作品タイトル不明
泉の洞穴
さくさく、と落ち葉を踏みしめながら、アルマークは森の道を歩く。
アルマークの隣を、レイドーが歩いている。
イルミスに杖の使い方を教わった、その翌日。
約束通り、二人は放課後、泉の洞穴に向かっていた。
もうだいぶ長いこと森の中を歩いている。
何回か分かれ道を越え、周囲はアルマークには見覚えのない景色になっていた。
トルクと一緒にジャラノンを追いかけたときにもだいぶ走ったが、どうもあの時とは方向が違うようだ。
「着いた」
レイドーが声をあげた。
「あれが立て札だよ」
レイドーが指差す先に、確かに木の立て札が立てられていた。
「初等部学生、これより先立ち入るべからず」
アルマークは立て札に書かれた言葉を読み上げた。
「まだこの先なんだね」
アルマークの言葉にレイドーは、
「まだまださ」
と言って頷く。
「さあ急ごう」
レイドーがアルマークを急かす。
二人はその後、女子がよく行くというモーラの原っぱや、大きな魚が釣れるというググの水場を通りすぎた。
レイドーは、
「もっと奥だよ」
と言いながら、どんどん先へ進む。
森の濃さが増してきた。
こんなに遠いんじゃ、平日に探索に来るなんて無理だな。
そんなことを考えながら、アルマークはレイドーに付いていく。
道もすっかり細くなり、とても二人で並んでなど歩けなくなっていた。
「アルマーク」
前を歩くレイドーが不意に話しかけてきた。
「ルルの泉の洞穴まで行ってどうする気だい」
「いや、どうもしないよ」
アルマークは答える。
「ただ、そういうところがあるなら、場所だけでも知っておこうと思っただけさ」
「そうか」
レイドーは頷いて、それ以上何も言わなかった。
二人は、しばらく黙って歩く。
「あ、あれはなんだい」
アルマークは、道の脇の石に青い塗料で紋が描かれているのを見つけてレイドーに声をかけた。
レイドーは足を止め、それを見て首を捻る。
「なんだろう。この辺は中等部の学生が来るところだから、中等部で習う何かの魔法の紋かもしれないね」
「そうか。君にも分からないなら、僕に分かるわけないな」
アルマークは青い塗料の紋を見た。
そんなに悪い感覚はしない気がする。
そのまま、二人はまた黙って歩く。
かなり歩いた頃、ようやく森が開けた。
「着いたよ」
レイドーがアルマークを振り返った。
「確かに、これはずいぶん歩くね」
そう言ってアルマークもレイドーの隣に並ぶ。
そう大きくはない泉だった。
周りを落葉樹に囲まれているので、水面にはたくさんの落ち葉が浮いているし、水底にも落ち葉が沈んでいるのが見える。
それでも水は澄んでいて、日の光をきらきらと反射するさまはなかなか幻想的だ。
「ここがルルの泉か」
「そう。そして、洞穴はあそこだよ」
レイドーが泉の対岸を指差す。
せりあがった斜面の真ん中辺りに、ぽっかりと洞穴が口を開けていた。
多くの学生が訪れたからだろう、その周囲は人の足で踏み固められている。
「近くまで行ってみよう」
レイドーに促され、アルマークは泉に沿って歩いた。
泉の澄んだ水の中に、時折魚の影が映る。
モーゲンを連れてきたら、きっと喜んで釣糸を垂らすだろうな。
そんなことを考えながら洞穴の前まで来ると、そこにも立て札が立てられているのに気付いた。
「教師の許可なく立ち入ることを禁ずる」
アルマークはまた読み上げた。
「中等部の学生でも、先生の許可がないと入れないんだね」
「うん。そうみたいだね」
言いながら、レイドーは洞穴の中を覗き込んだ。
「暗いな。やっぱり何も見えない」
「そうだね」
アルマークはふと思い付いて、自分の手の上に灯の術で炎を出現させる。
それを入口に向けてかざしてみると、洞穴の中はごつごつとした岩肌の通路がしばらく続いた後、途中からは人の手で加工されたらしき平らな通路に変わっているのが見えた。
「中はやっぱり先生に加工されてるみたいだね」
アルマークがそう言って振り向くと、レイドーは
「君も灯の術が使えるようになったんだね」
と微笑む。
「そうなんだ、イルミス先生の補習の甲斐があって」
そう答えてから、アルマークは、レイドーの手に杖が握られていることに気付いた。
「レイドー、杖を持ってきていたのか」
「うん」
レイドーは頷く。
いつも通りの柔らかな表情だったが、アルマークは不審に思った。
「なんで杖なんて持ってきたんだい」
「アルマーク、せっかくここまで来たんだから、入っちゃわないか」
レイドーがさらりと言った。
「えっ」
レイドーらしくもない意外な言葉に驚いて、アルマークはレイドーの顔を見る。
レイドーは洞穴に背を向け、泉の水面を見つめながら言った。
「実は、あの日からずっと考えてたんだ。僕に足りないものはなんだろうって」
