軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

秋の空

日曜日。現実世界。九月の終わり。

冬夜はベッドの上で目を覚ました。VRヘルメットは机の上に置いてある。昨夜、宵闇の回廊から帰還した後、ログアウトしてそのまま眠った。久しぶりの、ゲームの外での睡眠だった。

窓を開けた。

空が高かった。夏の間は近くに見えていた空が、秋になって遠くなっている。雲が薄く、青が深い。風が少し冷たくて、腕に鳥肌が立った。

スマホが鳴った。宮瀬からのメッセージ。

『おはよう。今日、お散歩の約束、覚えてる?』

『覚えてる。十時に駅前でいいか』

『はい! 秋の公園、行きたい! 落ち葉がきれいだと思うの』

『分かった。行こう』

十時。駅前。

宮瀬がベージュのカーディガンにジーンズで立っていた。夏の間は半袖ばかりだったが、秋になって上着が増えた。

「久坂くん、おはよう」

「おはよう、宮瀬」

「ゲーム、大丈夫だった? 三日間、連絡なくて、心配したよ」

「すまん。宵闇の回廊の中は通信が途絶えた。連絡できなかった」

「ハルちゃんから聞いた。パーティチャットも途切れてたって。──でも、無事に帰ってきてくれて、よかった」

「宮瀬は、ゲームの外で心配してくれてたのか」

「当たり前でしょ。久坂くんがログアウトしないまま三日経ったら、わたし……」

宮瀬が言いかけて、少し唇を噛んだ。

「……心配するに決まってるじゃん」

「次からは、長期間潜る前に連絡するようにする」

「約束だからね」

「約束だ」

公園に向かって歩いた。銀杏並木は金色に色づき始めている。まだ完全には染まっていない。緑と金色が混ざった、秋の入口の色。

「久坂くん。宵闇の回廊、どうだった?」

「長かった。六つのエリアを全部歩いた。暗闇の中をずっと歩いて、最後まで行って、帰ってきた」

「セレスちゃんは元気?」

「元気だ。むしろ進化した。月光が強くなった」

「ルーナちゃんは?」

「ルーナも覚醒した。影の外に出られるようになった」

「影の外に……すごい。ルーナちゃん、ずっと影の中にいたのに」

「ずっと影の中にいたのは、隠れてたんじゃなくて、みんなを包んでたんだと、ルーナ自身が気づいた。それが覚醒のきっかけだった」

「包む、か。──ルーナちゃんらしいですね」

落ち葉が風に舞った。銀杏の葉が、二人の間を通り過ぎていく。

「久坂くん。わたし、ゲームの中でも現実でも、久坂くんの隣にいたいって思ってる」

「俺も、そう思ってる」

「……え」

「何が驚きなんだ」

「久坂くん、素直に言ってくれるの、最近増えたよね。前は、黙って横にいるだけだったのに」

「宵闗の回廊で、記憶の番人にいろいろ見せられた。一人で歩いてた頃の記憶とか、全滅した翌日の記憶とか。──その中で、仲間がいることのありがたみを、改めて感じた」

「仲間の中に、わたしも入ってる?」

「当然だ。タマキは最前線にいてくれた。薬が尽きかけても、瓶を投げて戦った」

「ゲームのわたしの話じゃなくて、現実のわたしのこと聞いてるんだけど」

「……現実の宮瀬も、当然、入ってる」

「ふふ。ありがと、久坂くん」

宮瀬の手が、冬夜の手に触れた。指が絡んだ。秋の風の中で、手のひらが温かかった。

月曜日。大学。食堂。

蓮が冷やし中華の最後の麺を啜りながら言った。

「で、宵闇の回廊の中で何があったんだ。ミコトが速報出してたが、詳細がまだ出てないぞ」

「詳細は配信でミコトが語るだろう。俺は、必要なことだけ話す」

「紡世者の話は」

「知ってるのか」

「フォーラムで噂になってる。宵闇の回廊の最深部に、世界の真実に関わる情報があったらしい、と」

「噂が早いな」

「ミコトの速報が、憶測を呼んだんだろう。Lv1の旅人が三日間帰ってこなくて、帰還後に『紡世者』というワードがフォーラムに出た。みんな気になってる」

「紡世者のことは、いずれ話す。今はまだ整理中だ」

「急がなくていい。──それより、冬夜。もう一つ気になることがある」

蓮がスマホを見せた。BCOの公式サイトが開いている。

「これ、見たか?」

画面に、告知が表示されていた。

【BCO公式告知】

【大型アップデート──十月下旬に実装予定】

【新エリアが追加されます】

【詳細は後日発表】

【──紡世者の物語は、まだ終わっていません】

「大型アップデート……」

「十月下旬だ。あと三週間くらいだな。タイトルは未発表だが、最後の一行が気になる」

冬夜は画面の最後の一行を見つめた。「紡世者の物語は、まだ終わっていません」。常世島の終わりに運営が残したメッセージと、同じ言葉だった。

「常世島が終わった時に出た予告の回収か」蓮が腕を組んだ。「紡世者に関わる新エリアが来る。──宵闇の回廊で紡世者の情報を掘り当てた直後に、このタイミングか」

「偶然じゃないだろうな」

「偶然じゃないな。冬夜が宵闇の回廊で紡世者のメッセージを見つけて、その直後に運営がアップデートを告知する。──物語が、動き始めてる」

「蓮、小説家みたいな言い方だな」

「小説家志望だからな」

蓮がコップの水を飲み干した。

「冬夜。俺の新しい短編、出版社に送った」

「……本当か」

「まだ返事は来てないがな、いい出来だと思う」

「そうか。──いい結果が出るといいな」

「出なくても、次がある。お前の旅が続く限り、俺の小説も終わらない」

「俺の旅を材料にするのは、もう諦めたのか」

「諦めるわけないだろう。最高の素材だ」

冬夜はコーヒーを飲んだ。苦い。食堂のコーヒーは、いつも少し苦い。

夕方。アパート。

冬夜は窓際に座って、秋の空を見ていた。夕焼けが始まっている。ゲームの中で見た夕焼けと、少しだけ色が違う。現実の空の方が、セレスが言った通り、淡かった。

スマホにメッセージが来た。ハルから。

『トワさん。アップデート告知、見ましたか? わたし、すごくワクワクしてます! 新しいエリアですよ!』

ミコトからも来た。

『告知来ましたね! トワさんは、どう見ていますか?』

ゼクスからも。

『紡世者関連がついに明かされるな。新エリアも罠の匂いしかしないが、行くんだろう?』

冬夜は全員に同じ返事を送った。

『行く。今度は、全員で』

VRヘルメットを手に取った。まだ被らない。今日は、もう少し現実にいる。

宮瀬から最後のメッセージが来た。

『今日の散歩、楽しかった。久坂くんの手、温かかったよ。──明日、大学で。おやすみなさい』

冬夜は返信した。

『おやすみ。明日、食堂で』

窓の外の夕焼けが暮れていく。秋の空が、夜に変わっていく。

影と夜の章が、静かに終わろうとしていた。

そして、次の旅が──もうすぐ、始まる。