作品タイトル不明
第159話 とっても簡単な方法があるんです。信じて? 7歳 秋
なぜ赤ん坊の健康と成長を願う護符に、村中の人間が殺到したのか。
それは魔術を信じる無知ゆえでなく、赤ん坊がよく死ぬというやり切れない事実と、親として赤ん坊に健康に成長して欲しいという願い故だろう。
つまるところ、先日発生した突発的な 過重労働(デスマーチ) の解決策として「護符を効率的に製造します」という対症療法的な方向性の解決ではダメなのである。
真のニーズとは赤ん坊の生存率向上であって、政策目標もそこを目指さなければならない。
「まあ。いろいろ役立つから護符の配布自体は継続するんだけど…」
家では母ちゃんに父ちゃんまで、嬉しそうにベルトから護符を下げている。
たぶん村中でそうした光景が見られることだろう。
村の人達は魔術を怖れる一方で、自分たちを守ってくれる魔術であれば喜んで身につける。そういうものだろう。
「そういえば、エリン姉を見ないね」
「トールの仕事を手伝わされるから、って逃げ回ってるわよ。馬に乗って視察に行ってるみたい」
なかなか鋭い勘をしている。
シグリズ様も、いかに知的労働力が不足しているからといって、10歳の女の子を徹夜労働に動員するほど冷酷ではなかったみたい。
7歳の僕は、なぜか夜明けまでこき使われたのだけれどね…。
優しさに偏りがある。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
さて。
魔術から科学へ。
赤ん坊の生存率向上を科学で向上させる。
と、意気込んでみたはいいものの。
「うーん。統計データが欲しい…」
そもそもの基礎となる人口統計データが整備されていないという事実。
赤ん坊の死因別の統計があれば、最も数の多い死因から潰していく、とかできるんだけどね…。
「仕方ないから、プロセスで考えるか」
帰納法が無理なら、演繹法の出番である。
「まずは、妊娠・出産から1歳ぐらいまでを考えてみるか…?」
こんなことになるなら、もう少しちゃんと母子手帳的ものとかを勉強しておくんだった。
政策の大前提として、村の中で誰が妊娠していて、どんな状況なのか。
一元的に管理して追跡したい。
実のところ小さい村だから、どこの誰の家でいつ子供が生まれそう、なんて皆が知っているんだけども、それを施策に結びつける仕組みが要ると思うんだよね。
そのツールが名簿と護符だ。
これのおかげで、名前単位で妊娠している女性を把握できる。
「妊娠の時期に村で出来ること。これはまあ、労働負荷の低減と栄養の補助だよなあ」
何よりも安静にして栄養を取れるようにする。
妊娠中の女性には、村の方から食糧援助したらいいかな。
でも、たた食料を配るだけだとクズな夫が取り上げたり、別の子供に食べさせたりしちゃうリスクがあるんだよなあ…。
「本人に社交場まで出てきてもらって、その場で食事をしてもらう?でも三食そうするのは無理があるよなあ…」
昼の食事を妊婦に優先的に配給することは、女性達の集まりの中で自然と行われている。朝と夜の食事に補助を出すとしても、目が届かないので適切に配分されるとは限らない問題をどうするか。
「定期訪問とか体重測定とかする?うーん…体重なあ」
魚の重さを測る天秤はあるけれど、それに妊婦を載せるのもやや躊躇われる。
「とりあえずは性善説に立って配布してみて、不正利用の裏取りはシグリズ様と母ちゃんのネットワークに任せようかな」
狭い村社会だし、おかしな真似をしていれば、すぐに噂になるしね。
人口が爆発的に増えるまでは今の体制で行けるだろう。
「あとは…出産時の問題だよなあ」
僕は医者じゃないので、細かいことは全然わからない。
ただ、今のように家畜と同居する冬の家で出産するのが衛生的に最悪であることぐらいは解る。
「産院でもあればいいんだけど」
全ての家を清潔に建て替えるには、あまりに時間も建築リソースも不足している。
そうでなくても、村で建設する施設は山ほどある。
