軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

観測者の部屋

休息を終え、進軍を再開した。灰の環から北に向かう。

浄化の影響で、周囲の糸は白に戻っていた。灰色の領域を抜けて、再び白い糸の空間に入る。空気が軽くなった。

だが、一時間ほど歩くと、環境が変わった。

糸の密度が上がっている。天井を覆う糸の層が厚くなり、上空が見えなくなった。通路のように糸が壁を作り、道が狭まっていく。自然にできた形ではない。誰かが糸を編んで、通路を作っている。

「人工的な通路だ。この先に、何かがある」

「集糸塔とは造りが違いますね」タマキが壁の糸に触れた。「集糸塔は糸を巻き取って作っていましたが、これは丁寧に編み込んでいます。時間をかけて作った構造です」

通路の壁に、紡世文字が刻まれていた。見聞録で解読する。

【紡世文字解読:「記録の間」】

「記録の間。データを保管する場所か」

通路を進んだ。先遣隊はトワ、タマキ、ゼクスの三人。アストレアは体力の回復を優先して後方に残した。代わりにハルを連れてきた。記録が見つかるなら、ハルの情報整理能力が役に立つ。

通路の奥に、扉があった。糸で編まれた扉。取っ手はない。表面に紡世文字が刻まれている。

【紡世文字解読:「ここに記された全ては、世界を知るためのものである」】

扉に触れた。抵抗なく開いた。鍵はかかっていなかった。

中に入った。

広い部屋だった。天井が高く、壁一面が糸で覆われている。

壁の糸が、光っていた。

ただの光ではない。映像だった。壁の糸の中に、BCOの世界が映し出されていた。

リベルタの街並み。聖都ルクスの大聖堂。ソルシアの草原。砂漠。海。霧底の森。新大陸の平原。常世島。紡ぎ直しの大地。BCOの全てのエリアが、壁の糸の中で動いている。リアルタイムの映像だった。

「世界の全景が映ってる。これは……監視システムだ」ゼクスが壁に近づいた。

「ただの監視じゃない。見ろ」

トワが壁の一部を指した。映像の中に、プレイヤーの姿があった。リベルタを歩いているプレイヤー。聖都で買い物をしているプレイヤー。ソルシアでモンスターと戦っているプレイヤー。

全てのプレイヤーの動きが、この壁に映し出されている。

「全プレイヤーの行動を、ここから観測している」

見聞録でスキャンした。

【────── 見聞録:情報表示 ──────】

対象名:観測の間

種別:データ収集・記録施設

機能:BCO全域のプレイヤー行動の観測・記録

記録対象:

・プレイヤーの移動経路

・戦闘行動パターン

・スキル使用履歴

・アイテム取得履歴

・NPC交流記録

・パーティ編成履歴

記録期間:不明(極めて長期間)

記録者:不明

【──────────────────────────】

「全プレイヤーの全行動を記録している。移動経路、戦闘パターン、スキル使用、アイテム取得、NPC交流、パーティ編成。全部だ」

「師匠、これは……」ハルが壁の映像を見て、手帳を握りしめた。「わたしたちのプレイ記録が、全部ここに保存されてるってことですか」

「そうだ。誰かが、ずっとBCOの全プレイヤーを観測していた」

部屋の中央にテーブルがあった。糸で編まれたテーブルの上に、薄い板状のものが並んでいる。板の表面に、紡世文字と図表が刻まれていた。

トワが板を一枚手に取った。見聞録で解読する。

【紡世文字解読(記録板):

「観測記録 第7,342号

対象:旅人クラス・プレイヤー名『トワ』

記録項目:総歩行距離、踏破エリア、

見聞録使用回数、NPC命名数、

精霊との友好度推移

評価:全プレイヤー中、最も多くの

データを生成する個体。

優先観測対象に指定。」】

手が止まった。

「俺の記録だ」

「師匠の記録がある……」ハルが覗き込んだ。

タマキが別の板を手に取った。

「トワさん。こちらにも記録があります」

素材鑑眼ではなく、見聞録を借りて解読した。

【紡世文字解読(記録板):

