作品タイトル不明
決着
門の前で振り返ると、ヴァルハラがまだ立っていた。
隊列に戻ったはずだった。だが、ファランクスの前で足を止めて、トワを見ていた。
「ヴァルハラ。何だ」
「一つ、聞いていいか」
「ああ」
「この先に入って、お前は必ず帰ってくるか」
「分からない。見聞録で測定範囲外の存在がいる。何が起きるか予測できない」
「だろうな」
ヴァルハラが盾を背中から外した。地面に置いた。銀色の大盾が、金色の灯歩の光を反射した。
「約束は『全てが終わった後に』だった。だが、お前がこの先に入って帰ってこなかったら、約束は果たせなくなる」
「そうだな」
「だから、今やりたい」
三千二百人が静まった。ヴァルハラの声は大きくなかったが、全員に聞こえた。
「今、ここで、お前と一対一で戦いたい。この先に何があるか分からない以上、二人とも万全な今がいい。聖騎士ヴァルハラとして、旅人トワに、正式に決闘を申し込む」
ゼクスが口を開きかけた。だが、トワが先に答えた。
「受けよう」
「トワさん」タマキが小さく声を上げた。
「大丈夫だ。時間はかからない」
トワは門に背を向けた。ヴァルハラと向き合った。
◇
三千二百人が円形に広がった。直径五十メートルの空間が、即席の闘技場になった。
ミコトが画面を向けた。
『皆さん。トワさんとヴァルハラさんの一騎打ちが始まります。ギルド対抗戦以来の、二人の決着です』
配信のコメントが流れた。
──「まさかこのタイミングで」
──「最終決戦の直前に一騎打ちとか、熱すぎるだろ」
──「ヴァルハラはトワの全データを持ってるんだぞ。索敵を封じる手段を用意するって言ってた」
──「トワが負けるところ想像できないんだが」
──「いや、ヴァルハラを舐めるな。あの男は本気だ」
ヴァルハラが剣を抜いた。聖騎士の片手剣。盾は使わない。置いたままだ。
「盾は使わないのか」
「今日は盾で守る戦いをしない。お前に全力で斬りかかる。ギルド対抗戦の時、俺は戦術で勝とうとした。お前の索敵を陣形で封じようとした。今日は違う。お前の全データを頭に入れた上で、正面から戦う」
トワは旅立ちの剣を抜いた。Lv1の初期武器。何度も振ってきた剣。
見聞録を起動した。ヴァルハラのステータスが表示された。
【────── 見聞録:情報表示 ──────】
対象名:ヴァルハラ
クラス:聖騎士 Lv90
HP:48,000(灯歩補正後)
ATK:2,340(灯歩補正後)
特記:
対象は「トワ」の全戦闘データを保持。
行動予測精度が極めて高いと推定されます。
【──────────────────────────】
ヴァルハラのATKは2,340。トワの灯歩補正後ATKは3,814。数値だけならトワが上回っている。だが、ヴァルハラはトワの全データを持っている。動きを読まれる。
トワのHPは360。セレスの祝福で固定値。灯歩の光はATKとDEFに補正をかけるが、HPは変わらない。一撃でも当たれば致命傷になり得る。
ヴァルハラが構えた。
「行くぞ」
「来い」
ヴァルハラが踏み込んだ。聖騎士の速度は剣士に劣る。だが、ヴァルハラの一歩目は速かった。
剣が横薙ぎに来た。トワが半歩下がって避けた。ヴァルハラの目が光った。
「半歩後退。お前の回避パターンの基本形だ。次は右に跳ぶ」
右への跳躍を読まれていた。トワが右に跳ぼうとした足を止めて、逆に左に踏み込んだ。ヴァルハラの二撃目が右側の空を切った。
「読みを外したか。だが、お前が読みを外す時は、必ず逆方向に動く。それもデータにある」
三撃目が左に来た。トワは動かなかった。剣がトワの鼻先を通過した。動かないという選択肢は、ヴァルハラの予測にはなかった。
「動かない、か。面白い」
「動かないのも即興だ」
トワが旅立ちの剣を振った。三連斬の一撃目。ヴァルハラが剣で弾いた。
