作品タイトル不明
食堂
「……手紙?」
なんとか滑り込んだ食堂で、二人並んですっかり冷めた夕食を食べながら、アルマークはトルクに聞き返した。
「ウェンディに手紙が来てたのかい」
「ああ」
トルクは大口を開けて夕飯をかきこみながら頷く。
「あの日はウェンディはノリシュに付き添って教室を出てっただろ」
「うん、そうだったね」
「寮に帰ってから、俺のところに手紙が届いてたんで取りに行ったら、もう一通あいつ宛の手紙が届いてた」
トルクは食事に目を落としてそう続ける。
「あいつがノリシュと帰ってきたのはずいぶん遅くだったみたいだからな。残ってたのが俺の手紙とあいつの手紙だけだったから覚えてる」
「手紙か」
アルマークは考える。
ウェンディがその日帰ってきて、手紙を受けとり、次の日からアルマークに対する態度が変わった。
あり得る話だろうか。
「誰からの手紙だい」
「そこまでは覚えてねえよ」
トルクは首を振る。
「だが、親とかじゃなさそうだったな。別人の名前だった」
「そうか」
「男だぜ」
トルクはアルマークを横目でちらりと見て笑った。
「え」
「字を見りゃ分かるだろ。あれは男の字だった」
「男……お父さんじゃなくてかい」
「エルモンド卿なら俺だって名前くらい知ってる」
トルクはガライ王国の大貴族であるウェンディの父親の名前を挙げる。
「差出人は少なくともエルモンド卿じゃなかった。それに、宛名の書き方もずいぶんかしこまった他人行儀な感じだった気がするな」
はっきり見たわけじゃねえからよく覚えてねえけどな、とトルクは続ける。
「そうか」
その手紙と、ウェンディの自分に対する態度と、何か関係があるのだろうか。
ここで考えても分かることではない。
「手紙か」
そう呟いて、食事を口に運ぶ。
しばらくスプーンやフォークが食器に当たる音だけが響く。
「許嫁だな」
トルクが不意に言った。
「え」
「許嫁だよ、許嫁」
トルクは確信を込めてもう一度そう言った。
「お前の話を聞いて、はっきりした。父親以外に、手紙を書いて寄越す男なんて、許嫁くらいしかいねえだろう」
「ウェンディには許嫁がいたのかい」
初耳だった。
アルマークは驚いて聞き返す。
「知らねえ」
トルクはあっさりと首を振る。
「だがバーハーブ家ほどの大貴族だ。兄貴がいるから後継ぎはそっちに譲るとして、ウェンディだってどこかの有力貴族と結婚することが決められてても、おかしくはねえだろ」
「そういうものか」
アルマークは頷く。
「僕には貴族の世界はよく分からないから」
「お前は知ってることと知らねえことの差が極端だな」
トルクは笑う。
「学院で楽しくやってたら、許嫁からの愛の手紙が来て現実を思い出した。おおかたそんなところじゃねえのか」
「そうなのか」
アルマークの驚いた顔を見て、トルクは顔をしかめる。
「お前は、ウェンディに付いてこいって言って、将来どうするつもりだったんだよ」
「将来」
アルマークは繰り返す。
「何も考えてない」
「好きだ好きだもいいがな」
トルクは呆れたようにため息をつく。
「ウェンディの実家はその辺の木っ端貴族じゃねえんだ。さらうならそれなりの覚悟決めろよ」
「さらう」
アルマークは不穏な単語に眉をひそめる。
「さらうって、どういうことだい」
「駆け落ちだよ、駆け落ち」
トルクは言った。
「許嫁のいる女をものにするなら、そうするしかねえだろ」
「そういうものなのか」
将来、ウェンディとどうするのか。
そんなことはアルマークには考えたこともない先の話だ。
だが、ウェンディの実家にとって、自分の出自が当然歓迎されるものではないことくらいはアルマークにも分かっていた。
いや、実家だけじゃないな。
アルマークは思い直す。
ウェンディ自身が、そもそも僕の出自を歓迎しないだろう。
歓迎しないどころか。
ちっ、とトルクが舌打ちした。
「今日も出やがった。鍋ばばあだ」
その囁きとともに、がんがんがん、というけたたましい金属音が食堂に鳴り響いた。
寮の管理人のマイアが、自分の身体の半分くらいある大きな鍋を持ってちょこちょこと食堂に入ってくると、それを木の棒で叩き始めたのだ。
