作品タイトル不明
35話~でも、男でしょ?~
「今から行くのは、千代田区にある下水処理場です。そこで、解決して欲しい案件があると聞いています」
鈴木さんは運転しながら、手短に今日の予定を伝えて来る。
それに、後ろの席に座った佐川さんから抗議の声が上がる。
「えぇ〜。下水かよぉ。めっちゃ臭いし汚いじゃん。もっと楽しいとこ行こうぜ?ジムとかさぁ」
「これが私達のお仕事なんです。嫌なら外で待機していて下さい」
鈴木さんが冷たく突き放すも、佐川さんは「んなこと言われてもよぉ」と、相変わらずのマイペースっぷり。
「あたし達だって仕事だから、お前らについて行かなきゃイケねえんだ。面倒だけどよぉ」
おーい。本音がダダ漏れだぞ?
正直な彼女に笑いそうになるも、助手席から見えるサイドミラーに複数のパトカーが映り、その気持ちも萎える。
俺は後ろの席を振り返った。
「佐川さん。ついて来るにしても、後ろの車両は無理です。工場って、工事業者や見学者もいますから、会社の様に警察車両が入れるとは思えません」
「えっ!?マジかよ、やっべ。先輩に相談しねぇと」
佐川さんは慌てて、上司に連絡する。
そうしている内に、車はオフィス街から緑豊かな郊外へと差し掛かり、大きな工場の中へと入っていく。佐川さんがちゃんと連絡したからか、パトカーは途中の空き地へと逸れていった。
ふぅ。取り敢えず、入場前のトラブルは回避出来たか。
そう思った俺の見立ては、甘かった。
「初めまして。所長の丸塚です」
工場に着いた俺達を出迎えてくれたのは、この施設の責任者。小柄ながらも存在感のある初老の彼女は、綺麗な動作で鈴木さんに一礼する。
それに、鈴木さんも合わせる。
「初めまして、丸塚所長。お電話差し上げた鈴木です。本日は、よろしくお願い致します」
「ええ、川咲区長からも聞いていますよ。ようこそお越に…と言いたいところなんですが…」
ニコニコしていた所長は、一変。俺を見た途端に笑みを消した。
「男も一緒だとね、そうも言ってられませんよ。正直、不安ですから」
睨む様に俺を見上げてくる彼女の視線を、鈴木さんが体で断ち切る。
「所長。彼が入場する事は、事前にお電話差し上げたと思います」
「ええ、聞いていますよ。でもね、鈴木さん。ここは千代田区の下水を一手に管理している大切な施設なんです。下手な事をされて、万が一に止まったりでもしたら大変な事になる。そんな大切な設備に男を入れると言うのは、どうしても不安なんですよ」
「だからあたしも居るんだろ?任せとけって」
そう言って、豪快に腕をぐるぐる回す佐川さん。
それを見て、所長の顔が余計に歪む。
「…分かりました。今日は私も同行します」
忙しい筈の所長が同行するとは、余程俺の存在が不安なんだろう。
そこは心外だが、ベテランさんが一緒に回ってくれるのは心強い。色々とその場で質問出来るから、スピーディーに事が運ぶぞ。
そんな期待を胸に、俺達は所長の案内で工場内を回る。
先ずは施設の中枢だ。
「ここが中央制御室です。施設の管理を一括で行っています」
「ほー。かなりの広さだなぁ。キャッチボール出来そう」
所長が示す部屋を見て、佐川さんが率直な感想を漏らす。
彼女の言う通り、かなり広い。俺も今まで幾つもの 中制(ちゅうせい) を見てきたが、ここはその何処よりも広い。置いてある制御パソコンも新品みたいだし、その後ろの制御盤にも汚れ1つない。今年建てられた新工場だと言われても信じてしまいそうになる。
それだけ豪勢な中制、なんだが…。
「所長。 操作者(オペレーター) は何処に居るのでしょうか?なにかトラブルが起きているのですか?」
機器だけが動き、空いた椅子が物悲しく放置されているのを見て、俺は疑問に思った。
「……」
俺の質問に、所長が訝しそうな視線を送ってくる。
なんです?
「…いや。男が我々に口を聞いている事に、少々驚いただけだ」
ああ、そうか。普通の奴は、声を聞いただけで発狂するからな。
俺はドンッと、胸を叩く。
「そのことに関しては、ご安心下さい。私は大丈夫ですので。それで、オペレーターはどちらに?」
「この時間は全員、休憩に行っている。じきに戻るだろう」
「きゅう、けい?」
みんな一斉に休んでいるのか?ここ、下水処理場だろ?
俺は驚き、制御装置を振り返る。そこでは施設全体の稼働状況が刻一刻と変化しており、着々と下水処理が行われているのが見て取れた。
機器が動いている。なのに、オペレーターが居ない。まるで、車の運転中に運転手が居ないのと同じ状況。
寒気を感じ、所長の方に視線を戻す。
「大丈夫なんですか?これで。保安上、誰か1人は残した方がいいんじゃ…」
余りに恐ろしい状況に、俺はつい非難めいた声を出していた。
それに、所長は大きく「はぁ…」とため息を吐く。
「あのねぇ。男の君に、何が分かるんだい?」
全く分かってない奴だと言いたげに、所長は首を振る。俺を、侮蔑した目で見上げて来る。
それに、鈴木さんが小さな体を膨らませる。
「所長!お言葉ですが、黒川さんは凄い技術者なんです。私は彼に、何度も助けて頂いていて…」
「でも、男でしょ?」
何を言っているのとでも言うように、所長は首を傾げる。
劣等種である男に、何が分かるんだい?
