作品タイトル不明
第157話 お仕事を通じて仲良くなろう 7歳 秋
カリカリ カリカリ カリカリ カリカリ
四角いブナの木片に、小さなナイフを使いひたすらにルーン文字で名前を刻む音が響く。
秋の夕日が沈んでも、鯨の脂の蝋燭を灯して作業は続く。
三人の美女と1人の子供は、無言で手を動かし続ける。
カリカリ カリカリ カリカリ カリカリ
「あのう…僕はそろそろ、お家に帰りたいかなーって。母ちゃんもご飯作って待ってるし…」
「は?」
「なんですって?」
キッとした視線と厳しい反応に、僕は下ろしかけた手を再び小さなナイフに手を伸ばし、作業を再開する。
どうしてこうなった…。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
たぶんきっかけは、僕と2人の新人文官候補のお嬢さんとで、村の人達にヒアリングに回ったことだと思うんだよね。
名簿の更新のために、赤ん坊が生まれたら村人の方から村長へ報告する仕組みを作りたかったんだ。
そこで新しくお婿さんが来る家を中心に、赤ん坊の誕生時にどんな記念品が村から貰えたら嬉しいか、と聞いて回ったら『成長と健康を祈る護符が欲しい』という意見がでた。
そこで僕たちは木製の護符の表に赤ん坊の名前と生まれ年、裏には健康と成長のルーンを刻んだものを配布しよう、と考えたわけだ。
護符が、そのまま村人としての身分証にもなるし、交易で人が出入りが多くなった時の機密の保持や、冬季に村民へ食料や大麦酒を配布する際の抜け漏れや二重取りのチェックに役立ちそう、という思惑もあったしね。
カリカリ カリカリ カリカリ
偉い人には名前をルーン文字で刻まれることに忌避感がある人もいたのだけれど、そもそもルーン文字がろくに読めない村人達は、自分たちの名前が残せるなんて有り難い、と思う人達の方が圧倒的に多かったので、名前入り護符の配布に対する反対はほとんど無かったんだ。
カリカリ カリカリ カリカリ
ここまでは良かったんだ。実際、良い話だよね。
だけど問題は、生まれてくる赤ん坊だけでなくて、村のほとんどの人が名前入りの木の護符を欲しがるようになった、ということで。
しかも、僕達が知らない間に噂と期待が爆発的に高まってしまい、近日中に村人全員に有り難い護符が配られる、という話になってしまっていたわけで。
カリカリ カリカリ カリカリ
「もーっ!あと幾つ彫ったら寝られるの?」
「落ち着いて。とりあえずお茶を運ばせましょう。蜂蜜をたっぷり入れて」
「帰るーっ!母ちゃんがスープ作って待ってるんだから!」
「 あなたの母(アーシルド) には、トールの外泊の許可をとってあります」
「ひどいーっ!児童虐待だーっ!」
「誰のせいでこうなったと思ってるんですか!」
僕達、ルーン文字が書ける4人組は、ほとんど徹夜で村人全員分の名前を木片に刻む羽目になっていたのだ。
おかしい。秋の間は仕事の配分を手加減する、というシグリズ様の宣言はどうなったのだ。
綺麗な建前や巧緻な策は、圧倒的な仕事量という現実の前に崩壊していた。
「うーん。目と手が疲れてきた…」
「もう少し蝋燭の灯りを増やしましょうか。ナイフも研いだ新しいものに替えましょう」
僕とシグリズ様はまだ会話をする元気が残っているけれど、新人文官候補の2人は突如始まったデスマーチに驚き困惑する方が先立つのと、初めての仕事の疲労とでほとんど口を利く元気も残っていないようだ。
「いやあ…本当にありがたいです。僕とシグリズ様だけでは絶対に終わらない量ですから」
「本当ですよ。あなた達のおかげで、本当に助かっています」
僕とシグリズ様で、一生懸命に2人の新人を励ます。
とても助かっているのは事実だし、ここで2人に逃げられてしまっては僕達が死んでしまう。
「それにしても、村の皆が護符を欲しがるなんて意外でした。だって大抵の人は親や先祖から受け継いたり、妻や恋人から貰った護符を既に持っているでしょう?」
僕の事前の見立てでは、自分の名前が入った護符なんて持つのを嫌がるだろうから、赤ん坊の頃に配ってしまって支給された護符を持つことに徐々に慣らしていこう、と思ってたぐらいなのに。
