作品タイトル不明
第158話 仕事のやりがい 7歳 秋
キョッ キョッ キョッ
ツグミの金属質の声が、秋の深まりと朝の到来を知らせる。
少し開いた窓からは、茜色の朝焼けと爽やかな冷たい空気が流れ込んでくる。
「ううっ…結局、朝まで仕事してしまった…絶対、成長に悪い…」
「お肌にも悪いです…」
「か、体の節々が痛いですう」
目がしぱしぱして、瞼が今にも落ちそう。
一晩中、ナイフでルーン文字を綴り続けた指が痛い。
途中で仮眠をとったものの、ほとんど徹夜してしまった…。
でも仕事は終わった。
僕達はやり遂げたのだ。
死屍累々といった感じで、シグリズ様の私室区画で椅子に座ったりベッドに倒れたりしていると、侍女の人がやって来るなり告げた。
「皆様。村の方達が長屋敷の方に押しかけてきております」
「え?まだ夜が明けたばかりですよ?何人か気の早い者がいたのですか?」
シグリズ様が意外そうに問い返すのを、僕はベッドに倒れて夢現で聞いていたのだけれど。
「いえ。何十人とか100人とか、それこそ村の半分の人が押し寄せているのではないかと…」
「なんですって!?」
「えっ!」
あまりの事態に、僕達は思わず飛び起きたのだった。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「とにかく、来た者達を列に並ばせなさい。郎党を叩き起こして、地区ごとに列を作らせると良いでしょう」
「は、はい」
シグリズ様は侍女の人に指示を飛ばすと、今度は未だ夢現でぼうっとしている文官候補の2人娘さんと僕達に言い渡した。
「貴方達も、シャキッとしなさい!護符を地区ごとに分けて持ちなさい。名簿を私が持って行きます。せっかく大きな仕事を成し遂げたのです。最後までしっかりやりとげますよ!胸を張って背筋を伸ばす!」
「「は、はい!」」
「よろしい」
シグリズ様は卓上に残っていた、すっかり冷めてしまった蜂蜜入り薬草茶の残りを、ごくごくと勢いよく飲み干すと、颯爽と僕達を率いて歩きだした。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
シグリズ様が長屋敷の外へ姿を表すと、屋敷へ押しかけていた村人達の集団が途端に静かになった。
やはりシグリズ様には、高貴な生まれの人に特有のカリスマがあるよね。
それにしても、凄い数の人が集まっている。
事情を知らなければ村長へのクーデターだと思うだろう。
もっとも、ほとんどの顔ぶれは斧も持っていない手ぶらの女性なので、そうした勘違いはなかったみたいだけど。
「おはようございます。皆さん、早朝からいったい何ごとでしょうか?」
用件の予想はついているけれど、一応はシグリズ様が尋ねた。
「あのう…村の方で健康と長寿の護符を配っていただける、と聞きまして」
「とても基調で有り難いものなので、早く行かないと貰えないとか」
「赤ん坊やお年寄りの病気も治る、強い力の護符だと…」
村の女衆ちが口々に、配布される護符の有難みについて語る。
そして、その内容と来たら!
ただの名前を刻んだ木の護符が、どんな病をたちどころに癒す神のアイテムの如き扱いになっているし、おまけに枚数限定の先着順ということに。
そんなこと言われたら早朝から並ぶはずだわ。
誰だよ、そんな噂をバラ撒いたのは。
「…まあ良いでしょう。確かに護符はあります。この護符には、成長と健康を祈る力のルーン文字が彫られています。これから、護符を全員に配りましょう」
「おお…!」
「なんと有り難いこと…」
シグリズ様の説明に、村の人達が歓喜と安堵の声を漏らす。
「この護符の力の文字は一人一人の名前と結びついています。地区ごとに並んでいますね?一人ずつ名前を呼ぶので受取りに来なさい」
そうして、名簿を見ながらシグリズ様が村人の名前を一人ずつ読み上げ、僕とアルフヒルドさんとエリスさんとで、護符を渡していく係を務めることになったのだけれど。
「フギン区、アーシルド!」
「母ちゃん…?」
「ありがたく頂きます」
「あ、はい…健康をあなたに…」
母ちゃんまで、父ちゃんとエリン姉を連れて受け取りに来てた。
うう…。息子の職場に来るのは気恥ずかしいから止めてほしいんだ。
「フェンリル区、ネリ!」
「どうぞ。ご健康をお祈りします」