「三連斬。一撃目は正面、二撃目は左下、三撃目は右上。一万時間で四万回以上振ったパターンだ。知っている」
二撃目が来る前に、ヴァルハラが左下をカバーした。だが、トワの二撃目は左下に来なかった。上から振り下ろした。
「二撃目の軌道を変えた」
「三連斬の軌道は固定じゃない。最初に覚えた型があるだけで、一万時間の間に何度も変えてきた。データベースに載っているのは最頻値だ。俺は最頻値の通りには動かない」
ヴァルハラの顔に、また笑みが浮かんだ。
「最頻値から外れる確率まで計算していたが、お前は確率ではなく意志で動くか」
四分間の攻防が続いた。ヴァルハラがトワの動きを読み、トワが読みを外す。ヴァルハラが修正し、トワがさらに外す。二人の剣が交差するたびに、データと即興が衝突した。
ヴァルハラの額に汗が浮いていた。トワの呼吸が乱れていた。
均衡していた。数値ではトワが上回る。だが、ヴァルハラの読みが数値差を埋めている。攻撃が当たらなければ、ATKの差は意味がない。
五分目。ヴァルハラが間合いを取った。
「トワ。一つ、認めよう。お前のデータを全て持っていても、お前には勝てない」
「まだ勝負はついていないぞ」
「ついている。俺がお前の動きを読むたびに、お前は新しい動きを作る。データは過去だ。お前は現在だ。過去が現在に追いつくことはない。これが、お前の強さの正体だ」
「ヴァルハラ……」
「だが、負けるつもりはない。データでは勝てないなら、俺もデータを捨てる」
ヴァルハラが剣を構え直した。構えが変わった。聖騎士の正統な型ではない。見たことのない構え。重心が前に傾いている。攻撃に全てを賭ける構え。
「これは、今作った構えだ。データにはない。俺自身のデータにも、お前のデータにも存在しない。即興だ。お前に教わった」
トワは旅立ちの剣を腰に落とした。居合の構え。万象の構えで剣士のモーションを借りる手もあったが、使わなかった。自分の剣で終わらせる。
「来い!」
「もちろん、全力で!」
二人が同時に踏み込んだ。
一瞬の交差。
トワの旅立ちの剣が、ヴァルハラの腹を薄く斬った。ヴァルハラの剣が、トワの肩のそばを掠めた。
二人が背中合わせで止まった。
【トワ → ヴァルハラ ダメージ:3,814】
【ヴァルハラ → トワ ダメージ:0】
ヴァルハラのHPが大きく削れた。トワのHPはそのままだった。
ヴァルハラが振り返った。
「一撃の差か。お前の方が速かった」
「ヴァルハラの剣も、あと少しで当たっていた。紙一重だ」
「紙一重で負けたなら……完敗だ。認めよう――お前の勝ちだ、トワ」
ヴァルハラが剣を鞘に収めた。背中の大盾を拾い上げた。
三千二百人の拍手が、施設を満たした。
ヴァルハラがトワに向き直った。
「借りは返した。ギルド対抗戦の時の借りだ。お前に全力で挑んで、全力で負けた。悔いはない」
「ヴァルハラも強かったぞ」
「お前ほどじゃない。だが、今日の一戦で、次の戦い方が見えた。データを捨てて即興で戦う。お前に教わった最後の一撃が、俺の新しい剣になる」
「次がある、ということか」
「ある。いつか、また挑む。その時は、最初から即興で来る。覚えておけ」
「楽しみにしている」
ギルド対抗戦の時と同じ言葉。だが、込められた意味は違っていた。あの時は見知らぬ相手への興味だった。今は、認め合った相手への敬意だ。
ヴァルハラが隊列に戻った。ファランクスが敬礼で迎えた。
トワは門に向き直った。柱の内部に白い光が見えている。
タマキが隣に来た。
「肩、大丈夫ですか」
「ノーダメージだ、回復薬は要らない」
「でも、念のために渡しておきますね」
タマキが回復薬を渡した。
「さあ、行きましょう、トワさん」
「ああ、行こう」
トワとタマキが、中央柱の門をくぐった。