作品タイトル不明
また一歩
一月の日曜日。午後三時。
冬夜はVRヘルメットを被った。
ログイン。リベルタの宿屋。いつものベッドの上に立った。
セレスが肩にいた。ルーナが影にいた。メブキが頭の上にいた。テンがブーツの上にいた。
「セレス。今日は、あの場所に行こう」
「あのばしょ?」
「グランの部屋だ」
裏路地の壁に手を触れた。旅人にしか見えない扉が現れた。開けた。暖炉の火。茶の匂い。
「おう、トワ。入れ」
グランが椅子に座っていた。いつもと変わらない。
「グラン。しばらく顔を出していなかったが……報告に来たぞ」
「聞いてるぞ。全部。お前さんたちが灯歩の光を灯して、アルキスを止めて、世界の糸を戻して。全部、わしの地図に映っていた」
「アルキスは、最後に歩いた。四歩だけだが」
「そうか」
グランが茶碗を膝に降ろした。
「あいつが歩いたか。何百年も、わしが言い続けた言葉を、あいつは聞かなかった。だが、お前さんが見せた足跡で、ようやく歩いた」
「俺の足跡じゃない。三十一万人の足跡だ」
「お前さんらしいことを言う。だが、三十一万人を灯したのはお前さんの旅だ。お前さんが歩かなかったら、誰も灯さなかった」
「買いかぶりだ」
「買いかぶりじゃない。オーレンもそう言っただろう」
「グランはオーレンの言葉まで知ってるのか」
「わしの地図は、全部映してる。ただし、お前さんの胸の中は映らん。それだけは、お前さん自身にしか分からん」
セレスが小さなカップで茶を飲んだ。メブキが葉っぱをもらった。テンが暖炉の火に近づいて点滅した。ルーナは部屋の影の中にいた。
「グラン。一つ聞いていいか」
「何だ?」
「まだ歩いた方がいいか?」
「愚問だな。――歩け」
「……そうだな」
「答えが分かっていて聞くな。お前さんはもう分かっている。歩くことが何かを。一万時間歩いて分からなかったら嘘だ」
「分かっている。だが、たまに聞きたくなる」
「いつでも聞きに来い。わしは茶を入れて待ってる」
トワは立ち上がった。グランの部屋を出た。扉が壁に溶けた。
裏路地から広場に出た。リベルタの午後。日差しが暖かかった。NPCが歩いている。プレイヤーが走っている。いつもの風景だ。
パーティチャットが鳴った。
タマキ:「トワさん。新しい薬のレシピが完成しました。外殻の糸片を使った回復薬です。試してもらえますか」
トワ:「今から行く」
ゼクス:「俺もいるぞ。暇だからな」
蓮:「原稿の息抜きに付き合う。どこに行くんだ」
トワ:「タマキのラボ。その後は未定だ」
ハル:「師匠、わたしも行きます! 未踏エリアの地図をまとめたので見てください!」
ミコト:「わたしも配信しながら参加していいですか?」
全員が、いつものように集まってくる。灯火の章が終わっても変わらない。特別な目的がなくても、一緒に歩く仲間がいる。
「セレス。行くぞ」
「うん。いく」
リベルタの石畳を歩き出した。
踏破率97.8%。残り2.2%。まだ歩いていない場所がある。歩き終えても、また新しい場所ができる。それでも歩く。
果ての道標が腰にある。星巡りの靴が足にある。見聞録はいつでも起動できる。肩にはセレス。影にはルーナ。頭にはメブキ。足元にはテン。
隣には、タマキがいる。
一万時間の旅人が、また一歩を踏み出した。