そんな声が聞こえてくるようだった。
「ですが、丸塚所長。黒川さんは…」
「鈴木さん」
俺は彼女の肩に手を置いて、彼女の言葉を止める。首を振って、もう良いよとジェスチャーする。
俺の為に怒ってくれるのは嬉しいが、これ以上何を言っても理解はして貰えないだろう。言葉ではなく行動で示さないと、彼女達の理解は得られないんだ。
「所長。早速、現場を見せて頂けませんか?問題となっている箇所を教えて頂きたい」
「……ふぅ。なら、見るだけだぞ?機器に触ったり、何かおかしな行動をしたら、即刻立ち去って貰うからな?」
睨みつけてくる彼女に、俺はゆっくりと頷く。
大丈夫です。現場の怖さは良く知っていますから。
それから俺達は、工場から借りた作業着に着替え、安全具を装着する。やっぱり良い物を使っていて、ヘルメットも安全靴も最新式のモデルであり、作業服は普段着でも使えるくらいお洒落な物だった。
すげぇな。俺のボロボロ装備とは大違いだ。こんな真っ赤な作業着だと1日で油汚れが付きまくって、赤と黒のナナホシテントウ虫になりそうだ。
「なぁ、おい。なんであたしだけ、こんな変な服なんだよ」
そうして特区の装備に感動していると、佐川さんが抗議の声を上げる。彼女が着ているのは、無骨な青いツナギだ。彼女の体格も合わさって、とてもパワフルに見える。
自分だけ男らしくておかしいだろって事だろ?でも仕方ない。君のサイズだと、それしかなかったんだから。安全靴のサイズがあっただけ、儲けもんだと思うべきだ。
そうして、我々の準備が整い、イザ現場に出てみると…。
「おぉ~」
「どうしました?黒川さん」
出て早々に驚いた俺に、鈴木さんが振り返る。
どうしたって、ここの設備凄すぎないか?機器はどれもピカピカだし、床には塵1つ落ちていない。油汚れもスス汚れも見当たらないし、本当に新設の工場みたいに見える。
そして1番驚いたのが…音だ。
機器の微かな駆動音はするものの、全体的にめちゃくちゃ静かなのだ。こうしてマスク越しでも会話出来ちゃうくらいに静かなんて、他の工場では考えられない。
怒鳴ってやっと聞こえるレベルだからな、他のところは。
「そうなんですか?私は、これくらいが普通かと思っていました」
「むむ。そうなのか」
特区だと、騒音とかも厳しいのかな?でも、どうやって抑えているんだろう?
そう思いながら、所長の背中に付き従いながら周囲を見てみると…その理由はすぐに分かった。大きな音を出しているモーターやファンが全て、防音壁に囲まれていたのだ。
なんて資金力だ。
これだけお金を掛けられるからトラブルも少ないんだろうし、オペレーターも中制から離れられるって訳か。
「ここが、今問題になっている汚泥処理場です」
所長が大きな扉の前で止まり、俺達を振り返る。そして扉の中へ…なかなか入ろうとしないな、入りたくなかったのか?
彼女の頑なな態度に「何があるんだ?」と警戒してしまったが、入ってみればなんて事はない。ただ汚泥を貯めている大きなタンクが並び立っているだけだった。
特に、変な所は見られない。でも、所長の表情は優れない。俺を見た時と同じように顔を顰め、ソロリソロリと汚泥タンクに近付く。そして、
「このタンクの底には、汚泥攪拌用のスクリューがあるのだが、そいつの消耗が激しい。以前までなら10年は交換しなかった物が、去年は3年で故障してしまった。そして、今年は1年も持たなかった。こんな事、工場が開所してから今までなかった事だ。その原因を調べて、対策を講じて欲しい」
「分かりました、所長。私達で原因を調査致します」
鈴木さんは大きく頷くけれど、その後ろでタンクを見上げる佐川さんは不思議そうな顔だ。
うん。どうした?
「おでーって、何だよ?おでんの親戚か?」
君、知らないで付いて来てたのか?
俺はピンと指を立てる。
「佐川さん。汚泥って言うのは、下水処理で沈殿する泥状の固形物だ。水に溶けなかった砂とか金属なんかも含まれているけど…主なのは有機物だな」
「有機物?具体的に何だよ?」
「端的に言うと…うんこだ」
「うげぇえ!」
佐川さんが慌てて部屋から出ようとする。
おいおい。ここで働いている人達に失礼だろう。それに、俺を見張らなくて良いのか?
そう思ったが、彼女もそこに思い至ったみたいで、開けようとしていたドアを元に戻す。そして、項垂れて戻ってきた。
「チャッチャと終わらせてくれよ」
「それは分からん」
先ずは何が起きているのかを、調べなくちゃならないからな。
俺は目を光らせて、汚泥を貯め込むタンクを見上げる。
さぁ、ここからが俺の戦場だ。