作品タイトル不明
糸のほつれ
月曜日の夜。講義とゼミを終えた冬夜は、自室に帰ってすぐにVRヘルメットを手に取った。
昨日のオフ会の余韻がまだ残っている。シュークリームを二十個持ってきた蓮。帽子を深く被ったミコト。決算の修正を終えて走り込んできた篠原。焼き鳥を頬張る岸田。宮瀬のハーブティーの香り。
楽しかった。
だが、今日からは別の話だ。
BCOの公式サイトには、昼間のうちにメンテナンス完了の告知が出ていた。
──大型アップデート『 灯火の章(ともしびのしょう) 』、実装完了。
講義中はログインできなかった。帰宅したのが21時。ヘルメットを被った。
ログイン画面が立ち上がる。キャラクター選択。リベルタの宿屋。いつものベッドの上に、トワは立った。
ログイン直後、システムメッセージが表示された。
【──────────────────】
【大型アップデート『灯火の章』を実装しました】
【──────────────────】
【新規コンテンツが追加されました】
【詳細は公式サイトおよびゲーム内告知をご確認ください】
【──────────────────】
「セレス」
「トワ! きた!」
セレスが肩の上で跳ねた。角が小さく光っている。
「あたらしいの、きたよ。そと、なにか、ある」
宿屋の窓から外が見えた。リベルタの空に、これまでなかったものがある。
ルーナが影の中から声を出した。
「……トワ。空気が変わってる。夜の力が……微かに引っ張られてるような感覚がある」
メブキが頭の上で双葉を揺らした。テンがブーツの上で二回明滅した。精霊たちも何かを感じている。
「セレス、外に出るぞ」
「うん!」
宿屋の扉を開けた。
リベルタのメインストリートには、既にプレイヤーが集まり始めていた。通り沿いの街灯の下で立ち止まっている者、走ってくる者、パーティチャットで声を荒げている者。
全員が、同じ方向を見ていた。
空だ。
リベルタの中央広場の上空、高さ二十メートルほどの場所に、それがあった。
薄い裂け目。空間が縦に割れている。長さは三メートルほど。裂け目の端から、糸のようなものが一本ずつほどけている。ゆっくりと、蝋燭の炎に炙られたかのように、ほつれた糸が空気の中に溶けていく。
糸の色は白い。だが、ほどけた瞬間に、淡い虹色の光を帯びて消える。
見聞録を起動した。
【────── 見聞録:情報表示 ──────】
対象名:不明
種別:空間現象
レベル:測定不能
属性:不明
備考:
世界を構成する基盤情報の一部に、
外部からの干渉が検出されています。
構造解析に、より高精度のスキャンが必要です。
【──────────────────────】
見聞録の表示が不安定だった。文字が微かに震えている。こんな表示は初めてだ。
「トワ。これ、なに?」セレスが角を裂け目に向けた。「セレスの、つきのひかりと……にてる。でも、ちがう」
「わからない。もう少し近づく」
広場に降りた。プレイヤーたちが裂け目を見上げている。百人以上はいる。中には配信者もいて、カメラを裂け目に向けていた。
「あれ見てくれ、糸みたいなのが解けてるぞ」
「アプデ告知に『灯火の章』って出てたけど、あれが新エリアの入口か?」
「いや、触れない。さっき飛び上がって調べたやつがいたけど、近づくと弾かれるらしい」
ざわめきの中を歩いた。広場の中央まで進んで、裂け目の真下に立った。
見聞録を全センサー同時起動に切り替えた。視覚、聴覚、振動、温度、魔力感知。五つのセンサーが同時に裂け目を走査する。
セレスの月光の目も同期した。索敵範囲が一キロメートルに拡大する。
データが流れ込んできた。
【────── 見聞録:高精度スキャン結果 ──────】
対象名:糸のほつれ
種別:世界構造の破断
原因:外部からの牽引力
解析結果:
世界を構成する「糸」が、外側から引かれています。
牽引の起点は、現在のマップ範囲外に存在します。
ほつれの進行は緩やかですが、停止していません。
追加情報:
同様の現象が、複数の地点で同時に発生しています。
【──────────────────────────】
世界を構成する糸。外側から引かれている。
紡世者のメッセージが頭をよぎった。宵闇の回廊の石板に刻まれていた言葉。「追放された者たちは、自らを紡世の徒と呼んだ。プレイヤーの糸を奪い、再び力を取り戻そうとしている」。
「……ルーナ。さっき言ってた『引っ張られる感覚』は、これか」
「……たぶん。わたしの夜の力も、世界の糸の一部なのかもしれない。それが、外側から引っ張られてる」
「メブキ。根で何か感じるか」
メブキが双葉を左右に傾けた。
