作品タイトル不明
本物を見る目
リベルタの広場に立っていた。
噴水がある。石畳がある。NPCが歩いている。夕焼けの空。見慣れた景色だが、全て偽物だ。
「ミコトちゃん。配信画面の映像は?」
「白い部屋のまま。わたしたちの目に映っているリベルタは幻影です。でも……あれ? 配信画面には、映ってないみたい」
「なんで配信画面だと、普通に見えるの?」
「たぶんだけど……配信画面は、視聴者さんに映像を送るためにゲームデータ……だから? わたしたちの目はVRを通してるから、書き換えられたら幻影が見える。でも、配信画面はプレイヤーの感覚を経由しないで、ゲーム空間そのものを撮影してるから、主観への干渉が効かないんだと思います」
「つまり、幻影はわたしたちの頭の中を騙してるだけで、ゲームの世界自体は変わってない」
「はい。だから配信画面には、本物が映る」
ハルは自分の配信画面を覗いた。画面の中には白い部屋が映っている。部屋の中央に紡ぐ者がいる。白い糸で編まれた体。配信画面を通せば、はっきり見える。
「配信画面が本物を映してくれるなら、画面を見ながら戦えばいい」
「でも、画面の視野角は小さいです。戦闘中に画面を覗きながら動くのは難しい」
「じゃあ、役割を分けよ。ミコトちゃんが画面で紡ぐ者の位置を教えて。わたしが見聞録で攻撃する」
「分かりました。わたしが目で、ハルちゃんが手、ですね」
ミコトが配信画面を見た。画面越しに紡ぐ者を捉えている。
「ハルちゃん。正面五メートル、少し右。動いてない」
ハルが見聞録の残響を飛ばした。空気の振動で対象の位置を探る。ミコトの指示と一致した。間違いない。
ハルが走った。正面五メートル、少し右。手帳を閉じて、腰の短剣を抜いた。見聞録使いは戦闘職ではないが、近接武器は持っている。
短剣が紡ぐ者に届く直前、景色が変わった。
リベルタが消えた。代わりに、暗い森が現れた。霧底の森だ。木々が視界を塞ぎ、霧が立ち込めている。紡ぐ者の姿が、霧の中に紛れて消えた。
「場面が変わった。霧底の森の幻影です」
「ミコトちゃん、画面は!?」
「まだ映ってます。でも、紡ぐ者が動き始めました。左に移動してます」
「了解、追うよ!」
ハルが左に走った。だが、足元の感覚がおかしい。白い部屋の床を走っているはずなのに、幻影の中では森の地面を踏んでいる感覚がある。段差がないのに、足が上がる。平坦なのに、傾斜を感じる。
体の感覚まで騙されていた。
「足の感覚も幻影に引っ張られてる。目だけじゃなくて、体感まで騙してくる」
紡ぐ者の声が、霧の中から聞こえた。
「見聞録の継承者。お前の師匠のデータは全て持っている。見聞録の残響も、月光の目も、索敵パターンも。師匠と同じ技を使う限り、わたしには通じない」
師匠と同じ技。ハルの見聞録は、トワから教わったものだ。トワの使い方を真似て覚えた。つまり、トワのデータを持っている紡ぐ者には、ハルの見聞録も読まれる。
「師匠と同じことをしても、勝てない」ハルが呟いた。
「ハルちゃん……」
「大丈夫、師匠は言ってたんです。『見聞録の使い方は人の数だけある。俺の使い方を覚えた後は、ハルの使い方を見つけろ』って」
ハルは手帳を開いた。戦闘中に手帳を開く見聞録使いは、トワにはいない。トワは全てを頭の中で処理する。だが、ハルは違う。ハルは書いて考える人間だ。
手帳に、紡ぐ者の行動を書き出した。
一回目の幻影:リベルタの広場。視覚のみ。
二回目の幻影:霧底の森。視覚+体感。
幻影が段階的に強くなっている。次は聴覚も騙してくるかもしれない。そうなると、ミコトの声も聞こえなくなる。画面の映像だけが頼りになる。
「ミコトちゃん。次の幻影では、声が聞こえなくなるかもしれない。そうなったら、画面に映った紡ぐ者の位置を、指で示して」
「分かった!」
三回目の幻影が来た。
聖都ルクスの大聖堂。壮大な建築が目の前に広がった。鐘の音が聞こえる。人々の祈りの声。足元の石畳の冷たさ。そして、ミコトの声が聞こえなくなった。
音が幻影に塗り替えられた。
ハルは振り返った。ミコトが見えた。ミコトは指で方向を示していた――右後方。
ハルは見聞録を使わなかった。代わりに、手帳を見た。自分が書いた記録。紡ぐ者の移動パターン。一回目は静止、二回目は左に移動、三回目は右後方。
移動距離が毎回大きくなっている。次は、もっと遠くに逃げる。
ハルは手帳に、次の予測位置を書いた。移動方向と距離のパターンから、四回目の位置を計算した。見聞録の索敵ではない。手帳の分析だ。ハルだけの方法。
「わたしは師匠じゃない。でも、師匠にできないことが一つある」
四回目の幻影が来る前に、ハルは動いた。予測位置に向かって走った。
幻影が切り替わった。今度は完全な暗闇。視覚も聴覚も体感も全て消えた。何も見えない。何も聞こえない。足元の感覚すらない。
だが、ハルの足は止まらなかった。予測位置は手帳に書いてある。書いた文字は、幻影では消せない。
手帳の記録は、紡ぐ者のデータベースにない。ハルが戦闘中に書いた記録だ。今この瞬間に生まれたデータだ。
ハルの短剣が、何かに当たった。
手応えがあった。幻影ではない。本物の感触。
暗闇が割れた。幻影が崩れ、白い部屋が戻ってきた。音が戻った。ミコトの声が聞こえた。
「当たってます、ハルちゃん!」
紡ぐ者の胸にハルの短剣が刺さっていた。予測位置は正しかった。
「わたしにできて師匠にできないこと。それは、戦いながら手帳に書くこと。師匠は頭の中で全部やる。でもわたしは書かないと整理できない。だから書く。書いて、分析して、予測する。これがわたしの見聞録」
紡ぐ者の体が揺れた。
「手帳の記録……データベースにない……戦闘中に生成された新規データ……予測不能」
「そうだよ。わたしが今書いたものは、あなたのデータベースには載ってない」
ミコトが画面を確認しながら叫んだ。
「ハルちゃん、核が見えます! 胸の中央、短剣の五センチ下です!」
ハルが短剣を押し込んだ。核に届いた。
紡ぐ者が崩壊した。白い糸が散り、幻影を生み出す力が消えた。部屋が白い部屋のまま静かになった。
【──────────────────────────】
【紡世の徒 幹部「紡ぐ者」を撃破しました】
【織機の動力が一つ断たれました】
【──────────────────────────】
ハルが手帳を閉じた。表紙が汗で濡れていた。
「ミコトちゃん。ありがとう。ミコトちゃんがいなかったら、最初の一歩も踏み出せなかった」
「わたしこそ。ハルちゃんの手帳がなかったら、最後の一撃はなかった。二人で一つの見聞録だね」
チャットが入った。
トワ:「ハル。三つ目の動力が断たれた」
ハル:「師匠。わたし、自分の見聞録を見つけました」
トワ:「そうか」
ハル:「手帳です。書いて、分析して、予測する。師匠とは違うやり方です」
トワ:「違うやり方でいい。それがハルの見聞録だ」
ハルの目が潤んだ。手帳を胸に抱えた。
二人が通路を引き返し始めた。ミコトは配信画面を回し続けていた。この戦いを記録するために。