作品タイトル不明
それぞれの森
森がざわざわと揺れていた。
森の奥から、生暖かい風が流れてくる。
アルマークには分かる。
いずれ、この風に腐臭が混じる。
「闇の扉が開く音がしたな」
イルミスが静かに言った。
アルマークがイルミスの顔を見上げる。
「先生、知っているんですか。あの音を」
「うむ」
イルミスは頷く。厳しい表情だった。
「実際に耳にするのはずいぶん久しぶりだ」
「北では森の魔笛と呼ばれています」
アルマークは森の奥、風の吹いてくる先を見た。
「何度耳にしたことか」
そう言って、顔をしかめる。
「合図なんです。闇の魔物どもが現れる」
「分かっている」
イルミスはアルマークたちの後ろに控えるフィーアを見た。
「フィーア先生。実習は中止します」
「残念ですが」
フィーアも暗い顔で頷く。
「仕方ありません。中止しましょう」
イルミスは頷いて、森の奥に目をやる。
「来たな」
アルマークたちも、はっとしてそちらに目をやるが、まだ何も見えない。
「心配はいらない。まだ遥か向こうだ。大きな闇の力が、二つ。それに触発されて凶暴化した通常の魔物が20から30。だが、速いな。こちらに向かってくるぞ」
「そんなにたくさん」
フィタの顔が青ざめる。
「私から少し離れていなさい」
イルミスがそう言って学生たちに距離を取らせるのと同時に、イルミスの全身を風が包んだ。
「実習中の学生全員に伝達」
イルミスがそう言った瞬間、風が広がっていく。
イルミスが口にした言葉が、魔法の風に乗って森の隅々に行き渡っていく。
「緊急事態だ。森の奥から魔物が来る。実習は中止だ。全員速やかに校舎へ退避せよ。3年生は警戒を怠らず、2年生を守ること。2年生は3年生の指示に従い、決してグループから離れないこと。もしも魔物が出てもむやみに戦おうとせず、森から出ることを最優先にせよ」
イルミスはゆっくりとそう言うと、最後に付け加える。
「恐れるな。自分たちの力を信じたまえ。行動開始」
イルミスの声が風に乗って響き渡り、森の中に散らばっている各グループの学生たちの耳に届く。
「今の話、聞こえたね」
ウォリスは自分のグループ員の顔を見回す。
「残念だが帰ろう」
そう言ってから、2年生たちを安心させるように微笑む。
「大丈夫だ。僕がいる。心配はいらない」
それから、本当に残念そうな顔のバイヤーを見た。
「バイヤー。幸せな時間は終わりだ」
「分かってるよ」
“薬草博士”バイヤーが渋い顔で頷く。
「僕だって魔物と戦うのはごめんだ。早く帰ろう」
「君の気持ちは察して余りあるがね」
ウォリスはバイヤーの肩を叩いた。
「だが、今日は君のおかげで助かった。きっとほかのみんなも助かるだろう。……リルティ」
ウォリスに声をかけられて、リルティは青ざめた顔をあげた。
「帰るぞ、リルティ。そんな顔をするな」
「私、前にさっきの笛みたいな音を聞いたことがあるの」
リルティは言った。
「とても嫌な感じがする」
「怖がることはない」
ウォリスはあくまで冷静に言った。
「大舞台で歌うことを決めた君だ。その度胸があれば、どうということもない話さ」
その言葉に、リルティが顔を赤らめる。
ウォリスは声を張った。
「さあ、行こう。僕からはぐれるなよ」
トルクはイルミスの言葉を聞き終えると、いつものように不機嫌に、ちっと舌打ちした。
「トルク、今の話。魔物が来るって」
セラハが不安そうな声をあげるが、トルクは仏頂面で面倒そうに首を振った。
「魔物は森の奥から来るんだろ。なら俺が一番後ろに回る」
そう言って、デグを見る。
「デグ、お前が先頭だ。急ぎすぎるなよ。2年がついていける速度で歩け」
「分かった」
デグが頷く。
「セラハ、お前は真ん中で2年を見てやれ。俺は後ろに集中するからよ」