「はい。ありがとうございます。ありがとう…」
中には、護符を推し頂くように受け取ると、涙ぐむ人まで出てきたりして。
特に少し年齢が上の女性は、そうした人が何人も見られた。
「あのう…お子さんの健康をお祈りします」
「ありがとうございます…本当に…」
手伝いとして手渡ししているアルフヒルドさんやエリスさんは、村の女衆が木の護符を本当に大切そうに、そっと握りしめる様子に、少しばかり戸惑いを隠しきれていないようだった。
いや、僕も本当のところは、よくわからないんだけどね。
「とりあえず、朝の分は捌けましたね」
「そうですね。半分は…」
夜明けから並んでいた人達への護符の配布は、なんとか終えることができた。
残りの護符は、あと半分ぐらいだろう。
朝の仕事を優先した人や、子供や赤ん坊のように自分では受取りに来れない人、大人の戦士のように沽券に関わるのでそもそも受け取らない人、などの分が残りだろうか。
「泣いている方がいましたわね…」
「ええ。何人も…」
大きな仕事を終えて少し心理的に余裕が出来たのか、2人の文官候補のお嬢さん達は自分たちが作り上げたものを、泣きながら有難く受け取っていった村の女衆達の姿を繰り返し思い起こしているようだった。
「あんなに喜んでくれるなんて…」
2人は徹夜の作業でボロボロになった手を見ながら、呟いていた。
「この村で、子供を亡くしたことのない母親なんていませんもの。あなた達が彫った護符は、彼女たちの救いと力になりますよ」
「シグリズ様…」
「はい…」
シグリズ様のことを、2人はキラキラとした目で見上げている。
そうそう。きちんと仕事のやり甲斐を伝えてサポートして、冬までしっかり繋ぎ止めないと。今はまだ船が出ているので逃げられてしまう。
「ね?やって良かったでしょう?」
僕も2人にシグリズ様がしたように同意を求めたのだけれど。
「そうですわね。でも次はありませんの」
「ええ。でも許しません」
と、冷たい答えが返ってくるばかりだったのだ。
つい先日まで『まあかわいらしいこと』とか年上の女の子らしく言ってくれてたのに。
いったいなぜ…。
いや反省してます。
次からはもっと楽になるように、ちゃんと方法を考えておくから。
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その日はエリン姉に迎えに来てもらい、ご飯も食べずに泥のよう眠り…
起きたら翌日の昼だった。
「あら?もう起きても大丈夫?」
「うん!お腹すいた!」
脳みそはもう少し睡眠を取りたかったみたいなのだけれど、胃袋の方がもう限界だった。ぐーぐーと楽器みたいな音を立てて主張している。
「ちょっと待ってなさい。スープを温めるから」
母ちゃんは三脚炉で温めていた何かを脇に除けると、スープ入りの鍋を鈎にぶら下げた。
「あれ?今は何を温めていたの?」
「お薬よ。柳の皮を煮出していたの」
母ちゃんは村では料理刑インフルエンサーにして、医薬品製造の専門家でもある。
家の倉庫には様々な薬効の草や木の皮などを干したものが吊り下げられていたりする。
今は、そうした薬効のある植物を低温で煮出して成分を取り出しているのだろう。
そうして取り出された成分を蜂蜜と混ぜて保管することで、長期間保存できる医薬品へと変わるのだ。
「おくすり、か…」
呟く僕の眼前を羽虫が飛んてきたので、手ではたき落とす。
赤ん坊の健康を守ることを考えると、冬の家の清潔度も何とかしたいんだよね。
北方の冬の家は、ひどく不潔で健康には良くない。
外の冷気を遮断するために開口部や窓は必要最低限で昼も暗いし、煙突がなくて石で囲んだ炉で直に焚き火をするから常に煙い。
おまけに家畜と同居するのでノミやシラミが凄いんだ。
もちろん1週間に1回、サウナの日があるから燻蒸はするんだけど、それでもね。
冬の家にずっといるのが体に悪いことは北方の親達も知っていて、できるだけ赤ん坊や子供たちは外の新鮮な空気と日光に当てるようにしているんだ。
僕が開設した社交場と託児所の床暖房が村の子育てをしている女衆たちに、ことのほか喜ばれたのは、暖かい場所で子供たちを外に置いておける、というニーズを捉えたことにも依る。
「魔術じゃなくて、科学でもなんとかしたいよね」
赤ん坊の健康を守る手段は、いくつあっても良いのだから。