作品タイトル不明
第149話 トールステイン大王伝記 王政の章
近年、ウブサラ神殿の壁が崩れた内部で発見された、いわゆるウブサラ壁内文書には続きがある。
大学の教授が高校生に向けて紹介したのは、膨大な文書の一部に過ぎない。
トールステイン大王に対し、反旗を翻したものたちの末路については既に述べた。
最新の翻訳された文書では、トールステイン大王がいかに民を導き 政(まつりごと) を建て直したか。民への求心力が、他の王たちにとりどれだけ脅威であったかが記されている。
以下に、ウブサラ壁内文書の最新の翻訳部分について引用する。
聞け、戦の嵐に耳を澄ませよ
邪神ロキの甘き毒に狂わされし王たちの軍団が、北の地を血で染めんと押し寄せた
されどトールステイン大王の前に、敵の刃はことごとく砕け散り、
大王は勝利を重ねて雪原を赤く染めた
欺かれしを悟った王たちは大いに震え、改心し、
その手に握られし剣を、身に纏いし鎧を、誇り高き盾をすべて地に投げ捨て、
大王の足元にうず高く捧げた
トールステイン大王は、光り輝く鉄の山を見下ろし、冬の海のごとき声で告げた
「鉄は血を吸うためではなく、大地を穿つためにある。農具に打ちかえ、滑らかに回る車を作るのだ」
王の命により、数千の武具はたちまち火花を散らして 鍬(くわ) や 鋤(すぎ) へと姿を変え、さらには回転の力をもって、黄金の蜂蜜を無限に湧き出させる神々の道具となった
蜂蜜の川は溢れ、国々の畑を潤し、
周辺の民は大王がもたらした果てなき平和を大いに謳歌した
広大なる畑からは、大空を埋め尽くさんばかりの大麦が収穫され、
人々はそれを感謝の叫びとともに大王へと捧げた
大王は積み上がった麦の山を見つめ、静かに首を振った
「大麦をただ受け取るのみでは、民の汗に報いたとは言えぬ。
余分なる麦はすべて酒に変え、民と分かち合うべし」
大王はみずから大麦を、無限の蜂蜜を、世界の底より汲み上げし特別な水を、
そして絶えぬ熱を放つ炎の石を合わせ、神々の 大麦酒(エール) を造るべしと命じた
そのとき、天より三人の酒の女神が駆けつけ、王の前に跪いて誓った
「至高なる王よ、我が身を賭して、神々の喉を潤す名酒をここに醸しましょう」
女神たちは国の女たちを指揮し、風のごとき速さで酒を造らせた
その量は凄まじく、北の男たちが昼夜を問わずどれだけ浴びるように飲もうとも、
決して底を突くことのない、大麦酒の海であった
周囲の国々は我先にと、酒を求めるために無数の樽を抱えて押し寄せた
王がその樽に指先で魔術をかけるや、季節が巡り、歳月が流れても、
大麦酒の味は一切落ちず、常に生まれたての輝きを放ち続けた
また大王は、捧げられた麦を粉に挽き、家畜の乳と、あの無限の蜂蜜を練り合わせ、「神々のパン」をも作らせた
その芳しき香りは屋根を越えて広がり、最初に国中の女たちの心を虜にし、
次に子供らを狂わせ、ついには頑強な男たちをもその甘美さで平伏させた
溢るる神々の酒と、奇跡のパン
トールステイン大王がもたらした豊穣なる文明に、北方の人々は我を忘れて夢中になり、 「王のもとで死に、王のもとで生きたい」と、国境の壁を押し破って人々が雪崩のごとく押し寄せた
側近たちは怯え、若き王の前に平伏して言った
「王よ、あなたを慕う民があまりに多く、この地は人で埋まり、増えすぎてしまいました」
トールステイン大王は静かに笑み、命じた
「恐れるな。すべての民の名を、我が手で記そう」
王が天空に向かって手を掲げ、魔術を放つや、
白き羊皮紙が嵐のごとく宙を舞い、たちどころにすべての民の名が刻まれた
そこには、産声を上げたばかりの幼子から、腰の曲がった老いた老婆、
身寄りなき孤児から高貴なる貴族まで、一人残らずその名が記されていた
王はその大いなる名簿を用い、誰もが飢えることのない、完璧なる統治を現出せしめた
民は飢えの恐怖から解き放たれただけでなく、
日ごとに注がれる神々の大麦酒とパンに満たされ、大いに満足して笑った
いまや、九つの世界のすべての民が、トールステイン大王の玉座の足元で暮らすことを望み、民を失いかけた遠き国々の王たちは、ただただ寒空の下で大いに嘆き、苦慮するばかりであった
かくして、トールステイン大王の治世は、
尽きぬ蜜酒と黄金の麦の歌とともに、永遠に刻まれたり
当時の北欧で悪王の元から次々に家臣が離反していく様と恐怖は、民の希望のサーガという形で現代のデンマーク地方の一部の村で伝わっている。
はるか北の空、トールステイン大王の
蜜酒とパン溢るる 光の国よ
圧政の闇に沈む 我らをお救いあれ
おお大王よ、我らの名も羊皮紙へ
飢えなき御国へ 連れ去り給え
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「…ここからが、面白くなるはずなのになあ」
昼休みだ!と教室を後にして走り去っていく子供たちを見て、教授は呟いた。
「申し訳ありません。なにぶん今の子供たちはトールステイン大王の物語を幼少の頃から耳にしすぎた為か、何かと疑い深くて…」
せっかく招待して講義をもっていただいというのに…と、
そこへ、一人だけ教室に残っていた生徒がおずおずと口を開いた。
「あのう、教授。できればもう少し教えてもらえないでしょうか。その…ウブサラ壁内文書のことを」
「君は?」
「ガナイです。将来は大学で偉大なるトールステイン大王の事績を本格的に研究したいんです。口から雷を吐いたとか、10世紀に保険を作ったとか、なんだかあまりにも人間離れてしていて信じられなくて…でも、もっと彼のことを知りたいんです」
教授は眼鏡を拭きながら、にこやかに微笑んだ。
「良い観点だね。トールステイン大王の事績が複数人の寄せ集めである、という学説は実は昔から根強いんだ。現代ルーン語でも読める文献を紹介しようかね…」
教室の窓からは、秋の訪れで赤や黄色に色づいた木々の間で、冬の訪れの前に少しでも日光を浴びておこうと、数人の学生たちが輪になって昼食を取る様子が見えている…。
9章 終わり