「ちんたらちんたら、いつまで食ってるんだい。いつになっても片付きゃしない」
マイアはそう言いながら、鍋を棒で叩きまくる。
「ほらほら、早く食べな。くっちゃべってる暇なんてないんだよ。喋るために開ける口があるならそこに食事をつっこむんだよ」
マイアに急き立てられるようにして、食堂に残っていたわずかな生徒たちが次々と席を立っていく。
アルマークとトルクも残りを慌ててかきこむと、食器を洗って食堂を出た。
「トルクにも許嫁がいるのかい」
並んで廊下を歩きながらアルマークが尋ねると、トルクは嫌そうな顔をした。
「なんで俺に聞くんだよ」
「いや、貴族はみんなそういうものなのかな、と」
「ポロイスには、いるらしいな」
トルクは言う。
「他にもいるかもしれねえが、聞いたことはねえ」
「そうか。じゃあトルクには」
「俺には、いた」
「いた?」
アルマークが怪訝な顔でトルクを見上げると、トルクはにやりと笑って、握った手をぱっと開いて見せた。
「ダメになった。うちが傾いたからな」
「そうなのか」
アルマークは眉を上げる。
「それは悪いことを聞いた」
「別に」
トルクは肩をすくめる。
その顔に、一瞬だけ暗い影が差した。
「貴族の許嫁なんてそんなもんだ。俺にとっちゃ、会ったこともねえ相手の名前が俺の隣に勝手に書かれて、また勝手に消されただけのことだ」
トルクはそう言って、自嘲気味に笑う。
「ま、要するに、本当に好き同士で一緒になるわけじゃねえ。だからお前にもチャンスはある」
トルクはいつもの皮肉まじりの口調で、指を二本立てる。
「お前がウェンディをさらわなくても、円満に一緒になる方法が二つあるぜ」
「二つも」
アルマークは驚く。
「僕には想像もつかない。教えてくれ」
「まず一つは」
トルクは楽しそうに言う。
「ウェンディの実家のバーハーブ家をめちゃくちゃに没落させることだ。それこそ、許嫁がどうとか言ってられないくらいにな」
「トルク」
アルマークは顔をしかめる。
「それは、ダメだ」
「そうか。いい考えだと思うがな」
トルクは答えて、一本指を折る。
「じゃあもう一つの方だ」
「うん」
アルマークは頷く。
「もう一つは、お前が偉大な、それこそ学院長みたいな大魔術師になることだ」
「僕が」
アルマークは思わずトルクの顔を見る。
ちょうどその時廊下の灯りの合間の暗がりに差し掛かり、トルクの表情はよく見えなかった。
「魔術師は自由だ。なんでか分かるか」
「いや」
「魔術師は身分じゃねえ。生き方だからだ」
トルクは言った。
再び灯りに照らされたトルクの顔には、いつもの皮肉な表情が浮かんでいた。
「俺の言葉じゃねえけどな。それに、好きな言葉でもねえ」
「イルミス先生かい」
アルマークの言葉に、トルクは肩をすくめて答えなかった。
「学院長の言葉は国王でさえも動かす」
代わりにトルクはそう言った。
「お前がそうなりゃ、エルモンド卿だって文句は言えねえだろ」
トルクの言葉を聞いて、アルマークは以前冬の屋敷でバーハーブ家の執事ウォードから聞いた話を思い出していた。
自分の殻に閉じ籠っていたウェンディの心を開くために、ただ一人現れた学院長は、その威厳でエルモンド卿さえも圧したと言っていた。
「そうだね」
アルマークは頷いた。
立派な魔術師になる。
それは父の願いであり、今のアルマークの目標だ。
だがこの目標は、どうやらそれ以外にもさまざまな道に通じているようだということが、おぼろげながらようやくアルマークにも見えてきた。
「ありがとう、トルク」
アルマークが言うと、トルクは、ふん、と鼻を鳴らす。
「少しだけいつもの面構えに戻ったな」
それから、相変わらずの無愛想な口調で付け加える。
「俺は嫌いなんだよ。力があるくせに、うじうじぐずぐずしてるような奴が。見てるとイライラするんだ」
「すまない」
「俺に謝るんじゃねえよ」
トルクは吐き捨てるように最後に言った。
「いちいち女の一挙手一投足にうろたえてんじゃねえ。お前はいつもみたいに、ムカつくくらい飄々としてろ。こっちが調子狂うんだ」
それから、廊下を自分の部屋の方へと大股で歩き去っていった。