作品タイトル不明
引き合いに出る
「あの人でいいのですか? ルーヴェント領でも行商をしていたとは言っていましたけど、私には覚えがありません。あれほど個性的なのですから、見間違えや見逃しは、まずありえないと思います」
酒場からの帰り道。マルチナが訴える。
「それもそうだが、引っかかる点が多すぎる・・・」
「むしろ引っかからない点の方が少なかった気がしますが、それほど気になるのですか?」
「まぁな」
あの喋りはもちろんだが、それ以上に。
1つは”部族”と口にしたこと――その”教え”を信じているとも。
東の国からの行商と部族という言葉を照らし合わせると、あのトンチキな商人は東の国出身である可能性が高まる。
さらに言えば教え。東の国では望福教が広く知れ渡っているらしいからな。部族の教えとやらが望福教と無関係なのかが断言できねぇ。
皇国と帝国の戦争当時から望福教が存在したかもしれないとおっしゃった のは他でもない皇王陛下だ。気のせいならいいが、そうでなかったなら――俺より年上のあの商人でさえ、望福教に歪められた部族の教えとやらを信仰している可能性がある。
だから、頑として譲らないその精神性をもってしても。易々と信じるまでには及ばない。
そしてもう1つ。
俺はマンサ商会の名前を出しちゃいない。
にもかかわらず、あの商人は『明日、マンサ商会に寄るので。その時に』と言いやがった。
商人は噂に聡い。
先日の一件を知っていてもおかしくはない・・・が知っているならばこそ、俺がマンサ商会にいるとは考え辛いだろう。
普通ならば教会で神としての待遇を受けていると思って然るべき所だ。
俺が世話になっている場所はサンパダが所有している建物だが、持ち主がサンパダってだけで、表向きマンサ商会とは関係がない。その所有者についても、わざわざ触れ回ったりはしてねぇし、俺の出入りやその他についても裏口から、しかも忍んで行っている以上、それほど目にはつかないはず。
それをなぜ行商人が知っている?
正確な情報を集める能力は申し分ないが、それ故に油断ならない。
それらの理由も明日には分かるだろうか? 確かめられるだろうか?
正直、そんな自信はない。
あれはそれほどの曲者だと思った。
「では、どういたしますか? 明日は朝市を見て回りましょうか?」
「そうだな。あそこまで癖の強い商人だと帝国でも怪しまれるかも知れねぇ。無難な選択肢を用意しておくのもいいかもしれないな」
「わかりました。ときにゼネス様?」
「なんだ?」
「朝はお強いのでしょうか?」
「・・・・・・普通だ」
「それならば、私が起こして差し上げてもよろしいですよね⁉」
「そりゃぁ別に構わねぇけど・・・」
「それでは早速お休みしましょう‼ さあ早く‼」
「待て待て待て待て――‼ お前は自分の家に帰れよ‼‼」
短い帰路の終わり。借り部屋を前に、なぜか一歩も引かないマルチナ。
「ゼネス様は私の監視を命じられたのでしょう⁉ 離れてしまっては元も子もありません‼」
「四六時中見張ってろとは言われてねぇよ‼ せめて隣の部屋に行けよ‼」
腕を掴んでの引っ張り合い。
それで負けるなんてことはねぇだろうが、部屋から女を引っ張り出して、自分だけ部屋に籠る所を見られたくもない。
そのせいで、負けはしないが勝ち方もわからねぇ謎の戦いに。しばらくの間、付き合わされることになった。