熱心に練習をしていただけあって、演出や配置上の問題はともかくとして、劇の進行自体はスムーズに進んでいく。
ネルソンとノリシュの掛け合いも、お互いに力が抜けた自然なものになっているように見えた。
物語は進み、アルマークもネルソンとの立ち合いをそつなく演じ終え、ウェンディとの別れの場面になった。
ネルソンたちが去り、アルマークとウェンディが舞台に残される。
アルマークはウェンディを見た。
ウェンディもアルマークの目を見る。
こうして見つめ合うのはずいぶん久しぶりな気がする。
アルマークは自分の中に何か込み上げてくるものを感じた。
しかし、それをうまく言葉にできない。
ウェンディも何も言わない。
言わないのか、言えないのか。
それは分からないが、ウェンディの瞳が潤んでいるのがアルマークにも分かった。
無言のままでしばらく時間が流れる。
何かを言わないと。
アルマークは口を開きかけるのだが、言うべき言葉が見つからない。
ああ、くそ。
その時、ウェンディの姿がゆっくりと薄くなり始めた。
無論、これは劇の演出で、担当のガレインが魔法でウェンディの姿を徐々に透明にしていっているのだが、アルマークには一瞬、本当にウェンディが消えてしまうように感じた。
致命傷を負っているはずのアルマークが、思わずウェンディのもとに駆け寄る。
それは劇としてはあり得ない動きで、ウェンディが驚いたように目を見開く。
その目に涙が溜まっているのが見えた。
「ウェンディ」
やっとそれだけ絞り出すと、ウェンディは目を閉じた。
つ、と涙が一筋頬を伝った。
「ごめんなさい、アルマーク」
消える直前、ウェンディはそう言った。
ごめんなさいって、どういうことだ。
ウェンディが消えたあと、アルマークが呆然として立ちすくんでいると、観客席からウォリスの呆れたような声が聞こえた。
「呪われた剣士アルマーク。次の場面に進みたいので、そろそろ死んでもらってもいいかな」