「あの日」
アルマークが反駁すると、レイドーは頷く。
「武術大会の日さ。僕はルゴンに負けた」
「ああ……」
アルマークは頷く。
「君もネルソンも勝った。レイラは相手が悪すぎた。モーゲンはあのコルエンに勝ってみせた。無様に負けたのは僕だけだ」
レイドーの口調はあくまで穏やかだったが、それだけにアルマークにも押し殺した悔しさが伝わってきた。
「あの日から、あれはただの武術の負けじゃなくて、魔術にも通じることなんじゃないかって考えていた。僕は、成績もそんなに優秀じゃないからね」
「考えすぎだよ、レイドー」
アルマークは首を振る。
「勝負は時の運って言うだろ。負けたからって君は何も失った訳じゃない。命も、尊厳も」
しかしレイドーは静かに首を振った。
「僕は失ったんだ、アルマーク」
「何を」
「自信を、さ」
そう言ってアルマークを見たときのレイドーの表情があまりに悲しげで、アルマークは一瞬言葉を失った。
それでも、アルマークはレイドーの言葉を打ち消そうとした。
「自信を失う必要なんて」
「君には分からない」
そう言って首を振ったレイドーは、もういつもの表情に戻っていた。
「あの日からずっと、自分の何かを変える必要があると思っていたんだ。そうしたら、君に泉の洞穴のことを聞かれた。それで試練の洞穴のことを思い出したんだ。これは天のくれたチャンスかもしれないって思ったよ」
「違う違う」
そんなつもりは全くない。僕はただ単にレイラがここに来るらしいっていうから。
アルマークは首を振りながらも、普段飄々とした態度を崩さないレイドーが、誰にも気付かれず、そんなにも深く悩んでいたことに驚いていた。
「洞穴の第一層は、初等部の魔法の応用で切り抜けられるって、中等部の人から聞いたことがある。それに挑戦してみないか」
「僕とかい」
アルマークは慌てて手を振る。
「僕はまだほとんど魔法が使えないんだ。無茶だよ」
「君に無茶なんて言葉は似合わないよ」
レイドーがあくまで穏やかに、アルマークの言葉を否定する。
「君は興味ないのかい。この試練の洞穴に」
「それは」
ないと言えば嘘になる。でも。
「僕だって入ってみたいけど、それは今じゃない」
「僕にとっては、今なんだ」
レイドーは残念そうに言う。
「巻き込んでしまって君にはすまないと思う。実は僕もここに来るまではどうしようか迷っていた」
レイドーはそう言って笑った。
「でも来てみて、心が決まった。もし君に行く気がないなら、僕は一人でもここの第一層に挑戦してから帰るよ。申し訳ないけど、帰り道は一人でも分かるよね」
アルマークは呆然とした。
なるほど、人に無茶をされるというのはこういうことか。
アルマークは、自分が無茶をしたときのイルミスやウェンディの気持ちが少し分かった気がして、改めて二人に申し訳なく思った。
「レイドー、ごめんよ」
アルマークは言った。
「僕は、君の友達のつもりでいたけれど、君が悩んでいることにちっとも気付かなかった」
「いいんだ。気付かれるのが嫌で、僕も隠していたのさ」
レイドーはそう言って首を振った。
アルマークはどうにかレイドーに翻意を促そうと頭を捻る。
「今こうして話してくれて嬉しいよ。でも、君の自信を取り戻すには、どうしてもこの洞穴じゃなきゃダメな訳じゃないだろ」
「それはそうだけど」
レイドーはうつむく。
「無茶をすれば、自信を取り戻せるってものでもないんじゃないか。挑戦するなら別のことにしないか」
アルマークの提案に、レイドーはしばし黙考し、それからやはり首を振った。
「アルマーク。僕はきっと君が思っているよりも遥かに卑怯で臆病だ。今、この挑戦を先延ばしにしたら、そのまま何もせず、ずるずると過ごしてしまうだろう。自分への嫌悪だけを抱えながら」
口調はあくまで穏やかだが、言っている内容は深刻だった。
「ごめん。時間もないし、こういう挑戦は勢いも大事だと思うんだ。だからもう行くよ」
レイドーはそう言って身を翻すと、洞穴へ躍り込もうとする。
「だめだ、レイドー」
アルマークはとっさにレイドーの腕をつかんだ。
「一人では行かせない」
アルマークは覚悟を決めた。
説得なんて僕の性に合わなかったな。
レイラの説得も、きっと無理だっただろう。
「それなら僕も行く」
アルマークは言った。
この洞穴のことを何も知らずに、いくら危険だと言ったところでその言葉に力はない。
どうせ、僕の言葉は行動の後にしかついてこない。
「足手まといかもしれないけど、僕も行くよ」
レイドーがアルマークの目を見た。
「いいのかい」
アルマークが頷いて見せると、レイドーは目を伏せた。
「アルマーク、僕は卑怯だろう」
そう言って、恥ずかしそうに笑った。
「君なら、きっとそう言ってくれると思っていたんだ」