「くるくる。ね、ひっぱられてない。でも、つちが、すこし、ゆれてる。とおくで、おおきいものが、うごいてるみたい」
テンがブーツの上で三回明滅した。三回は「注意」の合図だ。
パーティチャットが鳴った。
タマキ:「トワさん、ログインしました。リベルタに空間の裂け目が出てます。そっちからも見えますか?」
トワ:「広場の真下にいる。見聞録で調べた。世界を構成する糸が、外側から引かれてる」
タマキ:「外側……? マップの外ってことですか?」
トワ:「そうだ。複数の地点で同時に発生しているらしい」
タマキ:「わたし、今から合流します。薬の備蓄は持ってきてます」
トワ:「頼む」
ゼクスからもチャットが来た。
ゼクス:「リベルタ以外にも出てる。聖都ルクスの上空にも同じものが確認された。フォーラムに報告が上がり始めてる」
トワ:「やはり複数か」
ゼクス:「ソルシアにも出てるという話がある。確認中だ」
フォーラムを開いた。既にスレッドが乱立していた。
──────
【速報】アプデ『灯火の章』実装直後に空間に裂け目が出現
──────
──「リベルタに出た。糸みたいなのが解けてる」
──「聖都にも出てるぞ。ルクスの広場の上空」
──「ソルシアの草原にも確認。三箇所目だ」
──「新大陸は?」
──「星灯港のプレイヤーが確認中。まだ報告なし」
→「出た。星灯港にも出た。四箇所目」
──「触れない。近づくと透明な壁で弾かれる。飛行系スキルでも無理だった」
──「見聞録持ちの旅人いないのか? 解析してほしい」
──「トワが既に解析してるんじゃないか。あいつリベルタにいるだろ」
──────
タマキが走ってきた。ポーチを肩にかけて、薬瓶が並んだ腰のベルトが揺れている。
「トワさん、見えました。あれですよね」
「ああ。見聞録の結果を共有する」
スキャン結果をパーティ全体に表示した。タマキが目を細めて読み込んだ。
「世界を構成する糸……。紡世者が世界を紡いだ、あの糸ですか」
「おそらく。宵闇の回廊で見たものと同じ系統の情報だと思う」
「外側から引かれてる、ということは、誰かが意図的に引っ張ってる」
「その可能性が高い」
タマキがポーチから小さな試験管を取り出した。裂け目の方に向けて、蓋を開ける。
「空気の成分を採取してみます。もしほつれた糸が何らかの粒子を放出しているなら、調合の分析ができるかもしれません」
「頼む」
タマキが試験管を構えた。裂け目から漂う微かな光の粒子が、管の中に吸い込まれていく。
【タマキが「糸のほつれの微粒子」を採取しました】
「トワさん。この粒子、見たことがあります」
「どこで」
「常世島です。あの島で『糸蔵』を破壊した時に飛び散った光と、同じ波長をしてます。わたしの調合ノートに記録が残ってます」
常世島。糸蔵。紡世の徒が没収したプレイヤーの力を貯蔵していた施設。
「つまり、紡世の徒が関わっている」
「断定はできませんが、関連はあると思います」
トワは裂け目を見上げた。ほつれた糸が、一本、また一本と解けていく。空気の中に溶けて消えていく。世界を構成していたものが、少しずつ失われている。
セレスが角を光らせた。月光が裂け目に向かって伸びた。光が裂け目の縁に触れた瞬間、糸のほつれが一瞬だけ止まった。だが、すぐにまた動き始めた。
「セレスのつきで、とまった。すこしだけ」
「月光が糸に干渉できるのか」
「でも、とめられない。ひっぱるちからが、つよすぎる」
ルーナが影の中から言った。
「……トワ。この裂け目の向こう側に、何かがいる。夜の力で感じる。大きな存在が、糸を引いてる」
見上げた。糸のほつれは、止まらない。
フォーラムの速報が更新された。五箇所目の報告。六箇所目の報告。世界中のフィールドに、糸のほつれが出現し続けている。
冬夜がオフ会で言った言葉を、トワが反芻していた。
──何が来ても、俺は宮瀬と一緒に歩く。
宮瀬の言葉も。
──久坂くんが歩く時、ちゃんと周りを見てるってこと。
トワはパーティチャットを開いた。
トワ:「全員に連絡する。アプデが来た。各地に空間の裂け目が出現している。見聞録の解析結果、世界の糸が外側から引かれている。紡世の徒との関連の可能性あり。明日、集まれるか」
返信が、すぐに来た。
ゼクス:「了解。聖都の裂け目をもう少し調べてから向かう」
ハル:「師匠、了解です! ミコトちゃんにも伝えます!」
オーレン:「聞いた。フォーラムが大騒ぎだぞ。明日合流する」
アストレア:「残業中ですが、明日の夜には必ず。聖騎士の責任は果たします」
トワは裂け目を見上げたまま、一歩だけ前に出た。星巡りの靴が、リベルタの石畳に銀色の足跡を残した。
灯火の章。
次の旅が、始まった。