作品タイトル不明
紡ぐ者と歩く者
宵が語り始めた。
暗闇の縁に座ったまま、暗い紫色の瞳を遠くに向けて。聞いているのはトワ、タマキ、ゼクス、蓮、ハル、ミコト、レナ、ヴェノム、ソラ、アストレア。全員が宵の前に座っていた。
「世界が作られる前、わたしの暗闇だけがあった」
宵の声は静かだった。物語を語る声ではなく、自分が見たものを思い出す声だった。
「暗闇の中に、紡世者たちが来た。何人いたかは覚えていない。たくさんいた。彼らは糸を持っていた。光る糸。その糸を使って、暗闇の中に世界を紡ぎ始めた」
「わたしの暗闇が、少しずつ削られていった。糸が編まれた場所は暗闇ではなくなった。地面ができた。空ができた。水ができた。草ができた。世界ができた」
「紡世者たちは嬉しそうだった。自分たちが作ったものを見て、喜んでいた。でも、一つだけ足りないものがあった。世界を歩く者がいなかった。誰も歩いていない世界は、地図のない道と同じだ。作っただけで、使われていない」
「だから、紡世者たちは一人の存在を作った。世界を歩くための存在。最初の旅人。グラン」
グランの名前が出た。全員が息を止めて聞いていた。
「グランは歩き始めた。世界の端から端まで。一歩ずつ。紡世者たちが作った全ての場所を、グランは自分の足で踏んでいった。草原を歩き、山を登り、海を渡り、森を抜けた。歩いた場所に足跡が残った。足跡は光っていた。銀色の光」
トワが足元を見た。星巡りの靴の銀色の足跡。グランと同じ光だった。
「紡世者たちはグランの足跡を見て、初めて自分たちが作った世界がどんなものかを知った。糸を紡いだだけでは分からなかったことが、グランが歩くことで分かった。風の冷たさ、草の匂い、夕日の色。作った者ではなく、歩いた者だけが知ることができるもの」
「紡世者たちの中に、一人だけ、グランの足跡をずっと見つめている者がいた」
「アルキス」トワが言った。
「そう。アルキスは、グランの足跡に魅せられた。足跡の中に、世界の全てが映っていると感じた。グランが見た風景、グランが感じた風、グランが踏んだ土の感触。全てが足跡の中にあると思った」
「アルキスは、グランと同じものを知りたいと思った。でも、アルキスは紡世者だった。紡ぐ者は歩く者ではない。アルキスには足がなかった。正確には、足はあったけど、歩くことを選ばなかった。歩くのではなく、見ることを選んだ」
「アルキスはグランの足跡を集め始めた。足跡の光を写し取って、自分の中に保存した。足跡のデータを分析して、グランが何を見たかを再構成しようとした。世界を歩かずに、世界を知ろうとした」
宵が少しの間黙った。
「最初のうちは、他の紡世者も気にしていなかった。アルキスの研究だと思っていた。でも、アルキスは止まらなかった。グランだけでなく、世界に住み始めた全ての存在の足跡を集め始めた。NPCの動き、モンスターの生態、天候の変化。そして、プレイヤーが来た時、プレイヤーの全行動の記録を始めた」
「プレイヤーの記録を集めて、何をしようとしたんだ」ゼクスが聞いた。
「グランの足跡だけでは足りなかったの。グランの足跡には『グランが歩いた道』しかない。グランが歩かなかった道は、足跡に残らない。だから、全プレイヤーの足跡を集めれば、グランが歩かなかった道も補完できると考えた」
「一人の足跡では足りないから、全員の足跡で埋めようとした」蓮が呟いた。「作家としては分かる気もする。一人の物語では描けないものを、群像劇で描こうとする感覚だ。だが、方法が間違っている」
「他の紡世者たちは、アルキスに警告した。『プレイヤーの足跡は、プレイヤーのものだ。お前が集めるものではない。足跡を奪うことは、プレイヤーの自由を奪うことだ』と」
「アルキスは聞かなかった。集め続けた。そして、ある時、紡世者たちは決断した。アルキスを追放すると」
「追放の理由は、プレイヤーの自由の侵害か」タマキが確認した。
「それだけじゃない。もう一つ、大きな理由があった」
宵の目が、少し悲しげになった。
「アルキスは、自分が世界を紡いだことを忘れ始めていた。記録を集めることに夢中になって、自分が紡世者であること、世界を作った一人であることを、忘れかけていた。紡世者にとって、自分が紡いだ世界を忘れることは、一番やってはいけないことだった」
「自分が作った世界を、外から見るだけの対象にしてしまった」
「そう。アルキスにとって、世界は自分が紡いだものではなく、観測する対象になっていた。作り手から観測者に変わった。紡世者たちは、それを許せなかった」
「追放された後、アルキスは外殻に来た。世界の外側から、世界を見続けた。集糸塔を建て、変換炉を作り、織機を編んだ。全て、世界を知るために」
宵が沈黙した。物語が終わった。
静寂の中で、セレスが小さく声を出した。
「あるきす。かわいそう?」
「かわいそうかどうかは、わたしには分からない」宵が答えた。「でも、寂しかったと思う。ずっと一人で、ずっと見ているだけで、ずっと知りたくて、でも知れなくて。それは、わたしが暗闇の中で一人だったのと、似ている」
「よいは、さみしかった?」
「寂しかった。でも、セレスが来てくれた。アルキスには、誰も来なかった」
トワは黙って聞いていた。
グランとアルキスは、同じ場所から始まった。同じものを知りたいと思った。だが、方法が違った。グランは歩いた。アルキスは見た。歩いた者は世界を知った。見た者は世界を知れなかった。
そして今、トワはグランと同じ道を歩いている。一万時間歩いて、灯歩の光を灯した。アルキスには灯せない光を持っている。
「宵。ありがとう。聞けてよかった」
「うん。これで、あなたがアルキスと戦う理由が、少し変わったかもしれない」
「変わった。倒すだけじゃなくて、伝えることがある」
「何を」
「歩けと。グランが言った言葉と、同じことを」
宵が微笑んだ。暗闇の中の、静かな笑み。
「あなたなら、届くかもしれない。グランの言葉が届かなかった相手に、あなたの足跡なら、届くかもしれない」