作品タイトル不明
ネルソン
薄暗い廊下を突き当たりまで歩くと、確かにノリシュの言葉通り、壁のくぼみに押し込まれるように古いソファが置かれていた。
ネルソンはそこに埋もれるようにして座っていた。
暗がりで、その表情は窺い知れない。
「こんなところにいたのか」
アルマークが声をかけると、ネルソンは顔を上げずに顎をわずかに動かした。
「ずいぶん探したよ」
ネルソンは答えずに、身体を少しだけ横にずらした。
アルマークはネルソンの空けてくれた隙間に腰を下ろす。
「レイドーから聞いたよ。ノリシュとやりあったそうだね」
その言葉に、ネルソンはようやく微かに笑う。
「いつものことだ。お前だって知ってんだろ」
「知ってるよ」
アルマークは頷く。
「でも、今日のは少し違うんだろ」
そう言うと、ネルソンは床を見つめたままで自嘲気味に笑う。
「なんか、な。そうみてえだな」
アルマークはしばらく待ってみたが、ネルソンがそれ以上は何も言う気がないのを見てとって、口を開く。
「今回の劇、君がものすごくやる気があるのは知ってる」
ネルソンは顔を上げない。
「僕もキュリメの台本の騎士は、まさに君にぴったりだと思う。実際、君の演技は素晴らしいよ。でも」
「お前の言いてえことは分かるよ、アルマーク」
ネルソンはぽつりと言った。
「騎士気取りで調子にのってはみたが、この様だ。俺が一番許せねえ人間を知ってるか」
「さあ」
アルマークは首を捻る。
「分からないな」
「女を泣かせる男だ」
吐き捨てるようにネルソンは言った。
「ノリシュは泣いてた」
「そうか」
アルマークは頷く。
「女を泣かせる男か。君は武術大会でもそれで怒っていたっけな」
「ざまあねえよな」
ネルソンは口許を歪めて笑う。
「エストンとポロイス。ノリシュを泣かせてたあの二人と同じ事をやってるんだからよ」
「同じじゃないだろう」
アルマークは静かに言う。
「エストンとポロイスのは、きっと面白半分だ。君のはそうじゃない」
「結果は同じだろ」
「同じじゃないさ」
アルマークが言うが、ネルソンは首を振る。
「甘えてたんだ。俺が、あいつに。お互いに言い合う言葉がどんなにきつくても、心でどう思ってるかは分かるようなつもりでいた。だから今回も大丈夫だと思ってた」
ネルソンはため息とともに、大丈夫なわけねえよなぁ、と呟く。
「俺たちは別の人間なんだからよ」
アルマークは黙ってネルソンの見つめる床の先を見た。
ネルソンはアルマークに話すというよりも、自分に語るように言った。
「騎士を演じていると、心が熱くなるんだ。一言喋るたび、レイドーやレイラの前で跪くたび、自分の中で血が沸騰しそうになる。そっちこそが本当の自分みたいに思えてくる。まるで自分がここに来る前から憧れていた英雄物語の主人公になったみたいに。……おかしいだろ」
「いや」
アルマークは首を振るが、ネルソンはアルマークの答えを必要としていないようだった。
「自分でも分かってる。おかしいって思うぜ。そこまで本気で魔術祭の劇に取り組むやつなんていねえよ。まるで命まで懸けるみたいに。でも、どうしようもねえんだ。止まらねえんだから」
ネルソンはまた長いため息をついた。
「そりゃあノリシュも呆れるよな。あいつの涙を見てようやく我に返ったんだ。自分が一人でどれだけ先走っていたのか。どれだけあいつに無茶を言って辛く当たったのか。その時にやっと気付いたんだ。本当に情けねえ」
「二つ」
アルマークはネルソンの言葉を遮って、指を二本立てた。
「二つ、君の思い違いを正すよ」
ネルソンが顔をわずかに上げて訝しげにアルマークを見る。
アルマークは穏やかな声で続けた。
「まず一つ。僕はこの学院に来る旅の途中で、何人かの騎士に出会った。中原や南と違って、北にはまだ戦士としての騎士が残っているからね」
「そうなのか」
ネルソンが顔を上げる。
「北には、まだ騎士が」
「ああ」
アルマークは頷く。
「彼らは何のために命を懸けると思う?」
「決まってるだろ」
ネルソンは答えた。
「誇りのためだ」
「違う」
アルマークは首を振った。
「誇りのためじゃない」
その言葉にネルソンが何か言いたそうに口を開くが、アルマークは言葉を続けた。
「ネルソン、騎士はね。自分を騎士と認めてくれる人のために命を懸けるんだ」
ネルソンが目を見開く。
アルマークは思い出していた。
旅の途中で出会ったお人好しの剣士。
騎士に憧れていた彼が、真の意味で騎士になったのは、助けを求めてきた女性に、己を騎士と呼ばれたその瞬間だった。
あの時の彼の表情を、アルマークは今でもはっきりと思い出せる。
あれは、命を懸ける相手に巡り会えた騎士の顔だった。
「そこがきっとほかの戦士、たとえば傭兵とは全く違うんだ」
傭兵が命を懸ける理由は様々だ。
金のため。女のため。もっと短絡的な目の前の快楽のため。
生きていくため。名誉のため。強い相手と戦うため。
中にはネルソンの言うように、誇りのために命を懸ける傭兵もいるだろう。
だが、少なくともアルマークの知る限りでは、自分を傭兵と認めてくれる人のために戦う傭兵はいない。
「だから君が騎士たりえたいのなら」
アルマークはネルソンの目を見つめて言った。
「まずは君がノリシュに自分を騎士だと認めてもらうことだ。それには、きっと今日みたいな方法じゃダメだ」
「自分を騎士と」
ネルソンは呟いた。
不意に、アルマークの肩を乱暴に掴む。
「それなら俺はどうすりゃいいんだ。どうすりゃ俺を騎士と」
「僕に聞くな」
アルマークはネルソンの手を払った。
「僕は騎士になりたいと思ったことはない。それは騎士になりたい君が自分の頭で考えるべきことだ」
それからアルマークはゆっくりとソファから立ち上がった。
「君ならできる。それだけは僕にも分かるよ」
アルマークの言葉に、ネルソンは苦しそうに首を振る。
「分からねえ」
「それともう一つ」
アルマークはネルソンの言葉に構わず言った。
「ノリシュは君に呆れてなんていない。どうしたら君の心に寄り添えるのか、それを必死で考えている」
ネルソンの顔が泣きそうに歪む。
「君がここにいると教えてくれたのもノリシュだ」
「あいつが」
アルマークはネルソンの肩を優しく叩いた。
「さあ、あとは君がどうするかだ。騎士ネルソン」
「……俺は」
そう呟いたきり、ネルソンはまた床を見つめて唇を噛み締める。
アルマークは微笑んだ。
「僕は行くよ。そろそろモーゲンも帰ってくる頃だろうから」
返事はなかった。
アルマークはソファに背を向け、ゆっくりとその場を歩き去った。