「観測記録 第7,343号

対象:薬師クラス・プレイヤー名『タマキ』

記録項目:調合回数、新規レシピ開発数、

浄化成功率、素材鑑眼使用回数

評価:全薬師中、最も高い調合精度を持つ個体。

副次観測対象に指定。」】

「わたしの記録も。調合回数まで全部記録されてます」

ゼクスが黙って板を探した。すぐに見つけた。

「俺のもある。影潜りの使用頻度、潜行中の行動パターン、戦闘時の判断速度。全部記録されている……気味が悪いな」

ハルが震える手で板を探した。

「わたしのは……あった。『見聞録継承者・ハル。師匠トワとの行動パターン類似度72%。成長速度は平均の3.2倍。将来的な見聞録の到達度は師匠に次ぐ水準と予測される』って。こんなことまで分析されてるんですか」

「全プレイヤーが対象だ。俺たちだけじゃない」

テーブルの板は数万枚あった。おそらく、BCOの全プレイヤーの記録が、ここに保管されている。

「誰がこれをやっている。記録者が不明だと見聞録は表示した。紡世の徒の一人か」

部屋の奥に、もう一つの扉があった。扉の上に、紡世文字が刻まれている。

【紡世文字解読:「この先は、収集者の私室である。許可なく立ち入ることを禁ずる」】

「収集者……」

「観測と記録を行っている者の部屋か」ゼクスが扉を見た。「入るか」

「入る」

扉を開けた。

小さな部屋だった。椅子が一脚。壁には地図。床には記録板の山。

壁の地図はBCOの全体図だったが、通常のマップと違う箇所がある。地図の上に、無数の光の点が打たれていた。光の点はそれぞれ色が違い、微かに動いている。プレイヤーの位置をリアルタイムで表示している地図だった。

椅子の前に、一枚だけ別の板が置かれていた。他の記録板より大きく、紡世文字が細かく刻まれている。

見聞録で解読した。

【紡世文字解読(大型記録板):

「全ての記録は、世界を理解するために存在する。

わたしは見る。全てを見る。

全てのプレイヤーの足跡を集めれば、

世界の完全な地図が描ける。

全ての戦闘を記録すれば、

完全な戦術体系が構築できる。

全ての交流を観測すれば、

完全な関係図が完成する。

わたしは、全てを知る者になる。

そのために、この場所を作った。

──アルキス」】

名前が出た。

「アルキス」

「記録者の名前か」ゼクスが壁の地図を見た。「紡世の徒の一人。プレイヤーの全データを収集して、全てを知ろうとしている」

「グランが言っていた。紡世の徒がプレイヤーの糸を引き抜いている、と。その糸の中身がデータだとすれば、アルキスは世界の全データを自分のものにしようとしている」

タマキが大型記録板を素材鑑眼にかけた。

「この板の作成時期ですが、素材の劣化から推定すると、極めて古いです。BCOの初期から、この施設が稼働していた可能性があります」

「最初から。最初からずっと、全プレイヤーを観測していた」

部屋の隅に、暗い場所があった。光が届いていない隅。糸の壁が途切れて、そこだけ暗闇が覗いている。

ルーナが影の中から声を出した。

「……トワ。あの暗闇、知ってる。宵闇の回廊の暗闇と同じ気配がする」

トワは暗闇を見つめた。原初の暗闇。宵闇の回廊の底に広がっていた、世界の下地にある暗闇。それと同じ気配が、この部屋の隅にある。

暗闇の中から、声が聞こえた。

小さな声。

「……あなたたち」

聞き覚えのある声だった。

「あなたたちの足音が聞こえた。銀色の足跡の音……ずっと前に聞いた音と同じ」

暗闇の中に、暗い紫色の瞳が二つ、光った。

「まさか――宵か」

「……来てくれた。約束、守ってくれたね」

宵が暗闇の中から、一歩だけ前に出た。