清潔な施設。水とお湯が使えて、サウナがあって、液体石鹸が使えて、床暖房。
そんな施設があれば…。
「あっ」
あるじゃないか。
しかも、とびきり新築で建設予定の施設が。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「産院を建てたい?」
「はい。赤ん坊の成長と健康と出産する母親のためになる施設です」
「その重要性はわかりますが…」
シグリズ様は村の建築リソースがどれだけ逼迫しているのか理解しているので、僕の提案に感情的には賛同しつつも、渋ってみせた。
シグリズ様の私室で、文書の手伝いをしていた2人の文官候補のお嬢さん達も、胡散臭いものを見る目で僕を見ている。
おかしいな。一緒に大変な仕事をやり遂げたら、絆が深まるはずじゃなかったのか。むしろ溝が深まっている気がする。
でも、僕は理解なき白眼子には負けないぞ。アイディアには自信があるんだ。
「大丈夫です!とってもお得な方法があるんです。なにせ、水、お湯、サウナ、液体石鹸、床暖房、おまけに女性の手まで借りやすい施設を、建物一つ建てるだけで実現できます」
「…ロキにでも魂を売ったのですか?」
「信じられません」
「笑顔が怖い」
酷い言われようなのである。
僕のピュアなハートに傷がついちゃう。
「まあまあ皆さん。提案だけでも聞いて下さい。僕の提案はこうです。
出産のための産院を、酒造の工房の隣りに建てるんです。
酒造の工房には、酒造のための水とお湯。職人の清潔さを保つためのサウナと液体石鹸。床暖房の施設。必要な全てがあります。
産院を隣に建てれば、酒造のインフラを全て間借りして活用できますよ!」
村では、来年以降に激増すると予想される来客のため、大量の大麦酒を製造し貯蔵するための施設造りが猛烈なスピードで進められている。
その目玉施設の一つが、特製大麦酒製造のための醸造所だ。
醸造所は、この時代と村で可能な限り、清潔を保つためのインフラが整備される予定だ。醸造所は酒造り職人以外は出入り不可となり、職人はサウナで身と服を清め、液体石鹸で手足を清める。専用の水が引かれ、サウナにも用いる豊富な熱源でお湯も使うことができるし、麦芽と焙燥の施設の熱で温まることもできる。
そこに用いられているインフラを、横に建てる産院でも使わせてもらおう、というのが僕の提案なのである。
そうすれば出産のための最高の環境を、最低限の投資で実現できるわけで。
酒造事業は女性の管轄なので、理解も得やすい。
「酒造りの方に、悪い影響はでませんか?」
あー。穢とかそういうこと言っちゃうのか。
まあ気にするのはわかるけどね。
「建物は別ですからね。もしも気になるのなら、床暖房とサウナは煙道トンネルだけ伸ばして、熱だけをもらう形にしてもいいですし」
とにかくも、温かく清潔で煙と家畜のない部屋で、身を清め手を石鹸で洗い道具を煮沸した人達の介助で、出産することが大事なのである。
そして今なら、建設中の大規模な醸造所の隣りに、小さな家を余分に建てるだけで実現できるのだ。
「なるほど…一考の余地はありますね」
「そうなのですか?」
「お酒づくりの…工房?なぜサウナを?」
シグリズ様は納得に傾いているみたいだけれど、2人の文官候補のお嬢さん達は、清潔度を追求した公営の醸造所、という概念がイマイチ理解できていないみたい。
なにせ北方一の大麦酒を造るための秘密の技術が注ぎ込まれた工房だものね。
…あれ?この話を彼女たちがいる前で話してしまって良かったんだろうか?
本人たちは、お酒にまるで関心がなく理解ができていないみたいだけど…。
シグリズ様の顔を見たら、無言で頷いていたから大丈夫っぽい。
どうせ冬になったら山ほどの量の文書仕事でこき使うので、今日の会話なんて大量の仕事に紛れて忘れてしまうだろう、という見立てなんだろうか。
もしくは村から 文官労働力(ぎせいしゃ) を逃がすつもりがないとか…?
こわいねえ…。