「トール。あなたは自分の功績を分かっていないのです。村の女衆が冬の社交場と託児所の開設で、どれだけ助けられたことか…。そのあなたが主導して赤ん坊の成長と健康を祈る護符を配る、というのです。全員が欲しがるに決まっているではないですか」
「村長さんは欲しがりませんでしたよ。あと村の有力者の貴族の方々も」
全員が欲しがったわけではない、という僕の指摘をシグリズ様は、フンと鼻を鳴らして否定した。
「見栄ですよ。大の大人の戦士が子供の加護を貰うわけにはいかないじゃありませんか」
「父ちゃんは、欲しがってますよ」
「それは、あなた達が仲の良い親子だからです」
僕とシグリズ様が雑談をしながら手を動かしていると、侍女の人が銀器にお茶を運んできてくれた。夜も遅いのに侍女のお仕事も大変だね。
「さて。少し休憩にしてお茶を飲みましょう。手を休めないと指を切ってしまいそうですし」
「はい…」
「ふう…」
薬草茶の爽やかな香りは意識の覚醒を促し、甘い蜂蜜は頭脳労働の疲労を軽減してくれる。
「あのう…わたしは不思議なのですけれど。村の方達には護符の配布を待っていただくわけには参りませんの?例えば順番に配布するとか…」
と、赤い服のアルフヒルドさんが切り出した。
しごく当然の疑問だと思う。しかし、それは出来ないのだ。
「噂が急激に広まりすぎました。おそらく明日の朝から村人達は長屋敷に列を作って並びますよ。そして護符を受け取るまで帰らないでしょう」
僕も驚いたよ。お婿さんが来る予定の家に何件かヒアリングして、帰宅したら母ちゃんに『いつから護符は配られるの?明日?』とか聞かれるんだもの。
村の噂の広まり方って怖い。
これは不味い、とシグリズ様に事態を知らせたことで、急遽、護符の作成デスマーチが始まり今に至るわけだ。
「それにこうしたものは一斉に配らないと、護符を先に貰えた人と遅れた人とで不公平感が生じます」
今後は村の大規模開発が進んでいくし、経済成長につれて村人の間で経済的な格差も生じてくるだろう。それ自体は仕方がないことだ。
けれども、せめて行政のサービスは公平であるという姿勢は示さねば統治の正当性が保たれない。
「それでシグリズ様、赤ん坊の話は何とかなるとして。亡くなられた方の名前を把握する方法なんですけどね」
「…今は新しい仕事の話を聴く気分ではありませんが、まあいいでしょう。何か考えが?」
どれだけ疲れていて不満を溜めこんでいても、一応は話を聞いてくれるのはシグリズ様の美点だと思うんだよね。あとはグリグリとかしなかれば、もっといい人なんだけど。
「村の人達の集団墓地が必要だと思うんです。今は浜で薪を積み上げて焼いて散骨したり、骨は家の隅や入口に埋めたりしていますよね。その習慣は否定しませんけれど、村の開発計画が進んで建物が増えてくると、今の方式は難しくなってくると思うんです」
今の村の人口は、せいぜい300人強。5つの地区にバラバラに親戚同士が隣接する形で住んでいるから、適当に遺体を焼いたり散骨したりも出来るのだけれど。
貿易港や大きなクナトルレイク競技場が出来て、大勢の人が出入りするようになると土地の効率的な利用が必要になるだろう。
「では、どうしようと?」
「どこかの区の山側の土地に集団墓地を建てましょう。護符を村に返却して保管する、という形にすれば名前も把握できます。お悔やみの品を代わりに出すとか」
今でも家や一族でお墓を敷地に建てているとは思うんだけど、開発や区画整理伴って引っ越したりすることがあるかもしれないしね。
「…なるほど。この件についても赤ん坊の誕生のときのように、実際に聞いて回ったほうが良いかもしれませんね。その際は、くれぐれも口止めをして今回のようなことを起こさないように!わかりましたね?」
シグリズ様には、キツく釘を刺されたのだった。
「いやあ、今回のことは不可抗力ですよ。ねえ?」
僕は2人の文官候補。アルフヒルドさんとエリスさんに同意を求めたのだけれど、返ってくるのはジロリと睨む疲れに充血した視線だけなのであった。
うう…怖い…。