作品タイトル不明
糸の記憶
突入から三時間。外殻の中を進み続けていた。
糸喰いとの遭遇は、最初の六体の後に二度あった。二回目は十二体、三回目は二十体。数は増えたが、タマキの浄化薬と火力の連携が確立されたことで、被害は盾壁の装備消耗のみに抑えられた。
ヴァルハラが交代制を敷いた。盾壁の前列を十五分ごとに入れ替え、装備の回復時間を確保する。軍師の判断は的確だった。
踏破率は0.12%。三時間歩いて、まだ全体の千分の一にも届いていない。広大な空間だった。
「トワさん。周囲の糸の密度が変わってきています」
タマキが歩きながら素材鑑眼を起動していた。定期的に周囲の糸をスキャンして、データを記録している。
「どう変わった」
「最初は均質だったんですが、この辺りから太い糸と細い糸の差が大きくなっています。太い糸にはデータの流量が多くて、細い糸にはほとんど流れていません。幹線と支線のような構造です」
「俺たちは太い糸に沿って進んでいる。幹線に沿って歩いていることになる」
「そして太い糸のデータ量が、奥に行くほど増えています。何かに向かってデータが集中してる……」
見聞録で太い糸の一本にフォーカスした。高精度スキャンで、糸の内部を覗く。
データが見えた。
数字ではなかった。映像だった。
糸の中を、小さな光の断片が流れていく。一つ一つの断片が、見覚えのある景色を映していた。
リベルタの街並み。聖都ルクスの大聖堂。ソルシアの草原。始まりの町の噴水広場。
「これは……BCOの風景か」
「トワさん、わたしにも見えます。この糸、聖都の夕焼けが映ってます」
タマキが別の糸を覗き込んでいた。ゼクスも、ハルも、周囲のプレイヤーたちも、足を止めて糸の中を見始めていた。
「師匠。この糸には、人が映ってます。プレイヤーが走ってる映像です。見たことない人ですけど、装備からして低レベル帯の冒険者ですね」
ハルが手帳にメモを取りながら報告した。
トワは見聞録で複数の糸を同時にスキャンした。糸ごとに、異なるデータが流れている。風景、プレイヤーの動き、モンスターの行動、NPCの会話。BCOの世界で起きた出来事が、全て糸の中にデータとして記録されて流れている。
「世界の糸は、ただの構造材ではない。世界で起きた全ての出来事を記録している」
「記録媒体、ですか」ゼクスが糸に触れた。「世界の骨格であると同時に、記憶装置でもある」
「グランが言っていた。プレイヤーが歩き、戦い、探索した記録が糸になって世界を支えている、と。これがその実物だ」
ミコトが画面を糸に向けた。
『視聴者の皆さん、見えますか。世界の糸の中に、BCOの映像が流れています。わたしたちが遊んできた世界の記録が、全部ここに保存されていたんです』
──「やばい。俺たちのプレイ記録が糸になってたのか」
──「世界の骨格がプレイヤーの記録でできてるって、とんでもない設定だな」
──「つまり紡世の徒は、この記録を引き抜いてるってことか?」
──「俺たちのデータを盗んでるわけか。許せねえ」
◇
さらに一時間。進軍は続いた。
ヴェノムが前方の偵察から戻ってきた。旅人の集いのメンバー二人を連れている。
「トワ。前方五百メートルに、構造物がある」
「構造物?」
「糸で編まれた建造物だ。自然にできたものじゃない。明らかに意図的に組み上げられている」
隊列を止めた。トワとゼクス、タマキが前方に出た。ヴァルハラがファランクスの精鋭十人を護衛につけた。
五百メートル先に、それがあった。
糸で編まれた塔だった。高さは三十メートルほど。周囲の糸を巻き取るように、螺旋状に組み上げられている。塔の表面を無数の糸が流れ込んでいて、塔の内部に吸い込まれていく。
周囲の床は荒れていた。糸が引き抜かれた跡が残っている。床に穴が開いている場所もあった。
「糸を集めている。周囲の糸をこの塔に吸い込んで、集約している」
見聞録でスキャンした。
【────── 見聞録:情報表示 ──────】
対象名:集糸塔
種別:人工構造物
建造者:不明
機能:周囲の糸の収集・集約
備考:
収集された糸は、塔の内部を通じて
さらに奥のエリアに転送されています。
転送先は現在の索敵範囲外です。
【──────────────────────────】
「集糸塔。糸を集めて、奥に転送している。これが、世界の糸を引いている仕組みの一部だ」
「転送先が分かれば、紡世の徒の拠点に近づける」ゼクスが言った。
「だが、まずこの塔を調べる必要がある。タマキ、塔の表面の糸を鑑眼にかけてくれ」
タマキが塔の根元に近づいた。表面の糸に試験管を当てて、微粒子を採取する。素材鑑眼を起動した。
【薬師スキル発動:素材鑑眼】
【対象:集糸塔表面の糸】
【結果】
【主成分:世界構成糸(BCO基盤データと96%一致)】
【付着成分:糸蔵微粒子と91%一致】
【構造特性:人工的な編み込みパターン検出】
「BCOの糸をそのまま使って建造されています。紡世の徒の技術で編まれた構造物です。糸蔵との一致率が91%……常世島の糸蔵と同じ系統の技術で作られていることは、間違いありません」
「常世島の延長線上にある施設か。紡世の徒は、常世島でやっていたことを、外殻でも大規模にやっていた、と」
トワは塔の上部を見上げた。螺旋状の構造の頂点から、太い糸の束が奥に向かって伸びている。引かれた糸の行き先を示す矢印のように、一方向を指していた。
「あの方向に進めば、さらに大きな施設がある。最終的には紡世の徒の拠点に辿り着く」
「この塔はどうする」ゼクスが聞いた。「破壊するか」
「まだ壊さない。壊すと糸のデータが散逸する可能性がある。まず全体の仕組みを把握してから判断する」
「了解した」
トワは振り返った。三千人の隊列が後方に待機している。松明の代わりに、プレイヤーたちの武器や魔法の光が糸の空間を照らしていた。
パーティチャットを開いた。
トワ:「紡世の徒の施設を発見した。世界の糸を集めて奥に転送している集糸塔。破壊はせず、転送先を辿って進軍する。全員、引き続き前進」
隊列が動き始めた。集糸塔の横を通り過ぎる時、塔の内部で光が脈動しているのが見えた。世界の糸が、絶え間なく吸い込まれていく。
プレイヤーの記録。世界の記憶。それが、目の前で引き抜かれて、どこかに送られている。
グランの言葉が、また頭をよぎった。
──お前たちの糸を、取り返せ。
踏破率が0.18%になった。足跡が、外殻の奥に向かって伸びていく。