「う、うん」
頷くセラハの緊張した表情に、トルクはわずかに口許を緩める。
「心配するな。魔物が出たら出たでなんとかする」
思いがけず優しい言葉を掛けられて、セラハは、トルクの顔を見上げる。
トルクは顔をしかめた。
「だからそんな辛気くせえ顔してんじゃねえ」
その言葉に、セラハは小さく頷く。
「トルクは、前に森でジャラノンっていう魔物を倒してるんだ。だからトルクの言うことを聞いておけば大丈夫」
デグが不安そうな顔の2年生たちに説明する。
トルクの話なのに、なぜか自分が得意気な表情だ。
それを聞いた2年生の目が輝くのを見て、トルクが嫌な顔をする。
「やめろ、デグ。別に俺が倒したわけじゃねえ」
それから乱暴な手振りで全員に前へ行くよう促す。
「さあ行くぞ。後ろは振り返らなくていい。俺がいるからな。前だけ見て歩け」
イルミスの言葉が終わるやいなや、悲鳴をあげて走り出そうとする2年生たちを、ネルソンが大声で制止した。
「待て待て待て!」
辺り一帯に響きわたりそうなその声に、2年生たちが目を丸くして立ち止まる。
「こういうときは、泡食って走って逃げようとするのが一番危ねえんだ。転んだり、はぐれたりするからよ」
ネルソンは大きな声で言いながら、2年生たちの間を歩き回って全員の肩を叩く。
「お前ら落ち着けって。心配しなくても魔物なんかに追いつかせやしねえよ。保証するぜ」
ネルソンの言葉に続いて、ノリシュが笑顔で元気な声を出す。
「ネルソンの言うとおり。大丈夫、みんな今日一日で分かったでしょ? この男はやるときはちゃんとやる男だから」
「おう。俺についてくりゃ大丈夫だ。心配すんな」
そう元気に言ってから、ネルソンはピルマンとキュリメを振り返る。
「俺の知ってる近道を総動員して帰るからよ。二人とも悪いけど2年が遅れないようにちゃんと見ててくれよな」
「任せてくれ」
ピルマンが言い、キュリメも頷く。ノリシュがみんなを励ますように手を叩いた。
「さあ、ネルソンの後ろについて。大丈夫、この背中についていけば何にも心配いらないから」
「聞いたかい」
レイドーが、驚いたようにレイラに声をかけた。
「魔物だって」
「ええ、聞いたわ」
レイラが頷く。
「イルミス先生がああ言うなら、きっとただ事ではないのね。何となくだけど感じるもの。普通の魔物だけじゃなくて、きっと他にもっと」
言いかけたレイラを、レイドーがそっと手で制す。
「そこは君さえ分かっていてくれればいいよ」
小さな声でそう言うと、レイドーは先頭のガレインに声をかける。
「大丈夫、校舎まではそんなに遠くない。そうだね、ガレイン」
「ああ」
ガレインが短く答える。
「ガレイン、そのまま先頭で歩いてくれるかい」
レイドーの言葉に、ガレインは無言で頷く。
「レイドー、私は一番後ろに回るわ」
レイラがそう言って、厳しい顔で杖を携え、最後尾のレイドーのもとへ来る。
「何かあれば私が対処するわ」
「うん。頼りにしているよ」
レイドーは頷くと、穏やかな笑顔で2年生たちの顔を見回す。
この子は、エリオ。この子は、プレル。
この子は、うん、強いて言えばマーレンかな。
レイドーは一人ひとりに自分の兄妹の名前を当てはめていく。
「今日分かったとおり、このレイラお姉さんはすごく強いんだ」
レイドーの言葉に、レイラがちらりと眉をひそめるが、レイドーは気にせず続ける。
「レイラお姉さんが後ろを見てくれるから、みんな安心して歩こう。しっかり前を向いて歩かないと、機械みたいなガレインお兄さんは勝手に歩いていっちゃうからね」
その言葉に、2年生からくすくすと笑い声が漏れる。
「さあ行こう。ガレイン、頼むよ」
レイドーの言葉に、ガレインが無言で頷き、力強く歩き出した。