軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

もう一つの世界

アルキスが目を閉じたまま、手を上げた。

部屋の床が透明になった。足元の遥か下方に、何かが見えた。

世界だった。

BCOの世界が、小さな模型のように足元に広がっていた。リベルタがあった。聖都ルクスがあった。ソルシアの草原、霧底の森、砂漠、新大陸、常世島。全てのエリアが精密に再現されている。

だが、不完全だった。

世界の二割が欠けていた。海の一部が黒い穴になっている。山岳地帯の頂上が消えている。森の奥が空白になっている。データが足りない部分が、世界の欠損として現れていた。

「これが、80%の世界だ」アルキスが目を開けた。「残りの20%があれば、完全になる。お前たちが織機を止めなければ、あと数時間で完成していた」

「不完全なまま放置するのか?」

「放置はしない。だが、織機を再起動するには時間がかかる。お前たちが幹部を倒した以上、すぐには動かせない」

トワは足元の不完全な世界を見た。見覚えのある場所が、正確に再現されている。リベルタの噴水の形、石畳の模様、宿屋の屋根の色。全て一致している。

だが、何かが違った。

「この世界に、NPCはいるのか」

「いる。全て再現した。行動パターン、会話、表情。原本と同一だ」

「グランもいるのか」

「……グランは、再現できなかった」

アルキスは視線を地面に向けた。

「グランだけが、データベースに存在しない。グランの行動記録をいくら集めても、グランを再現する情報が足りない。あの存在は、わたしのデータ収集の範囲外にいる」

「なぜだ」

「分からない。グランは特別な存在だ。最初の旅人……世界が作られた時から歩いている者。わたしが紡世者だった頃から、グランだけは観測できなかった」

「……もう一つ聞いていいか」

「何だ」

「一人目の旅人は、アルキスと同じ時代にいた者か?」

「……一人目の旅人は、わたしが世界を紡いだ時に歩き始めた者だ。わたしたち紡世者が世界を作り、最初にその世界を歩いた存在。わたしはその足跡を見て、世界を知りたいと思った」

「グランの足跡が、アルキスのきっかけだったのか」

「……そうだ。あの者の足跡だけが、世界の全てを映していた。他の誰の記録にも含まれないものが、あの者の記録にはあった。わたしはそれを再現したかった。だが、できなかった。だから、全プレイヤーの記録を集めて、代替しようとした」

「グラン一人の足跡を再現できないから、多くのプレイヤーの足跡で補おうとしたのか」

「そうだ。そして、それでも足りなかった」

アルキスが再び目を閉じた。疲労の表情ではない。諦めの表情でもない。理解できないものを前にした者の顔だった。

「お前たちの灯歩の光を見た時、分かった。三十一万人が自分で灯した光は、わたしが集めたデータとは質が違う。同じ記録でも、自分で歩いて灯したものと、外から観測して集めたものは、別のものだ。わたしには、あの光は出せない」

「出せないと認めるのか」

「認める。だが、諦めない。わたしには別の方法がある」

何を言おうとしているのか、聞く前にトワは判断した。

「一度降りる。仲間と相談する」

「好きにしろ、わたしはここにいる」

トワはタマキと共に階段を降り始めた。

竪穴の底に戻った。仲間たちが待っていた。

「アルキスと話した。目的と正体は確認できた」

トワがアルキスの言葉を全員に共有した。元紡世者であること。世界のコピーを作ろうとしていること。一人目の旅人の足跡が全ての始まりだったこと。自分では灯歩の光を出せないと認めたこと。

「一人目の旅人って、グランのことか」蓮が聞いた。

「アルキスはグランの足跡を見て、世界を知りたいと思った。グランを再現しようとして、できなかった。それで全プレイヤーの記録を集め始めた」

「グランさんとアルキスに、直接の関係があるんですね」タマキが考え込んだ。

「グランの地図に何かあるかもしれない」

トワは見聞録のデータを遡った。グランの部屋で見た壁の地図。外殻の十三の裂け目が表示されていた地図。あの地図をスキャンした時のデータが見聞録に残っている。

データを再解析した。通常の解像度では見えなかったものを、灯歩の光の補正を加えて再スキャンした。

地図の隅に、文字が浮かび上がった。以前の解像度では読めなかった、極めて小さな紡世文字。

【紡世文字解読:「アルキスへ。お前さんが知りたいと思ったものは、記録の中にはない。歩けば分かる。だが、お前さんは歩くことを選ばなかった。──グラン」】

「グランからアルキスへのメッセージが、最初から地図に書かれていた」

「歩けば分かる。でも、歩くことを選ばなかった」ゼクスが繰り返した。「グランとアルキスは、対話したことがあるのか」

「あるんだろう。グランは最初の旅人で、アルキスは世界を紡いだ紡世者の一人だ。世界ができた直後に、二人は出会っていたはずだ」

宵が暗闇の縁から声を出した。

「わたしは、二人のことを少し知ってる」

「宵。教えてくれ」

「長い話になる。でも、大事な話。アルキスがなぜ紡世者から追放されたか。グランがなぜ最初の旅人と呼ばれるのか。二つの話は、同じ場所から始まっている」

トワは頷いた。

「聞かせてくれ」

宵が暗闇の中に座った。